第25話 狂気の愛情
「そう。アリエスに接触したのね。節操のない人たち」
ギルメールに頼んで伯爵夫妻には見張りがついていた。彼女たちは前の人生では私の名前を利用して私を殺そうとした。でも今世ではアリエスを利用することにしたようだ。
私が操りにくいから私を殺してアリエスを女公爵にして陰から操ろうと考えているのだろう。ただ、アリエスを女公爵にするには私を殺す前に彼女を養女にすることと次の公爵にする趣旨の書類にサインさせなければならない。
次の公爵の任命権は現公爵にある。お父様にその権利がなかったのは公爵家直系ではなく中継ぎの公爵だったから。
前の人生でアリエスとワーグナー殿下に公爵家を乗っ取られたのは私が公爵家を継ぐことに積極的ではなく、何も主張しなかったからできたことだ。
ただ、どのような手で公爵家を乗っ取ったとしてもアリエスもワーグナー殿下も公爵家を継ぐ器ではない。私の死後どうなったかは分からないけど没落は免れなかっただろう。
「女公爵様の周囲の警護を強化しましょう」
「いいえ、このままでいいわ」
「しかし」
ギルメールは絶対に強化するべきだと言うが、ある程度隙があった方が良いだろう。
「ご自身の命を囮に使われるのですか?」
「被害が拡大する前に迅速に対応すべきでしょう。叔母様たちが私の命を狙っているように公爵家は一枚岩ではないわ」
一枚岩のような立派な貴族家なんて存在しないでしょうけど。貴族とはどこまでも欲深く、浅ましい生き物だ。
「だからと言って許可できません。もしものことがあったら。あなたは女性なんですよ」
あの人たちが前回と違って暴漢を雇って私を襲わせた場合、命が助かっても、たとえ何もなかったとしても傷物になったとして今後の縁談にも大きく影響されるし、一生嘲笑の的になるだろう。ギルメールはそのことも懸念しているのだ。
「ギルメールの心配は分かっているわ。それでも確実性を重要視したいの」
私が絶対に折れないと考えたギルメール深いため息をついた後条件付きで許可を出した。その条件がヴァイス殿下に相談することだった。これには驚いた。
身内に命を狙われているなんて外聞の悪い話だ。家の恥として外に広まらないように情報を遮断することなのに無関係なヴァイス殿下に相談するなんてあり得ない。
それに彼は王子だ。王族を巻き込んで良いはずがない。彼にもしものことがあれば責任は当然巻き込んだラーク家にある。処分は免れないだろう。それが分からないギルメールではないのに。
私の反論になぜかギルメールは乾いた笑みを浮かべた。
「寧ろ黙っている方が危険ですよ」
「?」
私が首を傾げるとギルメールはどこか遠くを見る。その目は悟りを開いた司祭のようだった。いったいギルメールとヴァイス殿下の間に何があったんだろう。気になるけど知らない方が良い気がする。
◇◇◇
ということで、ギルメールに急かされるようにヴァイス殿下に相談したいことがあるので時間を作って欲しいという趣旨の手紙を書いたらなぜかヴァイス殿下が飛んできた。それもご機嫌な様子で。何かいいことがあったのだろうか。
「スフィアから手紙を貰えるなんてとても嬉しいよ」
ち、近い。
ヴァイス殿下はなぜか正面ではなく私の真横に座って、さっきから私の髪を指に絡めて遊んでいる。
髪を触る癖でもあるのかしら。だったら自分の髪を触れば良いのにどうして私の髪?
「しかも相談事があるんだって。頼って貰えるなんて光栄だ」
ちらりと使用人たちに目を向けるがみんな見て見ぬふり。それどころか給仕を終えると仕事は終わったとばかりにみんなそそくさと部屋を出て行く。
まさかのヴァイス殿下と二人きり。いや、これから話す内容は外部に漏れたら困るから人払いはしないといけなかったからちょうどいいんだけどさ。何か、みんな勘違いしてない。
「それで、スフィア。君を煩わせる不届きものはどいつかな?何でも言って。君を悩ますものなんて全て排除しよう」
「‥‥‥」
「二度と君の笑顔を曇らせることのないように」
笑っているのに背筋が凍るほど怖い。ヴァイス殿下から黒い靄が出ているような錯覚がする。
ヴァイス殿下の手が髪から私の頬に移る。冷たい彼の手が私の頬を撫でる。撫でられたところから体温が奪われるみたいに寒くなる。
「スフィア、話して」
「っ」
話したらマズいかもと思ったけど気が付けば私は伯爵夫妻のことを話していた。全部話し終わった後、部屋の温度が急激に下がった気がした。もちろん、物理的に下がっているわけではないので私の錯覚に過ぎないのだが。
「ふぅん、そうか。今世でも。そうか、そうか。馬鹿は死んでも治らないって本当だな。次はどうやって殺してやろうか」
「ヴァ、ヴァイス殿下?」
ぶつぶつと何かを呟くヴァイス殿下の背後から出る黒い靄が徐々に濃くなっている気がする。
「ヴァ、ヴァ、ヴァ、ヴァ、ヴァ、ヴァ、ヴァイス殿下っ!!」
ヴァイス殿下はにっこりと笑った後、私を抱きしめた。
分厚い胸板。爽やかなシトラスの匂い。
「△■×●◇※△■×●◇※」
顔が熱い。今、誰にも顔を見せられない。絶対に赤くなってる。
「何も心配する必要はない。俺が守るから。あなたを害そうとする者、あなたを煩わす者、全て俺が排除しよう」
「‥…ヴァイス、殿下」
私顔を上げてヴァイス殿下を見る。うっすらと笑った彼の目には深淵があった。光が一切届かない深淵は何もかも、ヴァイス殿下本人さえも飲み込んでしまいそうなほど深いように思えた。
「愛してる、スフィア。君だけを永遠に愛してる」
ヴァイス殿下の冷たい唇が私の唇に触れた。触れるだけの優しいキスだった。私が彼のキスから逃げないのを確認するとそのキスは徐々に深くなっていく。
呼吸を奪うような激しいキスに私はどうしたらいいか分からず、縋るように彼の服を掴む。
「っ、ヴァ、イ、ス、殿、下」
気が付いたら私はソファーの上に押し倒されていた。私を見下ろすヴァイス殿下は涙を流してはいないのに泣いているように見えた。
何が彼をそんなに追い詰めているのだろうか。
彼の頬に触れる為に伸ばした手をヴァイス殿下は掴んで、頬ずりする。
「俺から君を奪うものなんて全て滅んでしまえばいいのに」
「どうして、そこまで」
私にそこまでの価値なんてないのに。
「愛している、スフィア。俺の唯一。もう二度と誰にも君を奪わせない」
それはまるで慟哭のようだった。
今にも壊れそうな彼を拒むことは私にはできなかった。
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