第十八話 一宿一飯の恩なんてっ!
「ここっす」
リアンが少年に連れられ辿り着いたのは、駅から十五分ほど歩いた住宅街の路地入ったところ、こじんまりとした一軒家だった。
偶然にも、寝泊まりしていた川原や銭湯に近い地域だ。
玄関先に設置された防犯用のセンサーライトで狭く照らす範囲しか分からないが、お世辞にも広いとは言えない庭には幾らかの鉢植えが飾られていて、少なくとも少年一人で
実家暮らしだという言葉を鵜呑みにして付いてきたが、嘘をつかれ連れ込む目的だった可能性もあり得たのだと今更ながらに想像し、そうではなかったことに心底ほっとしていた。
「ただいまー」
少年がインターホンを鳴らすと、すぐさま反応があり、数秒置いて鍵の開く音がし、玄関が開く。
中から現れたのはエプロン姿の恰幅のいい女性だった。
茶髪を低めに一つ結びしているが若見えし、母親なのか姉なのか、とリアンは戸惑った。
「おかえりなさい! まぁ! 友達が泊まるって言うから男の子だと思ってたのに、こんなかわいい子連れてきて! 彼女なら彼女って言えばいいのに……って、あら? あなたどこかで……」
「いや、あの、彼女とかじゃ……俺に何か……?」
『彼女』などというワードにドキリとし、顔が赤らめ挙動がおかしくなるリアン。
女性はその顔をしげしげと顔を眺めると、符号が一致したらしく顔の前で
「あ~! 銭湯で絹さんに絡まれてた子じゃない!」
「あ……」
間抜けな声が出る。
横にいる少年は話が掴めず、リアンと母親の顔を交互に見ている。
川原で出会った親切なおじーさんから教わった銭湯へ行った際、セクハラばぁさんから助けてくれたおねーさんだった。
めまぐるしくて、そんなことがあったことも忘れていた。
(お節介焼きは親子で似てるな……)
「こんなところで立ち話もなんだね! 寒かったでしょ! ささ、あがって!」
「お、おじゃまします……」
リビングに通され、促されるままグレーの二人掛けソファに腰かける。
程よい弾力があったのち、体がすっぽりと収まる。
母親はそのまま台所へ向かうと戸棚を探る。
「コーヒーは……もう夜だからやめたほうがいいね、……ココアなんかでいいかい? え~っと、名前は?」
「え……? えと……リアン……浅葱リアンです……」
「へ~、リアンちゃんって言うんだ!」
初めて自分の新しい名を名乗り、なんだか嘘をついてるようなむずがゆさを感じていた。
少年の食いつきぶりに、冷蔵庫から牛乳を取り出し、その扉を閉めた勢いで母親が少年の背後に迫る。
「
「いてっ」
「鉄……?」
母親の拳骨を喰らい頭を押さえる少年。その名前と思しきものを耳にしリアンは聞き返した。
気にはなっていたが、少年のほうからも聞かれないしで切り出せずにいたことだった。
「そ。俺は鉄、
「得意げに言ってんじゃないよ! 自分の名前も名乗らないのかい! ごめんねーリアンちゃん、ほんっと、こいつはぼーっとしてんだから……」
母親が呆れ口調で言いながら、片手鍋を火にかけてココアと牛乳を混ぜ合わせる。
泡だて器と鍋が打ち鳴らすリズミカルな音が微かに聞こえてくる。
「浅葱って珍しい苗字だよね。ってことはあの浅葱議員の親戚かなにかかい?」
(まずい……)
ココアを作る鉄の母親は背中しか見えず、どんな表情で訊いているのか読めない。
声色からは否定的なものは感じられないが、そんなものは分からない。
世間の父親――浅葱青一郎議員――に対する評価などまだリアンには知る由もなく、政治家と言えば悪いイメージしか持たれない、と思い込んでいるリアンとしては何としても隠し通したかった。
ともすると地雷を踏み兼ねない話題だからだ。
つくづく父親はどこまでいっても疫病神に思える。
せっかく暖かく迎えてもらったというのに……。
「えと……、浅葱、じゃなくて……あ、あさ、あさぎり……そう! 朝霧アンって言うんです、本当は……。ただ、アンって名前が単純であまり好きじゃなくて、普段はリアンって名乗ってるんです」
「あらぁ~。そうか、アンちゃんって言うのかい! おもしろい子だねぇ。まぁ、ゆっくりして行きなよ」
苦し紛れに言い訳を並べてしまう。
十分な間を置いた弁明は不自然極まりないが、何とか切り抜けられたようだった。
しかしこれで本当に嘘をついてしまった……
差し出されたミルクココアは優しい香りがしたが、なんとも言えない苦味が口の中に広がった……。
◇
「へぇ~。家出した先で出会った子が行方不明になったから捜してる?」
「はい……」
あまり詳しく話すつもりは無かったが、鉄の母親の質問攻めに逃れることもできず、口を開かざるを得なくなったリアン。
異世界とか言われても理解不能だろうから、ヒナについてはなんとなくそういうことにした。
行方不明ってのは嘘じゃないから……、と自分自身を納得させる。
「なんだかいろいろ複雑っすね~」
「ほんとだね。……さ、リアンちゃん。たくさん喋って疲れたろう。お風呂沸いてるから入ってきなよ~」
「え……いや、そこまで世話になるわけには……」
「遠慮なんかいらないって!」
背中を押され、脱衣場に押し込められる。
「石鹸やシャンプーは好きに使っていいからね! 体が冷えてるだろうから、しっかり湯船に浸かるんだよ!」
「あ、ありがとうございます……」
鉄の母親の勢いについ圧倒されてしまう。
こんなに押しに弱かったかと自分の性格を疑いたくなるが、ひとまずは厚意に甘えることにする。
圧倒されてしまうのは喋りの勢いだけでなく、彼女の恰幅のいい体のせいもあるかもしれない……。
服を脱ぎ、ひとときの休息を楽しむリアン。温泉の素なるものが入れられ、乳白色に濁ったお湯が、冷えたリアンの体を芯から温める。じわじわと血流が良くなっていくのを感じていた。
――その浴室の外では、母と息子のやり取りが行われていた。
「寝間着は……あたしのじゃイマイチだねぇ」
「母さんデカいから……」
「あんたので何か無いのかい? ん~、これとか……」
「いや、母さんそれは……!」
「まぁいいじゃないか。実は密かに楽しみなんだろ?」
「母さん! そんなんじゃないって!」
「はいはい。リアンちゃーん! タオルと着替え、ここ置いておくよー!」
「ありがとうございますー!」
風呂から上がり、体を拭いたリアンは用意されていた着替えを手に取る。
それは、白く、パリッとした……頭一つ近く大きいあの男の、ワイシャツ……。
たしかに、太ももの半分まで隠れることは隠れる。
ズボンなど所望しても、サイズなど合いそうもない。
下が何もなしじゃちょっと……と不安になり、さっき着ていた下着だけでも身につけようと見渡すものの、見当たらない。
ぶっかぶかのシャツをとりあえず羽織り、ボタンを全て留める。
途中掛け違えて留め直したのは誰にも言えない秘密である。
脱衣場を出てまだ濡れている髪をタオルで乾かしながら、おずおずと服のことを尋ねる。
「もう洗濯しちまったよ? 乾燥機かけておくから、明日の昼には乾くはずさ」
絶望……。
白い布一枚で一晩過ごすのは、段ボール一枚で野宿するより心細いものに感じる……。
「……」
「へ?」
「あ、いや……」
視線を感じて目を向ければ、鉄が不自然に顔を背ける。
自分の体を見下ろすが、透けてない。
ぶっかぶかだから前も後ろも上も下も、透けないはずだ。
謎の自信を持ってアサギは堂々とソファに腰かけ、ドライヤーで髪を乾かす。
父親が乱入してくることの無い、束の間の平和なひと時であった。
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