あなたが今後手にするのは全て私が屑籠に捨てるものです
音無砂月
第1話 回帰前
「スフィア・ラーク、お前との婚約を破棄する」
「ワーグナー、殿下‥‥‥何を、急に」
「お前のような暗い女は王族である俺の婚約者に相応しくはないっ!俺はこのアリエスと婚約する」
「ごめんなさい、お姉様。お姉様には悪いと思ったんだけど、私、ワーグナー様のことを好きになってしまったの。お姉様とワーグナー様って政略なんでしょう。だったら別にいいわよね。そこに愛があるわけでもないし、それに私もラーク公爵家の人間だから何も問題はないはずよ」
「お、お父様がそんなこと許すわけが」
「許可ならもうもらっているわ。無能なお姉様よりも私の方がワーグナー様の婚約者に相応しいって。当然よね。私はお姉様と違って特別なんだから」
生まれた時から私の世界は灰色だった。
息を殺して、感情を殺してただひっそりとそこにいた。そうすれば誰にも殴られなかったから。でも、そんな私を婚約者であるワーグナー様はお気に召さなかった。
だったらどう生きれば良かったの?
暴力を振るわれることを承知で自分を通せば良かったの?
誰もその痛みを肩代わりしてくれないのに。
私とワーグナー様の婚約は破棄された。
アリエスは元男爵令嬢。彼女の両親が事故で死んだ為、親戚であるラーク公爵家が養女として迎え入れた。
父アトリは婿養子で、お母様が彼に一目惚れをしたので身分差はあるけど結婚することができた。アリエスは父の姪にあたる。
そのせいか、父はアリエスを殊の外可愛がっていた。逆に母に似ている私を嫌っていた。
公爵家の力を使って父と結婚した母のことが好きではなかったのだろう。
王族から婚約破棄され、庇ってくれる家もない私は「婚約破棄された傷物令嬢」「余りもの」と揶揄された。そんな私にまともな縁談なんて来るはずがなくすぐにでも家を追い出されるだろうと思っていた。
ところが鉱山を持ち、貿易業で財を成している。今や上流階級ですらも無視できないほどの資産を持っているキンバレー子爵家から縁談の申し込みがあった。
「お前のような娘でも役に立つこともあるんだな。さすがは権力で物を言わせて男を手に入れる女の娘。男を手玉に取るのは上手いと見える」
父は私をそう蔑み、喜んでその縁談を受けた。
縁談の相手はダハル・キンバレー。使用人を母に持つ妾の子だけど年齢は二十六歳。私は十八歳だから年齢差は問題ない。祖父の年齢のような人に嫁がされるよりはマシかとその時は思った。まさかあんな地獄が待っているとは思いもしなかった。
◇◇◇
バシンッ
頬に強い衝撃が走り、体は後ろに飛ばされた。その際に近くにあった棚に背中を強打する。痛みで一瞬息がつまりかけたけど休む暇もなく体中に衝撃が加えられる。
腹部を蹴られ、髪を鷲掴みにされ再度顔を殴られる。
「何度言えば分かる?君は僕の妻だ。僕以外を見ることは許さない」
「わ、私は、あなた以外を、見て、など、おりません」
痛みに耐え何とか口にした言葉。しかし、ダハルには届かない。
バシンッと頬を叩かれた。
「嘘をつくな。ではなぜあの使用人はお前を見つめていた?」
ダハルが誰のことを言っているのか分からなかった。本当に心当たりがなかったからだ。だって私はいつも部屋の中で過ごしている。部屋の外に出るのは食事の時だけだ。
食事は必ずダハルと摂らなくてはいけない。決められた時間に少しでも遅れることをダハルはとても嫌う。
「君は僕のものだ。僕以外の人間を見ることは許さない。分かるか、スフィア?君はもう僕のものなんだよ」
そう言ってダハルは私を抱きしめる。
「ねぇ、スフィア。どうして震えているんだい?まさか、僕が怖いの?」
「い、いいえ」
「そうだよね。妻が夫を怖がるなんておかしいよね。もしかして僕が君を殴ったのを怒っている?でもね、それは君が悪いんだよ。僕のことだけを見ないから。僕だけを愛さないから」
怖い。
彼は毎日、何回も何十回も私に「愛している」と言う。その目に狂気を宿しながら。
彼が私に告げる愛の告白は脅迫だ。同じだけ愛さなければ許さない。同じだけ想わなければ許さないと彼はたった一言、たった五文字の言葉にそんな脅迫を乗せてくる。
そんな生活を送っていると次第に食が細くなり、何も食べられない日が続くようになった。そんな私を使用人はまるで空気のように扱った。
ダハルは自分以外の人間が私に近づくのも触れるのさえ許さなかった。だから下手に私に関わって解雇されたくはないのだろう。それに解雇だけならまだいい。私を見たというだけで目を抉られた使用人もいる。使用人にとって私は厄病神のようなものなのだろう。
だけど恐れずに近づく使用人もいた。恐らく優しさからだ。その優しさが私と自分の首を絞めるだけだとも知らずに。
「あの、大丈夫ですか?」
唯一の安らぎの時間。それは部屋で一人過ごすこと。私がテラスにある椅子に腰かけてぼーっと外を眺めていると若い庭師の男が話しかけてきた。
「これ、俺が植えた花なんです。大した慰めにもならないかもしれませんが元気だしてください」
そう言って庭師の男は私に花を差し出した。私がそれに対して拒否の言葉を発しようとした時、ぐしゃりとその花は握りつぶされた。
握りつぶしたのはダハルだった。
体が震えた。
怖くて、怖くて仕方がなかった。
「何をしているの?」
「ダ、ダハル、あの」
「どうして君は僕のものにならない?どうすれば僕だけのものになる?」
庭師の男は私の目の前で両腕を切り落とされ、首を刎ねられて死んだ。
ダハルの顔も剣もその血で汚れていた。次は私の番だと思った。
「スフィア、君は僕のものだ。僕だけのものなんだよっ!」
「いや、いやぁっ」
私はダハルから逃げるように背を向け、部屋の中に入ろうと走り出した。その背中をダハルは持っていた剣で斬りつけた。
「君は僕のものだ。僕だけのものだ」
そう繰り返しながらダハルは私が絶命するまで何度も剣で私の体を突き刺した。
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