◆ 5・兄妹 ◆


 金髪碧眼の美少女が駆け寄ってくる。

 白い一枚布を身に纏った子供は両手を広げ、私に抱きついた。



 温かい……。



 自分の体も小さい。

 ティーンにもなっていないのだと分かる丸みを帯びた顔が、彼の青い目に映っている。


「エルロリス、捜したよっ」


 兄だ。

 少女めいた美しい顔立ちでも、これは男で――双子の兄エルシアだった。

 まだ幼く『世界』を知らない頃の私たち。


 青く澄んだ世界に、ふわふわの白い大地。

 白い風が泡沫を孕んで吹いては消える。


「エルシア、ごめんね。『下』が気になって」


 私が答える。

 兄は顔を顰め、頬を膨らませた。


「また『下』の事? そんなモノは放っておきなよ。どうしてお前は『アレら』を気にするんだろう」

「彼ら、過ごしにくそうだもの」

「本当に、お前は優しいね」


 兄が私の頭を撫でる。

 その暖かさに、私はポンと手を打つ。


「ねぇ、エルシア! あなたなら、彼らに『力』を与える事ができるんじゃない?」

「力?」

「私たちのように、意思の力で何でも自在にこなせるように、よ」


 兄は困ったように首を振る。


「ダメだよ、エルロリス。『アレら』には過ぎたモノだ」

「……可哀想だもの。『下』は寒いのよ? 彼らはいつもおなかを減らしてるし、震えているわ」

「ソレらは、アレらで解決すべき問題だよ」

「兄さん……」


 悲し気に見つめれば、兄は呆れたように溜息をついた。

 兄はいつも私の我儘を聞いてくれるのだ。


「しょうがないな……いいよ、でもダメそうだったら……取り上げるからね?」

「エルシア、あぁ大好きな兄さん! ありがとう!」



「エルロリス、見てごらん」


 兄が指さす。

 ソレは中空に浮かんでいた。

 燦々と輝く光の珠だ。


「新しい生き物、『神』が誕生したよ」

「カミ……?」

「うん。彼らが命名したんだ。祈ってるよ。どうやらオレを象ってるみたいだね? 前に降りて『色々』教えてやったから、お礼かな?」


 笑う兄に、私も嬉しくなる。

 様々な色合いで揺らめく光の球は美しい。

 魅了されて、手を伸ばしてみれば兄と同じく暖かい。

 自然と頬が緩む。


「凄い。みんなが、兄さんを想ってるのね」

「そうだね。いずれは別物になっていくだろうけど、嬉しいもんだ」



 あぁ、どうしよう。



 足元には青年のエルシア。

 私の見つめる珠は半分が黒く淀んでいる。

 珠の大きさもかつての何倍も大きく、私たちの世界を焼きそうな程の熱さとなっていた。

 そして、淀みも――穢れた部分はより醜悪さを増し、ボトリボトリと雫を垂らしている。私たちの世界すらも黒く染める程に。


『兄』への『感謝』が『祈り』が光を強め、『嘆き』と『失望』が淀みを深くしている。



 私の所為だ。



「兄さん……」


 兄はぐったりと倒れている。

 それでも安心させようと笑みを浮かべているのが分かる。


「大丈夫だ、お前の優しさが生んだ事なら、オレが何とかしてやるから」


 だから笑ってと、兄の手が私の頭に乗った。



「エルシア、みてごらん」


 見下ろす兄の視線の先には、闇と対決する人々。


「あの『闇』が負けたら、『獄』に堕とそうか」


 少し前に兄が作った空間――獄。

 地上より遥か下層に作った暗闇の世界。


 珠の淀みに対する解決策としてとったのが、淀みを取り除いて光から分かつ事だった。

 兄は珠を二つに分けた珠の片方を、影響し合わない場所へ――獄に落としたのだ。


「獄に? そうすれば平気になる?」

「ううん、『下』の連中は光と闇の狭間のような存在だからね。今後は天にも獄にも力を与えるんじゃないかな。アレらにとっては、どちらも『神』だからね。知らずに両方に力を注いでるようなもんさ」

「また……苦しむのね?」


 誰がとは言わずとも兄は理解しているのだろう。

 肩を竦めて答える目は平坦な感情を映し出している。


「キリがないよ。でも、救済措置くらいは用意してやろうか? 闇の珠が生み出すモノを『穢』とするならば、救済措置として光の珠の結晶『聖』も用意してやろう。あとは自由に流れるんじゃないかな」


 兄は面白くもなさそうに鼻を鳴らし、立ち去る。

 私は地上の人々を見ていた。



 兄さんは、めんどうに思ってるみたい。

 でも……。



 地上の人々が『勇者』と呼ぶ存在が、今まさに『穢』を打ち負かす。

 まだ『聖』は存在していないのに、だ。今後『穢』は『聖』と向き合い戦っていくだろう。どちらも同じモノで、拮抗は当然だ。

 だが彼らが『勇者』と呼ぶ『彼』は、独力で辿り着いた境地だった。


「……あれが、『勇者』……」



 いつしか『穢』は男の人格を、『聖』は女の人格を与えられ『魔王』と『聖女』と呼ばれていた。

 どちらも入れ物に落とし込んだだけで、他の生物とは違う。穢れを浄化するのが聖なのだから、最後は入れ物から解き放たなければ役割を果たせないのだ。

 兄は言う。


「この『聖女』とか呼ばれてるモノは人の姿を模しているだけで、所詮は光の力そのものだ。本来の使い方は『勇者』の能力向上だけじゃない。溶けて初めて本来の力で地上を潤すのさ」


 そうして私の目に両手を当てた。


「見ない方がいい、エルロリス」

「でも……」

「カレらの『祈り』は奔放だ。あらゆるモノに人格を与えてしまう。カレらの特殊能力かなって思えてきたよ」


 笑いを含んだ声。

 それでも優しい兄は塞いだ手を放さない。


「エルロリス、目を閉じていて」


 囁くように漏れた声は、微かに湿っていた。



 地上に降りてみたのが間違いだったとは思わない。

 兄の目を盗んで降りた地上は目新しく、温かく、寒く、怖く、優しかった。


 何よりも、一目で分かった。

 驚いたように私を見つめる『彼』が何者であるか。


「君は?」



 あぁ、『彼』は『勇者』の魂を持ってる。



「熱く、強い……、好きです」

「え?」

「貴方が好きです。手伝わせてください」


 気味悪がる彼に、ついて回った。

 嫌がる彼の傍に侍り、できる事は何だってした。それらは、ただの自己満足だ。

 穢れも多い地上は私にも辛い世界だったけど、魅入られた『勇者』の力になりたかったから耐えた。


 己の行動が生んだ結果の――『穢』への責任でもあったのだと思う。


 でも、私は間違えた。


 聖女は私の所為で誰も選べず、私が加護を施しただけの『勇者』は負ける。

 魔王に取り込まれ、肉も残らず吸収されてしまう魂達。


「あぁ……ぁぁ、ぁああ……っっ!!!!」


 嘆く私の前に降り立ったのは兄だ。

 いつだって清く美しい兄。


「……帰ろう、ロリス。これ以上は、身体に触るよ」

「……兄さん……、どうして、なんで……」


 兄は笑った。


「お前の所為じゃないよ、『穢』が大きくなりすぎてるんだ。『聖』が死んでも足りなかったかもしれないな。結局『ニンゲン』の事は『オレたち』には分からないのさ」


 でも世界は滅びるかもしれない。

 聖女が喰われたのだ。

 勇者が喰われたのだ。

 どうやって『穢』に立ち向かうというのか――今も、『穢』は、大口を開けている。

 私たちさえも食べるつもりだ。


「滅びるのはカレら自身の結末だよ」


 兄は見切りをつけている。

 私は結局、昔から変わらない。

 兄の優しさに付け入り、『おねだり』をするのだ。


「エルシア……地上を、助けて……」



 あなたが『ココ』に来た理由も分かっているから、頼んでしまう。



「お前が『上』に戻るなら」


 頷く。

 兄は地上の敵を消し去った。



「また『下』を見てるのか?」

「見るだけよ……」

「……程々に、な。理の違う生物なんだから」


 兄の言い分は分かっている。

 それでも見続けた。

 かつて愛した勇者の面影を捜してしまった。


「……あぁ、いた」


 自然と涙が溢れる。



 私に出来る事はなんだろう。



 かつては白かった私の羽根も、汚れた灰色になってしまった。

 地上に降りて以来、穢れを拾いすぎたのだと分かる。

 今の私は、兄の力でココに留められているだけの存在だ。



 せめて……償いたい。



 目の前に立つ娘は人間のはずだった。

 それでも、『こんな所』まで辿り着いてしまった。


「天使、だな」


 ここは地表から離れた天との狭間の地――清涼な滝が流れる浮島。

 私は翼を染める穢れを洗う為に禊に来ていた。彼女は見た目に似合わぬ鋭い目で私を見ている。


「こんにちは、オリガ・アデレイド」

「……天使は何でも見通すのか?」

「ええ、ごめんなさい。見えてしまった、……あなたが何をしようとしているかも」


 オリガは小さく「そうか」と呟く。


「ならば話は早い。お前を今から封じる。全てはサーシャとアーニャの為にだ、悪く思うなよ」


 彼女が懐から取り出した物は禍々しい気配を放つ黄金の短刀。


「お願い、聞いてもらえる?」

「言ってみろ」

「エルシアに伝言を……『見捨てないで』と」


 人間の娘は頷き、私に近寄ってくる。

 穢れた短刀。

 私は目を閉じて、両手を広げた。


「……謝らないぞ」


 オリガの言葉。

 胸に突き立てられる衝撃。

 かつて兄が私にしたように、微笑む。


「大丈夫だよ。『勇者』の為なら私は……」



 あぁ、でも……エルシア。

 ……あなたは寂しがるかも……。



 崖――天のラッパ。


 目覚めた先にあるのは兄の姿。


「 【 ロリス 】 」


 兄が私を見ている。

 オリガの内側にいる私を――。



 ごめんなさい、兄さん……また私の所為で、貴方を苦しめる。



 清らかだった兄の憎悪が見えた。

 オリガを――『人』を呪ったのだ。



「人間には命ってものがあるんだ、ロリス」


 砕けた口調で話すのはオリガだ。

 私を体内に封じ続ける女は時折、こうして私に語り掛ける。


「私の『肉』も、もうすぐ死ぬ。だが、お前にはまだまだ生きてもらう」


 今年80を越えるオリガは老婆に見えない。それが私を体内に納めているからなのかは分からないが、普通ではない人生を送り続けている。


「今後も生き贄に、お前を封じるんだ。そいつらは私が為した『悪役』の運命を引き継いでいく。お前の兄が見つけた頃にはまた『器』も死んでるだろうがな」


 彼女は兄が大嫌いなのだ。


 全ての問題をつまびらかにし、勇者と聖女を救おうとした彼女は『情』に負けた。

 聖女は己の宿命を受け入れ、ひっそりと『自ら』死んだのだ。


 宿命を作った兄を恨んだのも当然だった。


「エルロリス、付き合ってもらうぞ? オレの憎悪が収まるまで、な」


 私ごと己を、世界から切り離すのだ。

 そうして彼女は私を永遠に封じる気だ。



 いいわ、オリガ。

 貴方の兄への憎悪が、私を消し去るまで……一緒にいましょう。

 私も……貴方たちを見捨てません……絶対に。



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