第11話 海上護衛総隊
航空主兵主義者であると同時に帝国海軍内における最高権力者でもある伏見宮元帥の意向によって戦艦や重巡への予算が削減の一途をたどっているのとは裏腹に、航空関連予算は関係者に青天井ではないかと思わせるほどの大盤振る舞いとなっていた。
しかし、あまりに爆撃機や戦闘機といった正面装備を増勢すれば、諸外国に対して帝国海軍が航空主兵に舵を切っているとの印象をさらに強めてしまう。
そこで、第一線に配備する機体の生産はそこそこにして、帝国海軍は新型機材の開発や搭乗員の養成といった目に見えにくい戦力の底上げにその予算の多くを投入することにしていた。
そして、航空新時代を見据え、帝国海軍は新たに制空戦闘機や局地戦闘機、それに攻撃機や偵察機の開発を鋭意進めている。
「ほう、あれが一二試艦戦か。ずいぶんと速そうな機体じゃないか」
「おっしゃる通りです。これまでであれば艦上戦闘機といった制空戦闘機は格闘性能が第一とされていました。そして次に速度性能や航続性能あるいは武装と続き、最後に搭乗員保護だったのです。
ですが、一二試艦戦はなによりも搭乗員保護こそを最優先としており、速度性能がそれに続きます。格闘性能の優先順位は武装よりも低く、航続性能とともに下位に位置している。
つまりはこれまでのものとは真逆の開発ポリシーとなっております。これは機体はいくらでも修理、生産が出来るのに対して優れた搭乗員はすぐには補いがつかないという元帥の意を色濃く反映したものと言えます」
ふだんであれば上官に対してずけずけとものを言う井上中将も、相手が伏見宮元帥であればその口調もずいぶんと丁寧なものになる。
それに、伏見宮元帥には無理を言って航空本部長の椅子を用意してもらったこともあって、さすがの井上中将も彼には頭が上がらない。
その井上中将もまた、帝国海軍の飛行機屋の将官として操縦資格を持っている。
将官として誰よりも先に操縦資格を取得した伏見宮元帥がことあるごとに「自身で操縦桿を握ってみなければ分からないことも多い」といったようなことを吹聴していたから、航空主兵主義を標榜する者の一人として井上中将もまた年甲斐も無く操縦に挑戦し、ようやくのことでその資格をゲットしたのだ。
そして、伏見宮元帥が言っていた通り、自身が操縦桿を握ることによってこれまで見えなかった、あるいは気付かなかったことが多くあることを井上中将はその経験から学んでいた。
俗に言う、立場が変われば見える景色もまた違うというやつだ。
なによりもまず分かったことは、自在に空を飛べるようになるまでには長い年月と莫大な費用を要するということだ。
もちろん費用については海軍持ちだから、それはそれでまあいいのだが。
搭乗員に必要とされる知識や技能、それに経験の総量は一般的な海軍将兵のそれとは比較にならないことを井上中将は自身が操縦桿を握ることによって身に染みて分かった。
それと、過大すぎる航続性能は搭乗員の疲労を招くことも。
機内移動が可能な大型機ならともかく、座りっぱなしを強いられる小型の機体において長時間飛行がいかにつらいものなのかは井上中将も身をもって理解していた。
あと、疲労がひどいと操縦中なのにもかかわらず睡魔が襲ってくることも。
そして、なによりの気づきは搭乗員の速成教育による養成はほぼ不可能ということだ。
だから、ひとたび熟練を失えば簡単には補いがつかない。
つまり、搭乗員という希少かつ貴重な人材は何においても最優先で守られなければならない。
だから、一二試艦戦は先代の九六式戦闘機とは打って変わって防弾性能、そして速度性能が重視され、逆に格闘性能の優先順位は繰り下げられている。
なんにせよ脚が遅ければ敵を追撃出来ないし、逆に避退もままならない。
いくら格闘性能が高くても速度性能が低ければ一方的に不利な戦闘を強いられることは複葉戦闘機と単葉戦闘機の戦いを見れば明らかだ。
そのほかにも井上中将はいろいろと観取するところがあったのだが、それをまとめたのが「新軍備計画論」だった。
航空戦備の充実と戦艦無用論を説いたそれを井上中将は伏見宮元帥に提出する。
海軍の空軍化を唱えた先鋭的あるいは急進的なその内容を伏見宮元帥はいたく気に入り、それをきっかけに彼はこれまで以上に井上中将を重用している。
一方で、伏見宮元帥は「新軍備計画論」を悪用することも思いつく。
「新軍備計画論」は航空機や潜水艦の重要性とともに海上交通保護の切要もまた訴えていた。
現在の帝国海軍には護衛専門の部隊などほとんど存在しないから、「新軍備計画論」に従うのであれば海上交通路を守るための専門部署を新たに立ち上げなければならない。
その考え方を利用する。
つまりは、新しく設立する海上護衛を担当する部署に、大艦巨砲主義から航空主兵主義への転換を嫌う者や反対する者、あるいは海戦要務令や漸減邀撃作戦から脱却できない頭の固い連中などをことごとくそこに放り込んでしまうのだ。
「いまだに大艦巨砲に郷愁を抱いているような腐れ士官の捨てどころとしては最高の組織だな」
そう考えた伏見宮元帥は思わず悪い笑みを浮かべてしまう。
その微笑が一二試艦戦に対する満足からくるものだと勘違いした井上中将もまた珍しくその表情をほころばせる。
それからしばらく後、帝国海軍に海上護衛総隊という名の組織が設立されることとなる。
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