第十章 縁をたぐって

 紅蓮の大華が咲き、全てを喰らわんとする闇の巨人を呑み込んだ。


 離れていても伝わるほどの高熱が、息を吸い込んだ喉を焦がす。


「げほっげほっ…。す、すごい…」

「これが陽子お姉ちゃんの実力…。これなら倒せます!」


 確かに、凄まじい破壊力だ。どんな物質だって焼き尽くすだろう熱量だ。


「けど……!」


 "視えて" しまった。炎の内側でとぐろを巻く闇の蠢動が。そして、それに取り込まれようとしている陽子の姿が。


「ダメだ、逃げっ」

「兄さんこそ避けて!」


 ズッ、と。


 凝縮された闇の刃が、視界の全てを薙ぎ払った。真耶が咄嗟に "防壁プロテクション" で防いでくれなければ殺されていたかもしれない。それでもなお、打ち消されなかった衝撃波に薙ぎ倒されて、石畳の上をバウンドしながら転がった。


「っつ…、なにが、起きて」

「兄さん。非常に不味いです」

「アレは…巨人と…剣…?」


 攻撃が飛んできた方角を見やると、炎のとばりをかき分け、闇の巨人が進撃を再開していた。先程までとは見た目が少し違う。左腕らしき部位には鎧のようなパーツが増え、右手には巨大な剣のような鋭い板状の塊をぶら下げている。


 さっきの斬撃はアレを使ったものか。


【【bsdじゃksjgbsづfgwvがcsf§jぢhsぢjふぃv】】


「くそッ!」


 今度こそ体が動いた。


 押し寄せる黒の波濤から逃れるべく、真耶の手を掴むと上に跳ぶ。立っていた地面が侵されてグズグズに崩れたのを目にして、躊躇うことなく建物の屋根の上を走り抜ける。


 このままじゃ、自分も真耶も守れない。幸い、足場はまだある。あの闇の巨人が全てを吞み込み尽くすまでまだ時間は…。


「駄目です、兄さん。逃げているだけでは行き詰ります…!」

「無茶言うなよっ。あんなのどうやって戦えばいいって」

「斬撃、来ます!」


 大きくジャンプ。続けて、踏みしめた屋根が下の家屋ごと砕け散る。


 闇の巨人が、とうとう積極的に攻撃までしてくるようになった。それも何かに取り憑かれたかのようにがむしゃらにだ。


「もしかして、陽子が取り込まれたのと関係が…」

「あの剣もそのせいだっていうんですか?」

「わからないけど…。もしそうなら、陽子を助けることさえできれば状況は変わるかもしれない!」

『ご明察。けれど、一筋縄じゃあいかないよ。遠岸蓮くん、君はまだスキルを使えていないのだから』


 街の中心付近にそびえ立つ鐘の塔に着地して体勢を立て直し、考えをまとめていると『管理者』のだみ声がそう告げてきた。


 どういうことだよ。俺の生まれ持った異常な力でも足りないっていうのか。今さら都合よく能力を使えるようになるなんて物語じゃあるまいし、絶望しかない。


『まあ実のところ、君はスキルを操るきっかけを既に握っている。それは桐立陽子との縁だ』


 陽子との、縁…?


『そうだ。君がこの〈イグニア〉に来て手に入れたスキル、その名は『製界セカイ』。あらゆる事象が不安定だからこそ、君は各世界から力を引き出せるようになっている。その鍵となるのが―――』

「並行世界の人間との縁、なのですね」

『イエスだ、遠岸真耶くん。だから遠岸蓮。君はみんなの想い、在り方を受け止めなければならない。そして残念なことに、終骸ネフィニスが糧とするのもそういった概念なのさ』


 そういう意味か。もし、俺にそんな力があるなら…。


「やるしかないよな」

「いいんですか、兄さん」


 真耶の綺麗な黒曜石のような瞳に心配の色が濃く浮かんでいる。まあ、もし叶うなら、今すぐ二人で逃げてしまいたいけど。


「このままじゃ、お前も守れないしさ。それに…、あいつだってもう、俺が守るべき “家族” なんだよな」

「……はぁ。そのセリフはお姉ちゃん本人に聞かせてあげてくださいよ、まったく」

「? なんでそんな呆れ顔なんだよ、真耶」

『はいはい。相変わらずマイペースな兄妹だね。さて、こんな怪しい話だが、君は特攻かますつもりかな』

「もちろん。今さら信じないわけにいかないしな。それに特攻するわけじゃない」

『へえ?』


 深呼吸を一つ。いつの間にか俺の体から震えは消え去っていた。二本の足でしっかりと立ち上がり、己の意思で前を向く。


 必ず帰るために。


「じゃあ、ちょっと迎えに行ってくる」

「…途中まで私が道を作ります。気をつけて、兄さん。ちゃんと二人で戻ってきてくださいよ」

「任せろ!」


 蠢く闇の巨人のところに向かうべく、塔から飛び降りる。足元の瓦礫が寄り集まって即席の橋が形作られる。真耶の『万召サモン』のなせる技だ。


「ホントできた妹だよな…!」


 所々襲いかかってくる闇の斬撃をどうにかかわして足場を、わき目も降らず全速力で突っ走る。


 橋の切れ目に差し掛かり後一歩というところで、巨人の咆哮が轟いた。足場ごと呑み込もうと漆黒のあぎとが前後左右全方向から襲い掛かってくる。


「いい加減、それは飽きたんだよ!!」


 全身をバネのようにたわませて、鬱憤を晴らすように崩落を始めた足場を蹴りつけ、一気に跳ね上がる。闇の洪水に捕まるより速く、握った拳を巨人の喉元に叩き込んだ。


【【kしあじゃphどhヴぁdvsどvはpじゃpヴぁどdp!_?】】


 なにか狼狽えるような雰囲気を感じたが構わず、闇に覆われた巨躯の表面を打ち破り、俺はその “内側” に突入した。


 そこに広がっていたのは、思っていたのと少し違う場所だった。


「道場……?」


 子どもの頃に陽子の家で何度か上がらせてもらったことがある、木板張りの床、しんと張り詰めた空気、壁に立てかけられた竹刀や木刀。ノスタルジックな気分にさせられる、懐かしい空間。


 だけど、これは俺の記憶ではない。別の誰かの物だ。なぜなら、俺のいた地球で見た道場はここまで広くなかった。もしかして、並行世界の陽子の家の…。


「なにしに…来たの?」

「陽子…!」


 目を凝らすと、道場の最奥にある掛け軸の前で、陽子が正座していた。


「助けに来たんだ。帰ろう。真耶も待ってるからさ」

「帰る…? どこに? ここがアタシの家なのよ。それに、ほら」


 背後を指さす陽子に釣られるように、振り向く。


 俺たち二人以外に誰かいるはずがない。そう思っていたのに、その人物はそこにいた。


「ねぇ、遠岸くんが遊びにきてくれたわ…… お父様」

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