第2話 エントリー オブ ア マジカルガール:2

 酒場の中は無人だった。旧文明期の造り酒屋を改装した店内は洋風のバーになっていて、年月を経て色合いを深め、艶を帯びたテーブルと椅子が並んでいた。店の奥には1枚の板で出来たカウンターと、磨き上げられたグラスが並べられた棚が設えられている。大除を終えたばかりの明るく澄んだ空気に、今にも給仕が注文を取りに来そうな雰囲気があった。しかし誰も姿を現さない。


「ごめんくださーい、どなたかいらっしゃいませんか……?」


 アマネは名乗った肩書きを放り出して、恐る恐る呼びかけた。


 カウンターの横、“STAFF ONLY”と大きく書かれた扉の向こうから、子どもたちの声が聞こえてくる。


「やっぱりなかったじゃん! アキちゃん、本当に見たの?」


「嘘じゃないよ、マダラ兄ちゃんが作ってるの、見たんだもん! 持って行っちゃったのかなぁ……」


「私も見たかったなあ、動くぬいぐるみ」


「仕方ないよ、エダ婆ちゃんのとこに帰ろう」


 扉が開き、子どもたち二人がホールに出てきた。入り口で固まっているアマネと目が合う。アキが駆け寄り、リンも続いた。


「お姉さん、誰?」


「今日はお店、お休みだよ」


 アマネはしゃがんで二人に目線を合わせた。


「今晩は。私は滝アマネと言います。タチバナトウベイ保安官はいるかな?」


「タチバナトウベイって……」


「おっちゃんのことかな?」


 アキがアマネに向き直る。


「それじゃあ、お姉さんが! ……瞬間反射?」


「ええ……?」


 アマネが困惑していると、入り口が大きな音をたてて開いた。ゲンが足音を鳴らしながら入ってくる。


「巡回判事殿、入管処理が終わる前に町に入らんでください!」


 アマネは赤くなって立ち上がった。


「ごめんなさい……」


「アマネお姉さん、巡回判事なんだ」


「遅かったなあ! おっちゃんたち、カガミハラに呼ばれて行っちゃったよ」


「アキちゃん!」


 リンがアキを押して黙らせた。ゲンが顔をぴしゃぴしゃ叩く。


「しかし巡回判事殿、この子が言った通りなのです。タチバナ保安官の率いるチームは、今朝から急用でカガミハラ・サイトに出掛けておりまして……」


「私たちしか残ってないの」


「君たちだって、エダ婆さんの家に預けられてるって聞いてたんだがなあ」


 ゲンが困ったように言うと、子どもたちはギクリとした。リンが「ごめんなさい」と謝る前に、アキが喋りだす。


「おっちゃんに頼まれて、瞬間バンビさんを待ってたんだよ!」


「ちょっとアキちゃん? ……あと、巡回判事よ」


 アキは言い訳の引っ込みがつかなくなっていた。顔を赤くして話を続ける。


「アマねえちゃんだって、すぐに保安官のおっちゃんに会いたいんじゃない?」


「えっ! それは、そうだけど……」


「僕達、早くカガミハラに行ける道を知ってるんだ! きっとおっちゃんたちもその道を通ったはずだから、早く用事が終わってても戻ってくる途中で会えるよ。案内するから、一緒に行こうよ!」


「えっ、ええと……」


 アマネはすっかり勢いに押されていた。


「どうしよう、巡回判事の着任手続きをしなくちゃいけなくて、そのためにはタチバナさんがいなきゃいなきゃいけないんだけど、だからって……」


 ゲンが頭を抱える。黙って見ていたリンは、アキに加勢することにした。


「空いてる部屋があるから、今夜はそこに泊まったらいいよ。明日の朝に出発したら、昼までにはカガミハラに着くから!」


「僕、エダ婆ちゃんに言って、ご飯もらってくる!」


「あ、ありがとう……」


 アキが店の外に駆け出していく。


「それじゃあリンちゃんも、タチバナさんによろしく頼むよ」


 そうは言ったものの「大丈夫かな、よかったのかな……」とブツブツ言いながら、ゲンが帰っていった。


「はーい!」


 リンは笑顔でゲンを見送った後、アマネに向き直った。


「私はリン、出ていった子はアキっていうの。アマネお姉さん、よろしくね!」




 ナゴヤ・セントラル防衛軍基地の塁壁に囲まれ、軍警察によって実質的に統治されている町、カガミハラ・フォート・サイト。


 ナカツガワからの一行は、先だっての“暴走オートマトン”を鎮圧した一件について、事情聴取のために召喚されていた。「インタビューを始めるまで、しばらくお待ちください」と告げられ、窓のない一室に通された後、レンジたちは音沙汰のないまま室内に留め置かれていた。


 白い壁に囲まれた部屋には穏やかな音楽が流れ、壁際にはウォーターサーバーと湯沸し器が置かれている。6、7人は横になることができそうな部屋だったが、パイプ椅子が隅に積み上げられているだけで机もなく、一層殺風景で広く感じられた。


「いつまで、ここにいなきゃいけないのかな……」


 床に座り込んだアオがぼそりと言う。時計もなく、既に時間感覚は危うくなりはじめていた。トイレは部屋に2つ、手入れの行き届いた個室が備え付けられている。壁にかけられた内線機で昼食の相談をしたところ、「いつでも必要な時にお申し付けください。メニューをお選び頂くことはできませんが、すぐにお出しします」とのことだった。


 レンジは何をするでもなく、部屋の隅を歩き回っていた。


「セキュリティのためって言ってましたけど、荷物を全部預けなきゃいけないってのも、何なんでしょうね」


 タチバナはパイプ椅子を1脚出して、腕と脚を組んで腰かけている。


「向こうさんにも準備があるんだろう。俺たちのことも気にかけてくれてるだろうし、今は大人しく待っていようじゃないか」


 そう言って目を閉じる。レンジは立ち止まり、アオは顔を上げてタチバナを見た。




 アマネはアキが持って来てくれた根菜と茸がたっぷり入った雑炊を平らげ、シャワーを浴びると、リンに案内された部屋のベッドに飛び込むなり、泥のような眠りに落ちた。


 翌朝、リンに起こされると三人でホールに降りて、ハムエッグとバター付きパンの朝食をとった。子どもたちが姉の手際を見よう見まねでこしらえた料理は、玉子もハムも端が焦げ、トーストは真っ黒だった。リンとアキは「なかなかうまくいかないね」と言い合い、「焦がしちゃって、ごめんなさい」とアマネにも謝ったが、ミールジェネレータによる判で押したような料理に慣れきっていた新人巡回判事にとっては、前夜の素朴な雑炊共々に物珍しく、また賑やかな子どもたちと食卓を囲むことも、楽しいものだった。




 腹ごしらえを済ませると子どもたちを後ろに乗せ、アマネはスクーターのハンドルを握った。「くれぐれも、気を付けてね」と心配そうに言うゲンに見送られ、人を満載したパステルブルーのスクーターがナカツガワ・コロニーの正門を出発した。


 枝の隙間から朝陽が射し、森の中にぶち模様を描いた。瓦礫の道にスクーターが跳ね、走りながら涼やかな早朝の空気を浴びる。子どもたちは車体が大きく揺れるたびに、転がり落ちんばかりに笑った。


「……あっ! アマ姉ちゃん、そこの森の中に入って」


 下草と木々が繁る中にわだちが消えていくのを見つけて、アキが指をさした。


「ええっ! 本当に、あそこに入るの?」


「いいから、行ってみてよ!」


 リンも自信たっぷりに言う。アマネは子どもたちに背中を押され、思いきってハンドルを切った。


 枝をかきわけて森の中に突っ込んだかと思うと、幾重にも車輪に踏み固められた道が木々の間を貫き、緩やかな下り坂をなしていた。瓦礫などがない分、オールド・チュウオー・ラインよりも快適なほどだ。車体は安定し、更にスピードを増す。子どもたちは悲鳴のような声で叫び、大笑いした。


 スクーターは坂道を下ると、等間隔に打ち込まれた杭を頼りに荒れ野を駆け、断崖の道をゆっくり進み、旧文明の遺跡でできた橋を渡って河を越えた。ところどころでスクーターを停め、休憩を挟みながら道なき道を道なりに進むと、昼過ぎに再び、オールド・チュウオー・ラインの瓦礫の道が目の前に現れた。


「よかった、戻って来られた……」


 アマネが深く息をつく。後ろに乗る子どもたちはナビを成功させて得意顔だった。


「ほら、アマ姉ちゃん、見て!」


「あれ!」


 二人は一緒に前方を指さす。曇り空の下に、装飾が排された、堅牢で厳めしい塁壁が森を引き裂いてそびえ立っていた。

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