第30話 ニミッツ長官
ウェーク島沖海戦における敗北の責任を問われて更迭された前任者に代わり、新しく太平洋艦隊司令長官に就任したニミッツ大将は太平洋艦隊司令部から真珠湾を見下ろしている。
開戦前にはそれこそ戦艦や空母がひしめいていた真珠湾軍港は、だがしかし今では泊地警備のための小艦艇がわずかに残る程度で、主力艦はおろか巡洋艦や駆逐艦といった補助艦艇の姿さえ認められない。
唯一の例外は、日本軍機が来襲した場合にその攻撃を吸収するための、つまりはサンドバッグの役割を押し付けられた標的艦の「ユタ」だけだ。
太平洋における最後の艦隊はすでに真珠湾を出港、今はオアフ島の東方海域で遊弋している。
「ワシントン」と「ノースカロライナ」の二隻の新型戦艦を基幹とし、さらに軽巡二隻と一六隻の駆逐艦が近侍として控える。
本来であれば、巡洋艦や駆逐艦はこの倍は欲しいところなのだが、しかしウェーク島沖海戦で各型九隻の重巡と四隻の「ブルックリン」級軽巡、それに四〇隻もの駆逐艦を一挙に喪失したことでこれ以上の戦力の増勢は不可能だった。
そして、万一、日本艦隊がオアフ島に艦砲射撃を仕掛けてきた場合にはこれら二〇隻の艦艇とオアフ島要塞と呼ばれる砲台群が同島の最後の防衛線となる。
ニミッツ長官は、正直言ってこれら艦隊や要塞にはさほどの期待はかけていない。
開戦以来、日米の勝敗を分けてきたのは航空機による戦いであり、つまりは制空権の有無によって天秤が大きく傾くことを彼もまた理解していたからだ。
ニミッツ長官が期待を寄せるオアフ島の航空戦力の増強は遅々として進まなかったが、しかし最近ではその様相が一変している。
その原因は日本からのメッセージだった。
あろうことか、日本軍はオアフ島攻撃を事前予告し、民間人の速やかな避退を合衆国政府に求めてきたのだ。
これを日本側の罠だと考え、むしろ豪州方面の守りを厚くすべきだという声もあったが、しかし日本側が合衆国政府だけでなく同国マスコミに対しても同様の情報を流してきたことからこちらの可能性は低いものと考えられていた。
一連の状況の変化によって、オアフ島の航空戦力は一挙に厚みを増した。
開戦前には四〇機以上あったP26やあるいはP36といった旧式戦闘機の姿はすでに無い。
それら機体よりもさらに新しくて高性能なP40やF4Fを散々に打ち破った零戦には到底かなわないと見られていたからだ。
その代わりに陸軍は一〇〇機近いP40をオアフ島に送り込んだ。
P40は開戦前にはオアフ島に九九機しか無かったから、二倍の増勢だ。
海兵隊もまたミッドウェーをはじめとした各基地に展開していた戦闘機をオアフ島に呼び寄せている。
ミッドウェーに関しては、本来であれば最低でも一〇〇機以上の航空機を運用できるはずだったが、しかしその程度では日本の機動部隊には抗しきれないことは明らかだ。
このため、残置諜報員を残し、それ以外の将兵はすべて同地から撤退している。
陸軍や海兵隊と同様、海軍もまたオアフ島防衛のために二七機のF4Fワイルドキャット戦闘機を送り込んでいる。
ただ、ニミッツ長官にとって不本意だったのはこれら機体が空母「ホーネット」の戦闘機だったことだ。
狭い飛行甲板に離発着出来る搭乗員を航空撃滅戦に投入するのは邪道もいいところなのだが、しかし陸軍や海兵隊に任せるばかりで海軍は何もしないというわけにもいかない。
海軍にとって陸軍や海兵隊は軍事予算争奪戦のライバルであり、ここでの不参加はルーズベルト大統領やあるいは議員らに対して極めてまずい印象を与える。
それになにより、この戦いは太平洋艦隊の仇討ちと呼号されているのだ。
母艦戦闘機隊の使用法が間違っているからと言って、しかし他に代替手段が無い以上、海軍は「ホーネット」戦闘機隊を差し出す以外に手は無かった。
戦闘機と同様、爆撃機も様変わりしている。
旧式のB18の姿はすでに無く、逆に開戦時には一〇機あまりしかなかったB17は一挙にその数を増し、今では一〇〇機近くが配備されている。
また、洋上の艦艇攻撃を苦手とする陸軍機に代わり、「ホーネット」のSBDが三六機、さらに海兵隊のほうも合わせて三〇機近いSB2UやSBDといった艦上爆撃機をオアフ島の各基地に展開している。
さらに、対潜哨戒や搭乗員救助を担う飛行艇や、あるいは基地機能を維持するための輸送機や連絡機も戦闘機や爆撃機と同様に増強の一途をたどっている。
それでも、ニミッツ長官は楽観出来ないというかむしろ悲観的だ。
こちらに向かってきている日本の空母は一二隻と見積もられている。
一隻あたり二〇機の戦闘機を積んでいれば二四〇機、三〇機なら三六〇機だ。
さすがに四〇機も積んでいるとは思えないが、それでもその総数はオアフ島の戦闘機よりも多いはずだ。
こちらに利があるとすればオアフ島は不沈空母だということと、そして飛行機の修理あるいは整備能力が高いこと。
それと消極的な理由だが、撃墜された搭乗員の救助が比較的容易だということくらいだ。
すでにミッドウェーの残置諜報員より日本艦隊来襲の報が入ってきている。
日本艦隊は多数の空母艦上機による爆撃によって同地の飛行場や軍事施設を一撃のもとに破壊し尽くしたという。
「あと半年あれば」
ニミッツ長官はそう思わずにはいられない。
あと半年あれば、艦艇はともかく飛行機のほうは陸海軍ともに相当に充実するはずだ。
だが、日本軍は待ってはくれなかった。
そして、ニミッツ長官は何もできない。
今回の戦いは実質的に日本艦隊vs陸軍航空軍のそれだったからだ。
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