第27話 誤算
side.ワーグナー
「な、んだと?」
今日、謹慎が明けた。
あんなつまらない女のせいで俺は父上から謹慎処分を受けていた。そもそも俺の婚約者があんなつまらない女なのがおかしい。いくら公爵令嬢でも俺には釣り合わない。
それなら見た目が良く、性格も良い。俺に相応しい女を選んで俺と釣り合うように身分を与えてやればいいと思っていた。
その点、アリエスは好条件だった。
見た目も性格も良く、スフィアと違って公爵との関係も良好。欠点は身分が低すぎることだ。だが問題はない。公爵はアリエスを公爵家の養女にすると言っていた。
それにスフィアは公爵令嬢だが公爵との仲は悪い。なら彼女と結婚しても得られる利益は無いに等しい。だからスフィアと婚約破棄してアリエスと婚約したのに‥‥‥。
「公爵令嬢になれないとはどういうことだ、アリエス」
謹慎が明けてすぐアリエスは俺に会いに来てくれた。そこで彼女は涙ながらに自分の身分が未だ男爵令嬢のままであることを語る。しかも彼女の両親が公爵家に負った借金の返済まで求められていると。
とんだ誤算だ。
「お姉様が、女公爵になって、きっと私とワーグナー殿下の婚約したのを恨んでいるんですわ。ワーグナー殿下に婚約破棄されたのは、お姉様の、せいなのに。私が、ワーグナー殿下を寝取ったと、お、お友達も、その話を信じて、みんな離れて行ってしまいました」
つっかえながらアリエスは俺が謹慎中にあった出来事を全部話してくれた。
「スフィアが、女公爵、本当なのか?」
「はい」
やり方を間違えた?
スフィアを正妻にしてアリエスを愛人にするべきだったか?
俺が心から愛しているのはアリエスだ。跡継ぎはアリエスとの間に子をもうけ、それをスフィアに育てさせるべきだったか?
いや、しかし、あんな女をお飾りとは言え王子である俺の妻としておくなどあり得ない。
「スフィアに会いに行ってくる」
「はい。ワーグナー殿下、どうかお姉様を説得してください」
当たり前だ。この俺が、俺の選んだ女が男爵令嬢などあり得ない。何としてでも公爵家の一員に名を連ねてもらわなければ。
「くそっ」
湧き上がる苛立ちを胸に俺は足早に公爵家へ向かった。
「さっさとスフィアを呼んでこいっ!」
公爵家の玄関ホールで俺は使用人に命じた。使用人は戸惑いながらも俺を応接室に案内して早々に部屋を出て行った。すぐにスフィアが来ると思っていた。
だが、待てど暮らせどスフィアは来ない。イライラしながら待っていると紅茶のお代わりが三杯目に突入した頃になってようやくやって来た。
「スフィア、女公爵になったからといって調子に乗り過ぎだ。王子である俺を待たせるなど許されるべきことではない」
「‥…先ぶれの手紙がなかったものですぐに対応できませんでしたご無礼お許しください」
許せというわりには頭を下げようともしない。どうやら本当に調子に乗っているようだ。自分の立場というものを分からせる必要があるようだな。
「この程度のことも対処できないとは嘆かわしいことだな。女公爵など貴様には過ぎたものということだ。身の程を弁えてすぐに身分を返すべきだと思うが」
「女公爵相手に先ぶれを出さずに来る者はおりません。身分が高いものほど礼節を重んじる故、尚更です」
スフィアのくせに俺に口答えするのか。
ダンッと怒りに任せてテーブルを殴ったがスフィアは静かに俺を見つめるだけ。普段のこいつなら俺に口答えなんてしないし、声を荒らげれば馬鹿みたいに怯えて言うことを聞いていた。
「それと殿下、私の名前を呼ぶのはお止めください。もう私はあなたの婚約者ではありませんので」
「俺に命令するのか」
額に浮き上がる血管が今にはち切れそうだ。
「婚約者でもない相手の名前を呼ぶのはあらぬ誤解を招くことになります。殿下の新しい婚約者であるアリエスに変な誤解を与え。悲しませるのは殿下も本位ではないでしょう」
まるでアリエスのことを気遣っているような言い方をする。俺に自分は優しい人間だとアピールしているつもりか。浅ましいな。お前がアリエスにどのような仕打ちをしているのか全てアリエス本人から聞いている。
お前のような愚図に騙される俺ではないのだ。
「俺が何も知らないと思っているのか?全てアリエスから聞いているぞ。お前がアリエスを公爵家の養女にしないことと、借金の返済を迫っていること」
「それが何だと言うのですか?」
開き直りやがった。
「借りたものは返す。平民の子供でも知っている常識ですが」
「アリエスが借りたわけじゃない」
金を借りたのも、こんな悪辣な女のいる家に金を借りるなんて愚かな真似をしたのも全部アリエスの両親である男爵夫妻だ。親の罪が子供に関係ないのと同じだ。アリエスが背負うべきことではない。
「アリエスの食費、彼女の持っているドレスや装飾品は全て男爵夫妻がラーク家から借りたお金で賄っていました。それでも返す必要はないと?」
貴族のくせに金にがめつい女だな。女公爵とは言え所詮はスフィア。程度が知れている。
「そもそも男爵家が困窮した原因の一つにアリエスの散財があります。彼女には十分支払い義務があると思います」
「しかしアリエスには」
「ええ、今の彼女には返済は無理です。その場合は婚約者が肩代わりする方法もありますわ」
そう言ってスフィアは男爵家がラーク家に借りた金の借用書の写しを見せて来た。そこに書かれた金額は領地一〇年分の年収に相当する。
こんな金額払えるわけない。
王子には国から与えられた予算があるが第三王子である俺に与えられる予算は少ない。またその中から公務で着る衣装なども誂えたりするので俺の手元に残る金は微々たるものだ。
「公爵家の養女にすればこの問題は解決するはずだ」
「解決にはなりません。ただの踏み倒しです。それとアリエスを養女にすることはありません。その必要もありませんし」
「あるだろ!それでも女公爵かっ!公爵家の跡継ぎはどうするつもりだ。俺と婚約破棄をしたお前にまともな縁談なんぞ来んぞ」
「それこそあなたには関係のない話ですね。あなたに何を言われようとアリエスを養女にするつもりはありません。仮に後継ぎに困ったとしても養子には分家筆頭から選びます。分家の中でも底辺、それも没落した家から選ぶことはありません。それと後継者問題に対して王家は不介入が鉄則です。第三王子殿下であるのなら知っていると思ったのですが?」
関係ないだと?
俺はアリエスの婚約者だぞ。こいつの従妹の婚約者である俺には関係ないはずがない。そうか、やはりこいつは嫉妬しているんだな。俺がアリエスを選んだから。だったら素直にそう言えばいいものを本当に可愛い気がない。
こいつが素直にさえなれば愛妾にぐらいしてやるのに。地味でつまらない女だがそこそこ良い体はしているからな。それだけ見れば王子である俺の愛妾に相応しい。
「俺はアリエスの婚約者だ。無関係ではない」
「いいえ、無関係です。アリエスは確かに私の従妹でありますが、ラーク公爵家の人間ではありません。彼女には当然ですが継承権はありません。彼女が継げるのはご実家のヘルディン男爵家だけです」
は?
おかしいだろ。俺は王族だぞ。その俺が嫁ぐ先が男爵家?あり得ない。王にならない王族の嫁ぎ先もしくは降嫁先は上位貴族と決まっている。男爵家などあり得ない。常識だろ。そんなこと。そんなことも分からないのか。
「男爵令嬢であるアリエスを選んだのは他ならぬあなたです。身分よりも愛を選んだ。素敵な話ですね。物語にしたいくらいですわ」
「っ」
冗談じゃないっ!
「俺は王子だっ!男爵になるなんて真っ平だ。あいつが公爵家の養女になるから選んでやったのに。こんなのは俺の人生計画にはない。今すぐ婚約破棄だ。喜べ、スフィア。俺がお前の婚約者に再度なってやる。だから今すぐ公爵位を寄こ、ひっ」
ひんやりとした何かが首に巻き付いた。
視線だけを動かすと蛇が首に巻きつき「シャーッ」と俺を威嚇している。
「な、何で、蛇、が」
「なぁ、ワーグナー。愚弟よ、お前が今言ったことをもう一度言ってみてくれないか?」
「あ、あ、ヴァ、ヴァイス。何で、お前がここに?」
スフィアの差し金か?
いや、スフィアも驚いている。ということは彼女は関与していない。ならどうしてヴァイスがここにいる?
「お、お前、側妃の子の分際で、せ、正妃の子である俺に手を出していいと思っているのか?」
「きっと陛下も王妃陛下もお喜びになるだろう。王家の問題児が片付いたと」
「な、何だと」
「それよりも、ねぇ、もう一度言ってみてくれないか?さっき、お前は俺のスフィアに何を要求した?」
「俺の、スフィア?」
「そう、俺のスフィアだ」と言ってヴァイスは戸惑うスフィアの横に行き、何の躊躇いもなく彼女の腰を抱いた。
「ヴァ、ヴァイス殿下っ!」
顔を真っ赤に染めるスフィアにヴァイスは顔を近づけ「可愛いね」と囁く。するとスフィアは赤い顔を更に赤くした。スフィアのこんな顔を見るのは初めてだった。ずっと俺の婚約者だったのに、いつも俯いてばかり。陰気な顔しか見せなかったのに。
そうか。俺が第三王子で、ヴァイスが第二王子だからか。何て悪辣な奴だ。
「お前、婚約者の俺がいながらヴァイスと関係を持っていたのかっ!うわっ」
更に多くの蛇が現れて俺の体に巻き付いて来た。
「お前の婚約者はアリエス・ヘルディン男爵令嬢だろう。フリーになった彼女を俺が口説いても何も問題はないはずだ。それと彼女の名誉の為に言っておくが諸外国を渡り歩いていた俺に彼女と浮気をするなんて不可能だ。お前の婚約者だった時の彼女は不貞など働いていない。不貞を働いた馬鹿はお前だけだ」
「俺は真実の愛を見つけただけだ」
「はっ。何が真実の愛だ。公爵になれないと分かった途端にスフィアに乗り換えようとしたくせに。随分と都合の良い愛だな」
「黙れ、ヴァイス。側妃の子であるお前が俺に口答えするなど許さぬぞ。立場を弁えろ。そ、それにスフィアは元々俺の婚約者だったろうが。どう扱おうが俺の勝手だ」
「言葉に気をつけろよ下種」
「ヒィッ」
ヴァイスから体を貫くような鋭い殺気が飛ばされた。
「ぎゃっ」
体に巻き付いた蛇が俺を噛み始める。毒蛇じゃないだろうな。野蛮な獣人風情が俺の体に傷をつけるなんて。
「安心しろ。毒蛇ではない。だが、言葉が過ぎればそれもあり得る。十分に気をつけて生活することだな」
「お、俺を脅すのか。お、俺は」
「両陛下には許可を貰っている」
「何だと」
「信じられないのなら確認しに帰ったらどうだ」
あり得ない。父上と母上が俺を見捨てたとでも?
正妃の子は確かに俺だけではない。ヴィトセルク兄上がいる。でも、もしヴィトセルク兄上に何かあれば正妃の子は俺だけになるんだぞ。生まれた順に関わらず継承順位は正妃の子が優先のはずだ。まさか俺を排除してこんな野蛮な獣人の継承順位を繰り上げたりしないよな。
「ぎゃあっ」
蛇が俺の大事なところに噛みついた。
「ほら、蛇共がさっさと帰ろと促しているぞ。ここに留まってご自慢の生殖機能を失うのも一興だぞ。嫌ならさっさと帰ることだ」
「っ」
欲も俺にこんな真似を父上と母上に言いつけてやる。ヴァイスだけじゃない。スフィアにも思い知らせてやる。
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