第29話 地獄はもぬけの殻、全ての悪魔は地上にいる
ワーグナー殿下はアリエスの受け入れ先を探しているようだ。
案の定、難航している。
アリエスを養女にしたところでメリットがないどころかデメリットだ。
彼女は何れ公爵家の養女になるという思いから身分が上の者であろうと無礼に振る舞い続けた。
身分階級を理解していない令嬢などを家に入れれば連座は免れない。
それにアリエスの家は既に没落している上にラーク家に借金までしている。
お金はあっても、それをドブに捨てることを厭うのが貴族というもの。アリエスが我が家に負った借金を返そうと思うもの好きはいない。
唯一のメリットは王族と関係を持てるところかもしれないけど相手がワーグナー殿下とあってはそれすらもデメリットとなる。
「お姉様、ワーグナー殿下がね私の為に養女にしてくれる家を探してくださっているのよ。ワーグナー殿下って本当に優しい人よね」
執務室で私はギルメールに教わりながら領地経営をしていた。そこへなぜかアリエスが押しかけて、客人用のソファーに腰かけて勝手に話し始めた。
「もちろん、ワーグナー殿下の元婚約者のお姉様はそんなことご存知よね」
マウントを取りに来たつもりなのだろう。
私はワーグナー殿下に優しくしてもらったことなんてない。それは私たち二人を近くで見続けたアリエスが一番よく知っていることだった。それを分かった上でアリエスは私に話を振る。
彼女の口角は終始上がっていた。
私に対して優越感を抱いているのがよく分かる。
「お姉様が私を養女にしてくださらないからワーグナー殿下にご迷惑がかかっているのよ。ちゃんと自覚してよね」
ワーグナー殿下はアリエスの為というよりも自分が男爵になるのが嫌なだけだと思う。
自分の子供を差し置いて他人の子を後継者にしたがる家なんてまずない。ワーグナー殿下は徒労に終わるだろう。
「そのお優しいワーグナー殿下はあなたの借金を返すことはしてくれなかったのね」
「そ、それは」
アリエスは言葉に詰まり、俯く。
「私はあなたが誰の子になろうとどんな未来を歩もうと借金さえ返してくれるのなら構わないわ。好きに生きなさい」
「随分とがめついんじゃないの?」
「借りたものは返す。常識の範疇だと思うけど。あなたこそ、踏み倒そうなんて貴族令嬢のすることかしら。まぁ、まともな令嬢ならまず借金なんてしないけど」
「お姉様はすぐそうやって私を虐める。そんなに私が嫌いなのっ!」
アリエスは部屋に響き渡るほどの大声で喚いて泣き出した。使用人達が何事かと様子を見に来る。執務室で泣くアリエスに戸惑いながらも「追い出しましょうか?」と目で問うてきたので私はお願いした。
両手で顔を覆いながら泣くアリエスだが、僅かに見えた口角が上がっていた。
これも彼女の計画の一部なのだろう。
今の私にはヴァイス殿下やギルメールがいる。それに使用人もアリエスの味方をすることはない。前の人生とは違うのだ。こんな杜撰すぎる計画に私がはまることはない。
「休憩になさいますか?」
書類を見る私の手が止まっていたことに気づいたギルメールが私の元に紅茶を持ってくる。
「ありがとう」
一口飲んで、心を落ち着かせてから考える。
杜撰な計画の決行日はいつだろうかと。
そう遠くはないだろう。これだけ喚いて私を悪者に仕立て上げようとしたのだから。周囲の記憶が鮮明に残っている内に動いた方が有利だ。なら決行日は数日以内。今夜という可能性もある。
「とある劇場作家が言ったわ。『地獄はもぬけの殻、全ての悪魔は地上にいる』と。本当にその通りね。人間というのは悪魔の代名詞だわ。獣だって自分の群れや家族を命がけで守るのに。人間は殺し合うのね」
私の独り言にギルメールは答えない。何と返していいか分からないのだろう。私も別に何か言って欲しくて言っていたわけではないので気にしない。
ただ愚痴が零れただけだ。
◇◇◇
side.ヴァイス
やって来た。
愚か者どもが俺の唯一を傷つけに。
「だだっ広い邸だぜ」
「さっさとすませて帰ろうぜ。何だか嫌な予感だする」
帰すわけがない。
「何だよ、お前。ここまで来てビビッてるのか。情けないな。楽な仕事じゃないか。良い思いをして金を貰えるなんて」
スフィアの邸の庭でならず者の男たちが話している様子を俺は木の上から見ていた。
「朝までは長いんだ。どうせならいっぱい楽しもうぜ」
「そうだな。それは良い案だ。俺とも是非、仲良くしてくれると嬉しい」
「誰だっ!」
自分たちの行いが犯罪である自覚のあるならず者共は警戒を強めながら周囲を確認する。
犯罪だと分かっているのならここまで来なければ良かったのに。そうすれば彼らにとって今日の夜も心安らかに眠れただろう。
だが彼らは来た。
安らかな眠りを与えてくれる夜はもう二度と来ないだろう。
俺の肩に乗っている蛇が早くやろうと急かして来るので武器を構えるならず者共の前に姿を見せる。
俺は長く国に居なかった為、俺の姿を見ても彼らが俺がこの国の第二王子であることに気づきはしない。まぁ、王子がこんな時間に一人で令嬢の邸の庭にいるとは思わないのでそれもあるだろう。
「貴族が雇った用心棒か?」
シャーッ、シャーッと急かして来る蛇を撫でて宥めているとならず者の一人が下卑た笑みを浮かべて俺に近づいた。
「なぁ、あんた。あんたはただこの邸に雇われただけなんだろ。見逃してくれよ。そうすれば分け前の内何割かをあんたにやってもいい」
前金くらいは貰っているかもしれないが、例え成功したとしても成功報酬を彼らの雇い主であるヨネスト伯爵夫妻が払うとは考えにくい。金にがめついからな。
伯爵夫妻の甘言に乗ってならず者共の手引きをしたあのアリエス(バカ女)に払える金は当然ない。踏み倒し決定だな。
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