第5話 - 世界の理
そして彼女は、対面の席へ座るように自然と促す。キースはそれに従い、腰を下ろした。
「ええと、その……まずは、ありがとう、だね。さっきは、助かった」
「……あ、は、はい。そう、そうですね。ええ、ご無事で、何より、です」
キースは、街での手助けを素直に感謝したのだが、対するクロシェはそれを受けて大きく動揺した。不可解な反応に首を傾げていると、クロシェは少し恥ずかしそうに言った。
「その、お兄様から、感謝の言葉をかけられることがあまりなく、驚いてしまいました。そうです、よね。もう貴方は、お兄様では、ないのですよね」
「……なんなんだ、キースってやつは」
心底呆れかえった。王子という大層な身分であることはなんとなくわかったが、感謝するだけで驚かれるような非人間だったとは。
「そうだ。何故かは知らないが、キースという男の身体に転生してしまったらしい。……僕自身よくわかっていない転生のことを、クロシェ、何故君が知っているんだ?」
「当然の疑問、ですね。……何故転生されたのかは、私たちにもわかりません。運命の悪戯、だとしか。……そして、申し訳ないのですが、今は、魔術的な作用で、私はそれを知ることができた、とだけ、ご理解いただきたいのです。転生者の方にわかるように、魔術の詳細をお伝えするのが難しく……そして、今はあまりにも時間が無い状況なのです」
そんなぞんざいな! と声を上げかけたが、少年の理性的な部分が、癇癪を押しとどめた。
彼女の言うことも道理なのだ。魔術なんていう、未知のものを説明されてもどうせ理解できるわけがない。要するにそれで転生の事実を知った、という要点は変わらない。
そこに拘泥する意味は無いので、話を次に進めるべきだ、と、彼の合理性はそう結論付けた。
「……そうだね。確かに、その通りだ。うん、今はそれで良しとしようか」
「え、あ……あの、よ、よろしいんでしょうか? すみません、まさか、こんなに早く、ご納得いただける、なんて」
「君の意見が正しいと思ったからだよ。確かにこの世界に、魔法、はあるみたいだからね。目が覚めたときもそれで襲われた」
「襲われた……?」
意外にも、彼女はそこで驚いた表情を見せた。その魔術とやらでは、そこまでは知りえなかったのか、と思いつつ、少年は彼女に、目覚めてからの出来事をかいつまんで話す。
一体、あの刺客たちは何者なのだ、と尋ねるが、クロシェは、神妙な面持ちで首を振る。
「残念ながら、そのお話だけでは、犯人を特定することはできません。その……お兄様は、大変、色々な方に恨みを買っておりましたので……容疑者となると、無数の方が挙げられます。せめて、どこで襲われたのか、がわかればまだ探ることもできるのですが」
無論、土地勘などがあるはずもなく、必死であちこちを逃げていたため、もはやどの方角だったかすらわからない。
「あの鉄の騎士に聞けば……と思っても、それも誰だかわからないんだよね」
「申し訳ございません。我らが第七領に、そのような騎士はおらず……正体不明でございます」
何の情報もないから、何の手の打ちようもない。これが身に迫った危機の答えであるようだった。少年は大きく溜息を吐く。
「全く、とんでもない奴に転生をしてしまったみたいだね。つまりキースって奴は、人知れず最期を迎えるような、嫌われ者だったてことか」
思わず皮肉を口にしてしまう少年だったが、ふと、対面のクロシェを見ると――押し寄せる感情に耐えるように、ぎゅっと唇を噛んでいた。
あれだけの嫌われ領主である、第七王子の死を悼む人間が、まさかいたなんて。
己の失着を取り繕うように、少年は慌てて言葉を紡いだ。
「あ、ええと、ごめん、ちょっと今のは、軽率過ぎた」
「……いえ、謝る必要はございません。仰る通り、お兄様は皆から嫌われておりました。それは、領地を顧みず【テーブル】でマナー違反を犯し、多くのマナを奪われたから、です」
まただ。また、その単語が出てきた。【テーブル】。マナー違反。マナ。それらが話の核心であることは間違いない、と直感が告げていた。
と。突如、少女が短くなにかを唱えると、目の前の卓がにわかに輝きはじめ、部屋一杯に広がる、半透明の紋様のようなものを空中に投影しはじめた。
それは明滅を繰り返しながら鎮座している。ところどろ、光が強い部分や弱い部分があるのがわかり――よく見てみると、この紋様は、山や人里を表す、地図であることがわかった。
「何故それほど、お兄様が嫌われていたのか。まずはこの世界について、説明いたします」
不可思議な光の紋様の中、クロシェの声響く。
「これは地図の魔法【領域の支配(レギオン・ルール)】。我々が統治する、第七領そのものでございます。そして、輝く光の強さは、マナの多寡を示しております」
その圧倒的な光景に、ただただ息を飲むことしかできなかった。魔法の力で現出した地図を見て、ようやく、この広大な土地を統べるのは自分なのだと、自覚することができた。
「この第七領には、なにもありません」
そして語られた言葉は、そんな悲しい一言だった。
驚いて彼女を見るが、クロシェは、悲しい表情のまま、淡々と事実を吐き出していく。
「他の王子たちが治める領地は、それぞれ特色がございます。技術力に優れた領地、作物が豊かな領地、資源が豊富な領地、など。しかし、この第七領はなんの特色もございません。すべてが劣っているのです」
そんな強烈なことを言ってのける。少年は、頭を掻きながら、言葉を返した。
「第七王子が相当、怠けてたってことだろ? じゃあ、これから、きちんと運営するべきだ。需要のありそうな産業を取り込んで、そこにコストを注力させるよう整理しよう」
それも彼の元の世界で流行していた、異世界転生ものの創作物によくある展開であった。
現世の進歩した知識を持ち込み、自らの領地を発展させていくという流れだ。
残念ながら、少年はそこまで深い農作や工業の知識があるわけではなかったが、少なくともこの肉体の元の持ち主よりかは、まともな指揮をとれるはずだ、と考えていた。
だがクロシェは、静かに首を振った。
「無駄、なのです」
「……無駄? まあ、第七王子の人望は無いに等しいだろうけど、小さいところからでも産業を作っていかないと」
「そういうことではございません。この土地には、マナがあまりに少ないため、どんなものも根付かないのです」
そして、また不可解なことを言った。
マナ。ゲームや漫画でも出てくる言葉だ。そこでは魔力、とも言い換えられる。魔術などに必要なエネルギー、というイメージだが、そのマナが少ないから、なにもかも無駄? 全く理解ができない、という顔をしていると、クロシェは地図を軽く撫でた。
瞬間、第七領を映していた地図の尺度が離れていき、最終的に、大きな円のような簡易的な地図が浮かび上がるのであった。
それは、全部で十個のブロックに分割されていることが見て取れる。それぞれの領土に境が敷かれ、魔力の光が各領域ごとに光っている。
「これは、国全体の様相となります」
それを見て、キースは、押し黙ってしまった。
この光の強さはマナの強さを示しているのだという。先ほど見ていた、第七領の光は、燦然と輝く他の領域に比べると、真昼に浮かぶ月の光のようにあまりに弱く、か細かった。
「……クロシェ、その、第七領って、ここだよね?」
「はい。そのとおりです」
「その、あまりにさ、光が弱い……よね」
彼女は、うなずいた。
「第七領は、この国の中で、最も保有するマナの少ない領地でございます。つまり最も資源の乏しい領土、ということになります」
彼女の言葉を、脳内で反復させる。そして、それが意味することを言い当てた。
「マナが多い土地は産業が発展し、少ないと、落ち込む……といった相関が、あるのか?」
「……凄いですね。ここまでのお話だけで、それを、おわかりになるなんて」
クロシェは、目を真ん丸にして、その考えを肯定した。
先ほどから、少年の頭の回転の速さには驚かされていた。その資質は、元の世界での経験から来ているのだろうか、と、尋ねたそうな顔をしていたが――先ほど彼女自身が言ったとおり、今はあまりにも時間がなかった。後ほど聞くことに決めたのか、彼女はぐっと堪えたような表情で解説を続ける。
「その通りでございます。マナとは神秘的なエネルギーそのもの。魔術は勿論、大地に恵みを与え、生物の活力となり、人々の生命力にすらなる、奇跡の結晶でございます。それが少ない土地は、どんな実を植えようと、花開かず、生物は痩せ細り、人々の活気も失われてしまいます。マナは、国力そのものなのです」
初めて触れた、この世界独自の法則に、キースは驚いた。
つまり、例えば作物を育てるには、水や栄養の他に、マナと呼ばれる魔力が必要不可欠で、これが少ない土地は、生産性そのものが低くなる、ということなのだ。
「第七領で、どれだけ畑を耕しても、収穫できるものは、たかがしれている、ってこと?」
「はい。仰るとおりです。マナに頼らず、大地を肥やそうと試したこともありましたが、芳しくありませんでした。マナの少ない土地には、必要な栄養が根付いてくれない」
「農作じゃなくて、たとえば、畜産とか、工業とかだったら?」
「同じく無駄です。第七領に滞在する生物は、痩せ細っていきます。また、大きな設備を稼働させるには大量のマナが必要です。安定した工業を続けられるほどのマナが、無いのです」
キースは天を仰いだ。
――あまりに、詰んでいる。
穴の開いた瓶に、水を満杯に入れろ、と言われているようなものだ。
そもそもの基礎となる要素が圧倒的に欠けてる領地の当主に、わざわざ転生してしまったのだ。どんなノウハウを持っていたって、失敗するしかないだろう。
放蕩を重ねていたという第七王子に苛立ちを覚えていたが、ほんの少しその気持ちが理解できた。こんなの、開き直って遊びまわるしかないじゃないか。
だが、少年は、ふと疑問を感じた。
マナが少ないから、どんな手も無駄である。ならば、マナを増やす手立ては無いのだろうか?
「クロシェ、マナに関してだけど、増やすにはどうしたら――」
その質問を投げかける直前に、コンコン、と、扉をノックする音が聞こえた。
クロシェは発動していた【領域の支配】を解除する。「どうぞ」と声をかけると、そこから、クロードが入室してきた。
深々とお辞儀をしたあと、口を開く。
「お嬢様。ハミルトン様と、シェラード様が、お見えになられました」
「――なっ……! 嘘、早すぎる……! 約束の時間までは、まだ……!」
「前の用事が済んだので、ご来訪されたと。ご用意ができていないようであればお待ちする、とも申しておりましたが……」
クロシェは――信じられないほど、狼狽した表情を見せた。
何度か視線を、空中でうろうろさせ……意を決したように、少年を見る。
「……説明が終わる前で、本当に申し訳ないのですが、もし、よろしければ、このまま、お食事会に来ていただけませんか」
「お、お食事会? どういうことだ、なんで君は、そんなに慌てて――」
「ハミルトン様とシェラード様との会話は、私が受け持ちます。貴方は座っているだけでいいです。でも、どうか――できるかぎり、マナーを守ってください」
キースは、全く話が理解できなかった。
何故、この妹はこんなにも慌てている。そして、マナーを守れ、という言葉に掛けられた圧が、尋常ではなかった。
彼女は、震えた目で、こちらを見ながら、こう、言った。
「それが【テーブル】のルール、ですので」
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