第92話 女神 1
出発して七日目の午後、予定より少し早く里桜たちはゴーデンの街に着いた。
街には既に、シドなど神殿の者が先着していて、祝詞奏上のための準備を進めていた。
「リオ様、お待ちしていました。」
「シド尊者。遠くまでご足労をかけました。」
「いいえ。私共は真っ直ぐにここへ向いましたので、リオ様の方が途中簡易治療所を開かれてお疲れでしょう。」
「いいえ、大丈夫ですよ。他の聖徒たちがこちらでも治療所を開設していると聞きました。そちらをお手伝いしましょう。」
里桜が笑うと、シドは困った様な顔をする。
「リオ様はそうやって無理をされることがあります。今日は早く街に着いたのですから、ごゆっくりお休み下さい。」
「平気なんですけれど…」
「リオ様。」
アナスタシアとシドが並んでそっくりな怒り顔で、里桜を見ている。
「はい。今日は部屋でゆっくりするとします。」
∴∵
里桜が今日宿泊する部屋に着くと、既に部屋を整えていたリナがいた。
「リオ様、今日の部屋はとても素敵なお部屋ですね。」
確かに、どこもかしこも装飾が細やかで、綺麗だ。
「毎年、虹の女神祭には女性の聖徒が祝詞を上げに来ていますが、祖母が聖徒をしていた時は毎年祖母がその役を仰せつかっていました。その時、定宿としていたのがここのお部屋でございます。」
「そんな、王女殿下と同じお部屋だなんて…本当に良いのかな…。そう言えば、明日行く泉はリヒトレンテ?」
「はい。そうでございます。王都の泉は神が造ったと言われていますが、リヒトレンテは女神が最初に降り立った地の水不足を憂いて造ったと言われています。その加護のおかげか、ここだけは国内にどんな干ばつが起きようとも水に困ることなく生活できたそうでございます。それもこもれも全てご加護のおかげだと言う事で、この町の女神信仰は他のどの土地より強うございます。」
今、思い返せばこの地に近づくほどに馬車の周りは人が多くなっていた。
「それじゃ、明日は失敗できないな。」
自分で自分の緊張をあおったことに気がつき、深呼吸をする。
∴∵
翌朝、ゴーデンの街は快晴だった。五月の風はとても爽やかで、草木の香りがしていた。宿の窓を開け、リナのハーブティーを飲む。
髪の毛は既にアナスタシアが整えてくれていて、いつも簡単に一つ結びにしている髪はポニーテールをリボンなどでアレンジしてあり、若い女性の可憐さがよく出ていた。
「そろそろお着替えを致しましょう。」
里桜が静かに頷く。
神事用の衣装は、とっても薄く繊細な布で作られていて、手触りも良くうっとりするほどだった。
「たった一度の為にこんな衣装作ってもらって良かったのかな?」
「えっ?一度ではありませんよ。これからリオ様には毎年五月十一日はここで祝詞を奏上して頂きます。」
「はい?」
∴∵
宿から少し馬車で行った所に今回の神事を行う場所がある。そこには女神役の聖徒が祝詞を上げるのを一目見ようと集まった町人が大勢いた。小さい山を登った高台の所まで多くの人が集まっている。
里桜はため息を吐いたが、その声まで震えている。そんな里桜をジョルジュとアナスタシアは見守る。馬車が到着したことを御者が知らせ、扉を開く。ジョルジュ、アナスタシアの順に降りて、里桜が最後に降りる。すると町民の歓声が響く。一気に里桜の緊張は高まった。
「お待ちしておりました。」
他の尊者が全員集まり、里桜を迎える。里桜はにっこり笑って頷いた。その姿はいくらか板に付いていた。
リヒトレンテの泉は岩山の麓にある。暫く緩やかに登る岩場が続き、平面の岩場が現れるとそこにくり抜いたかの様に一カ所だけ大きく陥没していて泉が湧いていた。
里桜はそこまでジョルジュの引く馬に乗ってやって来た。馬が止まり、ジョルジュが踏み台を用意する。
「女神様、到着でございます。」
ジョルジュの言葉に、里桜は降りて沢山の神官がいるところまで進む。
「女神様、本日の付き添い役を賜りました。」
恭しく礼をした神官が静かに先頭を歩き、泉に入る。岩山に出来た三mくらいの高さの横穴が洞窟になっていて泉はその奥へも繋がっている。神官と里桜は更に進み、その洞窟の中へ入っていく。ゆっくりとした歩調で暫く進むと、突然頭上がひらけて空が見えた。
「キレイ。」
思わず、里桜は呟いた。気がつけば神官はいない。
泉の中で跪くと、水位は腰より少し下くらいまでになる。転生した頃に神殿で洗礼した日を思い出す。あの時は水音だけだったが、今は静かな中に鳥のさえずりや木の揺れる音も聞こえ、日本で言うトンビの様な鳴き声も聞こえる。それがなんだかのどかに感じた。
里桜はすっと息を吸い祝詞を奏上する。
里桜の声は、思いのほか反響し、外の人々の元にも届く。祝詞が終り、里桜が空に手を伸ばすと、洗礼式の時の様な虹の光は空に一直線に上がった。それを見た町人は感嘆の声を上げる。
そしてまた、洗礼式の時の様に光は里桜の体に吸い込まれて消えた。
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