幼少期から就職まで


 幼児期の記憶は極めて微弱で、小学校入学前後くらいか。祖父の肩ぐるまに乗せて貰って、首には真綿の剥き出しの首巻をして写っている写真があったが、思い出は何もない。その頃であらうと想像されるが、須磨の川越邸は相当豪華であった。屋敷の廻りには桜の木が数十本植えてあり花が散った後は毛虫が多数発生し、手入れには苦労されたことと思う。

 申し遅れたが、この屋敷は庭に面した側はすべて硝子張りでその内側は約1m弱の濡れ縁であったように記憶している。


 また、屋敷の裏側は広い空き地で、揚水タンクがそびえ、イ草が沢山生えていたのを覚えているし、爺さん(勝之助)と一緒に遊びに行くと、大きな犬が尻尾を振って迎えに出てくる可愛いのが居た。




 小学校は諏訪山小学校、3年生の頃(※1)、男女共学となり隣接の山手小学校の約半数の男子生徒が移籍させられた。在学中の記憶については特筆するようなことは無いが、部落の子(※2)がクラスに混入して来たことを覚えている。


 此の頃であったと記憶するが、須磨の海岸は白砂青松とまで呼ぶには多少難はあった けれど、可成り美しい海岸線と沖の遠望であった。浜には漁を終へた伝馬船が曳き揚げられ、漁労中の小舟は昼網に備へ細々と漁をして戻り、沖の彼方では金持ちのドラ息子?たちのヨットが点々と波間に揺れていた。


 そんな風景の中で、投釣りの道具を持ち、父(喜一郎)と二人で、浜の釣道具屋で餌のゴカイを買い、餌のつけ方、投げ方など、すべては父の指南であり、取り込みなども教えられ、生涯に於いて至福の時期であったと回想している。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                        



 小学校を卒へ、中学校へ入学、昔でも入学試験、面接など難問はあった。教頭先生「何故中学校が沢山あるのに特に此の学校を選んだのですか?」「僕の能力の程度に合っている学校だから」こんな程度の回答しかできなかったけど何とか入学することができた。


 卒業間近になり、社会人(就職)となる為の試練である。

 学業成績から言へば総教科30数科目中甲(80点以上)は2/3以上を占め部活は剣道をしていた。(成績順位は20/130人以内)


 就職の申込が沢山学校に舞込んだが、その一つ神戸岡崎銀行(※3)を選び応募した。同社の人事課長が調査の為来訪した、極く簡単な内容で概ね資産(財産)の調査であった。


 他日面接日のことである。「貴方はこの銀行に誰かお知り合いがおいでですか?」「本店の経理課長の橋本政太郎さんのところへ嫁に行ったのは私の叔母です」

 このことが後日銀行を辞める一因になったことは誰にも予想もつかなかったことであった。


※1 Wikipedia情報によれば大正15年のことらしい。が、もしかしたら学校逆かも?

※2 それが印象に残るほど、差別が根強かったのかも(あえて残しました)

※3 神戸の岡崎財閥が設立した銀行。その後合併を繰り返し、神戸銀行→太陽神戸銀行→太陽神戸三井銀行→さくら銀行→三井住友銀行と変遷する

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