第2話 孫策の挙兵

 次期皇帝の噂が立ち始めた袁術の配下たちは、いよいよ天下を征するのは我らではないかと武者震いしていた。袁術は、武芸に優れ、文才にも長け、優れた主君であった。

 その袁術の陣営に、若くして英才を放つ麒麟児がいた。

 まだ齢17歳の孫策である。

 孫策は、父親の孫堅が滅ぼされたため、旧来の家臣もろとも、袁術のもとに身を寄せていた。

 孫策はなぜ、袁術の配下についたのか。

 それは、他に中華の南方に有力な群雄がいなかったからである。孫策は、一個の群雄としては、袁術を評価していた。

 一方、袁術から見た孫策の評価は尋常ではなく、袁術は、

「わたしに孫策ほどの息子がいたなら、安心して引退できるものを」

 とまでいわしめていた。

 孫策は、19歳になった時、袁術に進言していった。

「わたしに千人の兵を与えてください。きっと、南方を征服してまいります」

 群臣は笑った。まだ19歳の若造が身の丈に合わない大言壮語をしているからである。

 袁術も笑っていた。

 気宇壮大なことを言い出す孫策が好きだったのである。

「良い。孫策よ、千の兵をもって、南方を征服してくるが良い」

 袁術はいった。

 この時はまだ誰も、孫策が江南一帯をすべて征服してしまう大勝利を修めることを知らなかったのである。

 孫策に与えられた千の兵というのも、ほとんどが、もともと孫堅の残党であり、いわば、もともと孫策の配下のようなものだった。

 この千の兵の中に、周愉、朱治、黄蓋、韓当、程普、といった後の孫策軍の中核を担う優秀な人材がいたのはまちがいない。

 もともと、孫策の父親は後漢末の名将だった。当然、その配下の将たちも有能なものが多かった。

 孫策は194年に挙兵して、195年には、豫州刺史の劉繇を倒している。わずか、千の兵で、州の刺史(軍事担当官)を倒してしまうとは、孫策はただものではない。

 この報を聞いて、主君袁術が喜んだのはいうまでもない。

 孫策は、この戦いにおいて、敵将の太史慈と一騎討ちしている。

 一騎討ちなど、歴史の虚構だと思っている軟弱な人がいるかもしれない。しかし、孫策が敵将と一騎討ちをしたのは、明白な史実である。

 孫策は、総大将自らが先頭に立って、戦いを行うという勇敢な器の持ち主だったのである。一騎討ちは引き分けに終わり、両将ともに武名を上げた。

 あなたは、自分が総大将だったとして、自ら一騎討ちに望めるだろうか。それができなければ、孫策より、器が小さいといわれてもしかたがない。

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