第3話 回想

「俺は精霊たちの村に生まれ育った。父は人間、母は精霊……つまり混血だ。しかし村の者たちは、分け隔てなく俺を育ててくれた」


 蘇る、遠い記憶。


「子供の頃、俺はよく村の子供たちと神殿に遊びに行った。神殿と言っても小さな社を神官が二、三人で守っている、ささやかなものだ。そこには小さな女神像がまつられていて、その腕には美しい腕輪がまっていた」


 ショーンは少女を見た。メラニーも彼をじっと見つめ、静かに話を待っている。


 確かに目は合っているのに、そんな気がしない。少女の目は青年を見つめながら、まるで彼の中の何か別のもの……もっと深いところを見ているようにショーンには思えた。

 このまま目を合わせていると、少女の澄んだ瞳に吸い込まれそうな気がする。彼自身にも理由はわからないが、過去の情景が……言葉が、音が、自然と呼び起こされて眼前に広がっていく。そして、まだ葛藤のもやは晴れていないのに、何故なぜかこの子にすべてを包み隠さず話さねばならない⋯⋯そんな気持ちになってくる。


 眼前に広がる懐かしい光景。手を伸ばせば届きそうな、愛おしく大切だったものたち。差し出された優しい手に触れようと手を伸ばしかけたそのとき――ショーンはハッと我に返り、少女から視線を外した。


(この先はやはり話さないほうがいい……会ったばかりの幼子に聞かせるべき話ではない)


 そう思っている自分がいるのに、意に反して彼の口は語るのをやめようとしない。まるで何かにしゃべらされているように。

 ショーンは再び少女をちらりと見た。少女の真剣な瞳がこちらを見ている。じっと話の続きを待っている。その瞳を見たとたん、言葉が身体からあふれだしそうになる。

(どうしても、話さなければならないのか……)

 ショーンは焚き火に目を移し、覚悟を決めて再び淡々と話を続けた。


「ある日、いつものように神殿に行くと、誰かに呼ばれたような気がした。最初は気のせいかと思ったが、女神像の前を通りかかったとき、今度ははっきりと名を呼ばれた。だが、周りには誰もいない。おかしいと思って辺りを見回すと、急に女神像がまばゆい光を放って……気がついたら女神像から腕輪が消えて、この腕にこれが嵌まっていた」


 そう言いながらショーンは左腕の袖をまくり、前腕に視線を落とす。


 メラニーもつられてその腕輪を見た。


「うわー、すごい、生きてるみたい! ……なんだかちょっとこわいね。でも、とってもきれい……」


 メラニーは思わず感嘆の声を上げていた。赤い瞳と緑の瞳。二頭の龍がからみ合い、お互いの首に食らいついている……そんな意匠いしょう精緻せいちな白金の細工がショーンの手首付近に嵌まっている。

 決して大きくはない腕輪だが、その活き活きとした龍たちの迫力と優美さに息を呑む。


「……そうだな。もしかしたら、こいつらは本当に生きているのかもしれない。俺も時折そう思うことがある」


 ショーンは腕輪をじっと見ながら、つぶやくように言った。メラニーは小首をかしげてショーンを見た。


「……それはともかく、これがすべての始まりだった。腕輪がこの腕に嵌まった直後、突然、村に黒いローブの男が現れ、神殿の前にやってきた。腕輪を探していたらしい。俺は神官たちに連れられて、神殿の奥にかくまわれることになった。逃げながら神官たちは俺に、この腕輪は世が乱れるとき女神が相応ふさわしい者を選んで授けるもので、世界を救う力を秘めていると話してくれた。振り返ると、神殿の門の向こうで神官長が男と何か言い争って倒れるのが見えた。そして男はほのおの雨を降らせ、村を、人を、焼いた」


 ショーンは変わらず淡々と話を続けている。しかし膝の上で固く握られた拳のかすかな震えが、その声にわずかながら熱を添えていった。こみ上げる熱を吐き出すように、それでいて静かに、身体の奥底から言葉が溢れてくる。


「俺は動けなかった。とうとう男に見つかったとき、心がすくんで動けなかった。そんな俺を精霊たちは生命がけで守り、見知らぬ草原……簡単には見つからないだろう安全な場所まで飛ばしてくれた。……混血の俺には、自然の声をなんとなく感じることはできても、精霊たちのように自然を操る力はない。無力な子供だった。目の前でたくさんの者が傷つき死んでいったのに、あのとき俺は何もできなかった。できなかったんだ……」


 ショーンの口調にほんの一瞬、憎しみと悔しさの入り混じった炎が見える。けれどショーンはそれをしずめるように一息置いて、あくまでも静かに語り続けた。


「……あてもなく旅をしながら、俺は探している。『選ぶ』とは何か。何故女神は俺を選んだのか。世界のひんしている脅威きょういすら、俺にはわからない。一人で旅をしながら、様々なものを見てきた。事故や災害、病に戦……人々を苦しめるものはこの世にあふれている。もしそれらが神々によって起こされたものならば、何故神々はそこでそれを起こすことを選んだのか。それともそれらは神々の意志ではないのか。そして、『救う』とは何か。人が人を救うなんてことができるのか。ましてや世界なんて大きなものを、ちっぽけなこの手でどうやって救えというのか……」


 しばしの沈黙。たきぎぜる音だけが響く。

 ショーンは膝の上で両手を軽く開き、じっとてのひらを見つめていた。

 穏やかな声の奥に垣間見える、深い哀しみと熱い炎。メラニーは何も言えず、瞳をうるませながらただじっと青年を見つめ続けた。

 ショーンは見つめていた両手をゆっくりと握りしめた。そしてかまどの炎に視線を移す。


「答えはまだ見つからない。焦ったところで見つかるものでもない。それに……生きているうちに見つけられるとも限らない。だから、たとえ道半ばでたおれても後悔しないよう、俺は彼らが守ってくれたこの生命を精一杯生きようと決めた」


 メラニーはまばたきひとつせずにショーンの横顔を見上げていた。

 ショーンの表情は変わらない。まるで感情そのものを忘れたような、どこまでも静かで穏やかなショーンの声が、メラニーの心に深く染み込んでいく。少女の瞳にはほんの一瞬、広い草原で傷を押さえてうずくまる少年が映る。それに重なるように、向かい風の中に一人立つ、同じ傷をさらけ出したまま強い眼差しで前を見る青年の姿も。メラニーの頬を一筋の涙がこぼれ落ちる。


「もしも、死が俺に唯一真の安らぎを与えてくれるものだとしても、自分からは求めない。生きるんだ。どんなに苦しみあがくことになろうとも、俺は生きて答えを探し続ける道を進もう。そして、もうこれ以上目の前で大切なものを失わずに済むよう、強くなろう。……どんなに望んでも、あの頃に………あの故郷に帰ることはもうできない。今の俺にできることはそのくらいしかない。そんなことを考えながら、俺はこうして旅を……」

「もういい! もう、いいよ……」


 メラニーは急に立ち上がった。とめどなく溢れる涙。それをぬぐおうともせずポロポロと零しながら、少女は青年の言葉をさえぎった。

 少女はショーンの背中に駆け寄る。そして小さな腕をいっぱいに広げて、まるで倒れ込むように勢いよく、彼の背中をぎゅっと抱きしめた。


「ごめんなさい。ショーンおにいちゃんの心がこんなに泣いてる。はりさけそうで痛いって泣いてる。心が、痛いよ……。知らなかった。たいせつなものを失うって、こんなに痛くて苦しいんだね」


 ショーンは顔を上げて目を見開いた。

 少女の言葉を聞いて初めて、彼は痛みに気づいた。自分の胸の奥でうずき続ける、この深い痛みに。まるでその痛みを代弁するかのように、背中で少女が泣いている。小さくしゃくりあげる声が聞こえる。


「でもね、あたしには見えたの。おにいちゃんの心は、それでもしっかり前を向いてる。生きようとしているの。おにいちゃんはすごいよ。本当に強いんだね……」


(――いや、違う。俺は強くなどない。ただ自分の心から目をらして、この痛みに気づかないふりをしていただけだ)


 少女のぬくもりが、何かをかしていくような気がした。ショーンはふうっと息を吐き、驚きで若干強ばっていた身体から力を抜く。そして、少しうつむいて、少女の小さな手にそっと自分の手を重ねた。


「すまない。こんなこと、今まで誰にも話したことがなかったんだが………つい語り過ぎた。……安心しろ、もう乗り越えた。俺なら大丈夫だ。だから………もう、泣くな」


 後半は優しくさとすような、それでいて少し困ったような……それまでほぼ無表情だったショーンの声に、初めて表情がはっきりと現れた。

 力強い大きな手のぬくもりに包まれて、少女の手がゆるむ。


 ショーンは洞穴の入り口のほうに目をやった。陽も落ちたのだろう。夕陽の気配はもうすっかり消えていた。


「さあ、もう陽が暮れた。寝床を作るからそろそろ休め。明日は早いぞ」

「うん」


 低く穏やかな、深い響きの声。そのあたたかな響きに促され、メラニーはショーンの背中から離れた。


 ショーンは無表情に戻り、残しておいた杉の生葉と、彼の身長くらいの長さがある太めの二本の棒、それから脇に避けておいた突起物のない中太の薪をいくつか手に取った。そのまま焚き火から少し離れた平らな岩のかたわらに向かう。

 二本の長い棒を平行に並べ、梯子はしごのような形に中太の薪を載せていく。その格子状の隙間には、杉の葉を多めに敷き詰めた。

 ショーンは背嚢はいのうを包んでいた鹿のなめし革を外す。その鹿革を、低い岩にも少しかかるように、たった今組み上げたものの上に敷いた。簡易ベッドのできあがりだ。


「すごーい! ありがとう!」


 少女がそこに座ると、今度はマントを外してふわりと掛けてやる。


「毛布や布団は持ち歩いていない。けれど何もなしに寝れば、体温を地面と風に持っていかれる。硬いだろうが、これで我慢がまんしてくれ」


 少女はマントにくるまると、にっこり微笑んで鹿革の上で横になった。低い岩がちょうどよい枕になっている。


「うふ、思ったよりふわふわで痛くないよ。それに、おにいちゃんのにおいがする。とってもあったかいし、なんだかすごく安心する。……でも、これをあたしが使っちゃったら、おにいちゃんが寒くならない?」


 少女の心配そうな顔を見て、ショーンはほんの僅かに表情をゆるめた。


「俺のことなら気にするな。この程度なら火のそばにいれば問題はない」


 その言葉を聞いて、少女の顔がぱあっと晴れた。


「ほんとに? ありがとう! おにいちゃんのこたえ、見つかるといいね。おやすみなさい」


 ものの数分で、小さな寝息が聞こえてきた。青年は安堵あんどしたようにひとつ息を吐くと、太めの薪を一本火にくべた。

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