第23話 鬼は他者の裡にも鬼を見る
side.アリエス
お姉様が完全に女公爵となった日から私の生活は一変した。誰も私をお茶会に誘わなくなった。私が公爵家の養女になるのは確定していた。お父様も私のことを実の娘のように扱ってくださった。
けれど私は未だに男爵令嬢のまま。しかもただの男爵令嬢ではない。借金を抱えた没落貴族としての烙印まで押されてしまった。
「っ。スフィアの分際で」
どうしようもない怒りがわいてくる。
しかもお姉様はお披露目パーティーの時にどういうわけかヴァイス殿下と一緒にいた。第二王子であるヴァイス殿下。彼ととても親し気だった。
私の婚約者であるワーグナー殿下は第三王子だ。
あの女はどうあっても私の上に立ちたいらしい。嫌な女だ。
「アリエスお嬢様」
「何よっ!」
私がわざわざ返事をしてあげたのに部屋にいた私付きの冴えない侍女はびくりと怯えた。まるで私が彼女に意地悪をしているみたいじゃない。
嫌なのよね、ああいう女。
自分はか弱いですってアピールして男に守ってもらおうとするなんて浅ましい女。さすがは浅ましいスフィアが選んだ侍女ね。
「あの、お手紙が」
おどおどしながら出してきた手紙を受け取った序に私は彼女に解雇通告をする。
「お、お嬢様、私は」
ポロポロと涙を流す侍女。
私みたいなかわいい子が涙を流すなら分かるけどあんたみたいなブスが涙を流したって不細工な顔が更に不細工になるだけじゃない。
「さっさと荷物をまとめて出て行ってくれる?」
紹介状のない侍女が同じ仕事に就くことは難しいって話は聞いたことがあるけど紹介状を書いてあげるつもりはない。
きっと彼女はそうやって涙を流して、か弱いアピールをして主人の男を誑かせようとするのだろうから同じ仕事に就けられないようにしてあげるのは英断だと思うし。
「公爵家でお茶会、いいわね」
手紙は知り合いの令嬢からだった。子爵令嬢如きが私に提案するのはどうかと思うけど公爵家でお茶会をすることで私と公爵家の関係をアピールすることもできる。
「まだよ、まだ私が公爵家の人間になる未来が潰えたわけじゃない」
お姉様は今までに知っているお姉様とは違う。でもどう変わろうとも所詮はスフィアだ。
泣き落としか、無理でも別の方法でお姉様を今の地位から引きずり落とせばいい。どんなにヴァイス殿下と仲が良くても所詮知り合い程度だろう。
私はワーグナー殿下と婚約までしている。私の方が強い。それにスフィア如きに落とされるような男だ。私が本気を出せばヴァイス殿下だってきっと私の方が良いと思うに決まっている。
だってスフィアよりも私の方が可愛いもの。
私はさっそくお茶会の準備を始めることにした。
「お嬢様、女公爵様の許可も得ずに邸でお茶会をするのは」
さっきの冴えない侍女は泣きながら部屋を出て行き、代わりに別の侍女が部屋に入って来たがどいつもこいつも使えない。
侍女如きが私に意見をするなんて。
「うるさいわねっ!立場を弁えなさいっ!」
やっぱりお姉様に女公爵なんて無理なのよ。侍女の躾もろくにできていないじゃない。分不相応なことに手を出すから恥をかくことになるとお姉様には教えてあげないとね。
お姉様ではなく私こそが女公爵に相応しいのよ。だって私はお父様の娘だもの。
この時の私は何も分かっていなかった。自分の信じていた世界が瓦解していく音に。
◇◇◇
お茶会当日
「‥‥‥」
何?どういうこと?
「まぁ、リオネス様。お久しぶりですわ」
「リオネス様もご招待を頂いたのですか?」
「いいえ。私はルシフェルにお茶会のことを聞いて、不作法と知りつつもお邪魔をすることにしたんです」
ルシフェル・ル・レ―ヴェル、貴族の癖に商売をしている平民のような女。そして私にお茶会の提案をして来た人間。彼女が連れて来たのはリオネス。
リエンブール王国王太子の妃で元侯爵令嬢。つまりはここで一番身分の高い令嬢になる。
彼女の後ろには灰色の髪に薄水色の目をした騎士が一人立っていた。男の癖に美しい顔だち、白磁の肌をした彼は物腰が柔らかく、優しいと令嬢たちの中で評判のエーベルハルト・ウィシュナー。
ヴィトセルク殿下の専属護衛騎士だ。
「殿下が心配してエーベルハルト卿をつけてくださったんです」
何それ。自分は愛されていますってアピール?
女の癖に剣を扱う野蛮人を一国の王太子が本気で愛するわけないじゃない。しかも彼女、剣術大会で優勝したこともあるらしいけどそんなのおぜん立てされた大会に決まってるじゃん。そんなことも気づかずに調子に乗って。
「殿下は本当にリオネス様を愛していらっしゃるんですね。羨ましいですわ」
こんなのお世辞に決まっている。
「私には勿体ない程素敵な方ですわ」
ああ、あんたには確かに勿体ない。
つぅか、いつまで主催者の私を無視してお茶会を進めるわけ?
主催者は私だけどリオネス様に私から話しかけることはできない。元侯爵令嬢で身分は何れ公爵家の養女になる私よりも身分は低いけど今は王太子妃だ。貴族社会のそういう規則って本当に面倒だしややこしい。王太子妃だから何よ?所詮は侯爵令嬢じゃない。公爵令嬢になれる私の方が身分は上なのに。気に入らない。
「少々、よろしいですか?」
私がイライラしているところに更にイライラさせる存在がお茶会に乱入して来た。
「まぁ、ラーク女公爵」
リオネスがすぐにお姉様に挨拶に向かう。私のことは無視したくせに。
「お久しぶりです、リオネス様」
お姉様は私が招待した客人を見渡してから私に視線を止める。
「どうかしたんですか?」
立場を分からせてやろう。
私は怯えたような態度でお姉様を見る。それはまるで私が常時、お姉様にいびられているかのように。私は何も言っていないわ。周りが勘違いしただけ。お姉様を今の地位から引きずり下ろすなんて簡単なんだから。
親を亡くした可哀そうな私に手を差し伸べない人だもの。周りだってお姉様が私を虐めていると信じても仕方がないわよね。お姉様が少しでも私を助けようと公爵家に受け入れていたらこんな勘違いは起きなかったのに。本当、馬鹿なんだから。
「お庭が随分と賑やかだったから見に来たのよ。公爵家の主として何が起こっているのか現状確認をする必要があるからね」
「えっ、もしかしてラーク女公爵は何もご存知なかったんですか?」
「ええ」
何よ。どうしてみんな驚いているの。私がどこで何をしようが私の勝手でしょう。いちいちこの女の許可がいるわけ。
「アリエス、ここは私の邸よ。そこでこういう勝手な真似は止めてくれるかしら」
首を傾げ困ったわとでも言いたげな表情をするスフィア。彼女がどうしてこんな顔をするのかは分かる。リオネス様について来た護衛騎士にアピールしているのだ。
自分はか弱い女だってアピールして、媚を売って、ついでに私が悪人であるかのように貶めようとしている。何て女だ。どんな男にでも媚を売って、尻尾を振って。汚らわしい女。
「酷いですわ、お姉様。ここは私の邸でもあるのに」
そんな手に引っかかるほど私は馬鹿じゃじゃないのよ。
私は目からほろりと涙を零す。これだけでいい。これだけでみんな私が可哀そうな子だって分かる。
「いいえ、ここはあなたの邸ではないわ。あなたはだたの居候。庇護してくれる両親はおらず、邸は借金返済に充てたから行く場を失ってしまった可哀そうな男爵令嬢を置いてあげているだけ」
「まぁ、本当にラーク女公爵様はお優しいですわね」
はぁ!?ちょっと、今のどこが優しいって言うのよ。あんた馬鹿じゃないの。ルシフェルの言葉に更にいら立ちが募る。彼女は私を見てくすりと笑った。
こいつ、スフィアと組んで私を貶めるつもりだ。
「ラーク家に借金をした状態でラーク家のお金を湯水のように使い、しかも女公爵様の婚約者まで奪うような恩知らずを置いてあげているなんて私には到底真似できませんわ」
ルシフェルの言葉は一見、スフィアをお人好しだと貶めているように感じるけどこれは違う。そう見せかけて私の情報を周囲に周知させているのだ。既に周知されているであろう情報にも関わらず再度口にするだけでみんなに印象付けようとしている。
ルシフェルは公爵家でお茶会をするよう提案して来た令嬢だ。最初からスフィアとグルだったんだ。嵌められた。
「私が甘やかしすぎたから勘違いをさせてしまったのね。アリエス、ごめんなさいね。でもね、あなたを公爵家に迎え入れることはできないの。公爵家は私が継いだし、後継者もそのうちできるでしょうし」
どうやらスフィアは現実が見えていないようだ。
「あんたにまともな縁談が来ると思っているの?婚約破棄された傷物令嬢なのに」
「ええ。少なくとも男を寝取ったはしたないあなたよりもね」
まるで私が婚約破棄されるような物言いだ。
「そんなはしたない髪で?」
「あなたの婚約者がやったことですけどね。それともし何かの間違いで後継者ができなかったとしても分家筆頭から順に相応しい子を養子に迎え入れて育てるつもりだから。間違っても没落寸前の男爵家から選ぶことはないのでアリエス、公爵家の一員のように振る舞ったり、ラーク家の侍女を勝手に解雇しようとしないでくれる?そんな権限は与えていないわよ」
「まぁ、そのようなことをアリエス様はされたのですか?」
今まで黙って聞いていたリオネス様はわざとらしく驚いてみせる。
するとそれに追随するように「信じられない」「どんな神経しているの」「公爵家においてもらっているだけでもあり得ない状況なのに」と私を批判する。まるで私が間違っているかのように。そうすることでスフィアに媚びているのだろう。権力に群がる害虫共が。
「彼女たちには一時的に職場を移動させましたの。今はアリエスと顔を合わせないように侍女頭に頼んで仕事させていますわ」
「正当な理由があるんですの、お姉様」
何とかこの空気を変えないと。そうだ!招待した令嬢たちはみんなスフィアに寝返った。でも一人だけ私の味方をしてくれそうな人がいる。
エーベルハルトだ。私は彼を見る。すると目が合った。大丈夫だ!彼は優しいと評判だし、この状況できっと私に同情してくれているはず。
私は目を潤ませてちらちらと彼を見ながら言う。
「あの侍女たちは公爵家の侍女なのに、男の方に色目を使いますの。ワーグナー殿下が私に元に来てくださった時からずっとそうでしたの。ずっと我慢していたんですけど、つい限界が来てしまって」
くすりと泣く。ちらりとエーベルハルトを見るが、彼は動こうとしない。どういうこと?か弱い女が泣いているのにどうしてハンカチの一つも出さないの?
「彼女たちは仕事として客人として見えられた殿下をもてなしていただけよ。普通の令嬢ならそれだけで男に媚を売っているとは思わないわ。でもあなたは勘違いした。それは仕方のないことね。だってワーグナー殿下は今、謹慎中であなたに会えない状態。彼が訪ねて来たのは謹慎前のことだから」
スフィアは自分の婚約者だった時のことだと匂わせる。
そっと近づいて来たスフィア。次に何をするつもりだろうと身構えた私の耳元で彼女は「鬼は他者の裡にも鬼を見る。自分が男に媚を売っていたんだもの。周囲の令嬢も同じだと勘違いするのはよくあることよ」と言ってきた。
私は思わずスフィアの頬を思いっきり叩いてしまった。
周囲が静かになる光景と頬を叩かれたスフィアの体が後ろに傾く光景がまるでスローモーションのように見えた。
「ラーク女公爵」
近くにいたリオネス様が咄嗟にスフィアを支えたから彼女が地面に倒れることはなかった。
やってしまったと思った。彼女の挑発に乗ってしまったと思ったのは叩かれた時に私を見て彼女が笑ったからだ。
「アリエス様、幾ら何でもあなたおかしいんじゃありませんの。ラーク家で好き放題して、ご自分が女公爵にでもなったつもりですか?あなたなんてラーク女公爵の慈悲でここに置いてもらっているだけ、本来ならいつ追い出されてもおかしくはないんですのよ。それなのに、このように暴力を振るうなんて。ご自分の立場をもっと自覚なされた方がよろしいですわよ」
リオネス様の強い叱責が私の耳をつんざく。周囲を見渡すと敵意しかなかった。助けを求めるようにエーベルハルトを見るが彼は静観するだけで何も言ってはくれない。
「ラーク家に負った借金を返す為にさっさと自活するべきなのにいつまでもしがみ付いて。まさかとは思うけど今日のお茶会もラーク家のお金を使ったんじゃないでしょうね」
「っ」
「アリエス、今日私が顔を出したのは許可もなくお茶会が邸で行われていたからだけではないの。我が家に未払いの請求書が来たわ。お茶会にセッティングされているものをあなたラーク家の名前を使って購入したのね」
当然じゃない。だって、ラーク家で開催するお茶会なんだから。それに私、お金を持っていないし。
「あなたはラーク家の人間ではないわ。例えラーク家の邸で暮らしていてもね」
それはスフィアが私をラーク家の養女にさっさとしないからでしょう。だからこんな面倒なことになっているんじゃない。私のせいじゃないわよ。
「だからラーク家のお金は使えないの。あなたが使えるお金はワーグナー殿下から支給されたものだけよ」
「でも、ワーグナー様は」
「ええ。今は謹慎中ね。あなたもその間は大人しくしているべきじゃない?」
どうして私が?
婚約破棄が問題なら、それは破棄されるスフィアが悪いんでしょう。
騒動を起こしたことが問題ならそれは騒動を起こしたワーグナー様が悪いんじゃない。私は何も悪くないわ。
「ワーグナー殿下の謹慎が解け次第、あなたの処遇について考えるわ。皆さん、申し訳ありませんが今日はお引き取り下さい。後日、公爵家から正式な謝罪を致します」
「ラーク女公爵のせいではありませんわ」
「ええ。ご自分の立場が理解できていなかったアリエス様の責任ですわ」
みんな口々に私を罵って帰って行った。私が男爵家の人間だからって馬鹿にして。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます