シュガーリッチな束縛を

橘伊織

第1話



彼の手慣れた一挙手一投足に。


「はいそうですか。」と頷けるほど、純じゃない。









「何怒ってんだよ。」



終電後、夜更けの帰り道を。

同じ駅で降りた岩田さんを無視して、ガシガシ歩く。


一度だって振り返らないのに、背中から時折聞こえる声は、絶妙な距離感を保ったまま。

振り切ろうとしてるのに。彼はちっとも、振り切られてくれない。




『怒ってません。』


「怒ってんだろ。」


『ついて来ないで。今日は帰ってください。』



何度目になるだろう、このくだり。

今日はやけに人通りがなくて、私たちの声は街灯の下でぼうっと響く。




「無理、もう電車がない。」


『タクシーで帰って。』


「明日のスーツがない。」


『いっぱい持ってるじゃないですか。』


「嫌だ、澪のとこに置いてるやつが着たい。」



いつからか、私の部屋のクローゼットに居座る彼のスーツ。

初めて私の部屋に来た時、当たり前のようにそこに並べる背中を見て、擽ったくて嬉しかった気持ち。


どうせあれだって恒例なんだ。

岩田さんになんて、私の気持ちは絶対分からない。




もう少しでマンションに着く。エントランスが見えたら、思いっきり走ろう。


心の中で数えた3秒後、思いっきり地面を蹴った。背後で弾けた私の名前。

今度こそ振り切れるように、なりふり構わず全速力で駆ける。




だけど、エントランス前の段差に差し掛かったその時________






「澪!」




足首が捻れた感覚で、視界が大きく歪んだ。ヒールの直径1センチが、私の身体を見失って。



あ、倒れる________



そう思って目をキュッと閉じた時________










彼の香りに、飛び込んだ。





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