《 番外編『プロポーズの想定外』》
1 想定外のお預り
木崎の甥っ子、翔太と寛太。翔太は先週小学校に入学したばかりで、寛太は保育園に通う五歳。木崎は時々お守りを頼まれて彼らを預かる。人懐っこい可愛い子たちだ。
今日も木崎のお姉さんの紗英子さんが急な休日出勤になり、夫の太一郎さんは短期出張中ということで預かった。木崎も仕事に行っているけど。
午前中いっぱいはマンション脇の小さい公園で遊んで(私はへろへろだよ!)、お昼は紗英子さんが持ってきた冷凍パスタ。『これが一番確実に食べるから』と言っていたけど、私を気遣ってのことだ。いつもは木崎がデリバリーフードを頼んでいる。きっと紗英子さんは、それは私には無理だと考えたのだ。実際ふたりの相手をするのに忙しくて、スマホを手に取る時間はなかった。
そもそも昨晩に紗英子さんから電話がかかってきたとき、お預りを木崎は断ったのだ。自分も仕事だから、と。紗英子さんも了解と答えて(木崎がスピーカーにしていた)、電話を切ろうとした。
だけどそのとき幼い兄弟の
『シッターはイヤ! 爽真と莉音ちゃんに会いたい!』
という叫び声が聞こえてきたのだ。反射的に、
「私は構わないよ」と答えていた。
翔太と寛太は可愛い。だけどあの時の私には、多少なりと印象を良くしたいという打算もあったんじゃないかと思う。
昨晩コンビニで買ったヨーグルトと麦茶を冷蔵庫から、食器棚の隅からおしゃれだけどプラスチックで持ちやすい取っ手のついたコップをふたつ取る。コップは私がここに住む前からある。いつだったか誰かが、木崎は子供なんて蹴散らして歩きそうと言っていたけど、正反対だ。
トレイふたつにそれぞれの分を乗せて、リビングのローテブルに運ぶ。甥っ子たちは顔をよせてタブレットの動画を見ていたけど、兄の翔太が食事に気づいて
「もうおしまい」
と画面をオフにした。今日は木崎がいないせいかいつもより、しっかりしている。
「はい、どうぞ」
「いただきます!」声を揃える甥っ子たち。
「食べてて。私のぶんも温めてくるから」
「ふぁい」
翔太が口をもごもごしながら答える。可愛いすぎる。
紗英子さんが私のぶんも用意してくれたパスタ――しかも好きなのが分からないからと三種類も――をひとつ、レンジに入れる。
「そうだ、莉音ちゃん!」
翔太だ。
「なあに」
リビングに戻って床にすわる。
「爽真といつ結婚するの?」
結婚。
「この前ママとパパがいつかなあ、って言ってた」
寛太が口いっぱいにパスタをほおばりながらうなずく。
「……分からないな」
「分かんないの?」不思議そうな翔太。
「決めてないからね」
「ふうん。早く決めてね」
「なんで?」
「ママが安心したいって」
「そうなんだ」
紗英子さんの安心。やっぱり姉としては、弟に家庭を持って落ち着いてほしい、ということかな。
でも結婚については、本当に分からない。付き合い始めのころに何度か話題に上がった。だけど一緒に住み始めてからは、その話はしていない。
同棲は木崎の強い要望だった。私たちはどちらも営業で、時間外業務も休日出勤もある。『共にいられる時間の少なさからすれ違いが起きる前に、一緒に暮らしたい』という木崎のその主張は納得できるものだった。修斗と別れたのだって、私が仕事ばかりしていて会えないことが増えたせいだった。
あれだけ仲の悪かった木崎との同棲を、社の人間に知られるのは恥ずかしい。
だけど木崎の家は社に近い。通勤時間の短縮、満員電車回避は魅力的だ。
そんな欠点と利点を天秤にかけて結局、私は木崎の家に引っ越した。
でも本当は、一緒に住むことは不安だった。うまくいかなくなったらどうしよう、と。
ふたを開けてみると私の不安は杞憂だった。意見が合わないこともケンカをすることもあるけど、それで私たちの関係が終わることはない。
現状に満足、いや、幸せを感じていて、結婚は考えることがあまりなくなっていた。仕事も忙しかったし。
多分、木崎も同じなんじゃないかな。
チン!と電子レンジの音がする。
「ママがね」と翔太。「莉音ちゃんなら、爽真が闇落ちしても助けられそうだから安心なんだって」
「闇落ち?」
「うん。昔大変だったんだよってパパに話してたよ」
なんだそれは。常に自信満々の木崎が闇落ちって。どういうことだろう。
◇◇
翔太寛太とおやつを食べているところに紗英子さんが帰って来た。
「莉音ちゃん、ありがとね。大変だったでしょ。これ、お土産」彼女はそう言ってケーキの箱を差し出した。「お礼は今度するから」
「いや、いらないです。ケーキで十分。ありがとうございます」
「爽真とふたりで行くディナークルーズ、どう?」
高っ! お値段お幾らなんだ!
「いや、結構で……」
「だって、全然デートをしてないんでしょ? 爽真は仕事が忙しくてって言ってたけど」
まあ、それは事実だ。
「家でまったりするのが好きだから、いいんです」
「そっか」残念そうな紗英子さん。「爽真が『ちゃんとしたデートをしないと』と焦っているらしいのよね。太一郎によると 」
「焦る? 」
木崎にそんな素振りはないし、そんな性格でもないと思うけど。
紗英子さんはふふっと笑い、それから話しかけてきた寛太に視線を向けてしまった。
子供たちと楽しそうに話す紗英子さん。六つ年上で、姉弟としてはやや年が離れている。でも仲が良い。木崎が言うには実家を出てから、らしい。見た目は似ていないけど、快活なところはそっくり。会社にいたら、絶対好きな上司になる。
だけど紗英子といると、私は少し緊張しているっぽい。木崎のお姉さんに悪印象をもたれたくないみたいだ。
「莉音ちゃんが、まだ決まってないって言うから、『早くしてね』って頼んでおいた!」
翔太がにこにこ顔で紗英子さんに報告する。
「なんのこと?」と紗英子。
「結婚!」と翔太と寛太。
「あら」紗英子さんが困った顔をで私を見た。「私がガツガツして、莉音ちゃんに逃げられたら困る、とは思ってるの」
ガツガツ……。
「でも知っておいて。莉音ちゃんに爽真と結婚してほしいと思ってる。私も、両親も」
「両親ですか!?」
会ったこともないのに!
「爽真が交際相手にこの子たちや私を会わせたのは、莉音ちゃんが初めて。それにあの子、なんでも自分だけで完結させちゃうから」
紗英子さんは、にっと笑うと翔太と寛太に
「さ、帰るよー」と声をかけて、持ってきたおもちゃの片付けを始めた。
後半の意味がよく分からなかった。それに闇落ちも気になる。だけど訊くなら木崎にだ。
それに、紗英子さんに木崎と結婚してほしいと言われて、私は浮かれているっぽい。
◇◇
ひとりで夕飯を済ませそろそろお風呂に入ろうかと思っていると、木崎が帰って来た。手にコンビニの小さな袋を持っている。
「お帰り。ご苦労様」
「ただいま。これ」と木崎は袋を私に差し出す。「あいつらの相手は疲れただろ。ありがとな」
「疲れはしたけど、木崎がいないからか翔太がいつもよりしっかりしてて、面白かった」
ぷっと笑う木崎。
「姉貴が脅したんだろうな。莉音に嫌われたくなかったら、いい子でいろって」
「普段からいい子じゃない」
コンビニ袋の中身は私の好きなカクテルとチーズ、それとプリンだった。
「紗英子さんにもケーキをもらちゃった」
「そんなんじゃ足りねえよ」
「ディナークルーズをプレゼントするって言うから断った。なんか、木崎がちゃんとしたデートをしてないことを気にしているって。そうなの?」
「……兄貴は口が軽いな」
そう言って木崎は鞄を床に置くとキッチンに行った。シンクで手を洗う。
「お互い忙しいから、私はそんなものだと思っていたけど。木崎は嫌だった?」
「嫌じゃねえけど、ろくなデートプランも練れない男だと思われるのは
「でた、木崎の謎プライド」
メロディが流れ『お風呂が沸きました』と給湯器が言う。
「風呂か。入っちゃえよ。俺は飯食べてきたし、仕事する」
「ん」
寝室に着替えを取りに行く。木崎の家は賃貸の1LDKで、造りはゆったりしている。二人住まい用なのだろう。同棲を持ち掛けられたとき、私は何人目のここに住むカノジョなのかが気になった。だって木崎はカノジョを途切らせないことで有名なモテ男。下手したら二桁に行くのではと考えると、本人に尋ねる勇気は出なかった。
私が持ち込んだチェストから着替えを取り出す。すぐそばにダブルのベッド。私が住むと決まった直後に木崎が買い換えた。それまでのでは狭いから、と言って。思わず
『なんで? 今までのカノジョさんより私大きい?』
との疑問が口をついて出た。
木崎はしばらく変な顔をしていた。それから『ああ』と言葉共にため息ともつかないものを漏らした。
『毎日一緒に寝るなら、狭いだろ。それから、一緒に暮らすのは莉音が初めてだからな。――念のため。誘ったのも、だ』
改めて、木崎は相当に私を好きでいてくれるのだと思って、嬉しかった。そして、お姉さんや甥っ子たちに紹介するのも初めて。
リビングに戻ると木崎はダイニングテーブルにノートパソコンを置いて、仕事を開始していた。上着とネクタイは脱いであるけど、ワイシャツ、スラックスはそのまま。急いでやってしまいたいのだろう。
話したいことは色々あるけど――闇落ちのこととか――、また今度にしよう。
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