後日談

第1話 赤い王女の答え(ジャネット視点)

 アンリエッタとマーカスが洞窟内へ足を踏み込んでから数分後。水場に一人の女性が現れた。


 すぐさま二人の後を追うのかと思われたが、しばらく洞窟を見詰めるだけだった。時折、雪化粧するカザルド山脈の頂を見上げる。けれど、また視線を洞窟に向けては、様子を伺っているだけだった。


 それが大分たった頃、中から人の気配がし始めた。女性は慌てて、来た道沿いにある茂みに身を隠した。


「来るという連絡は貰っていませんでしたが、何かあったのですか、ジャネット様」


 よく手入れされた赤毛は、無造作に生えている草木の中にいると、より際立って見えた。

 人の気配と髪の色。そして、この場所に来るような人物を想定することなど、ユルーゲルでなくとも簡単に導き出せる。


 ジャネットは罰が悪そうに、茂みから出た。ユルーゲルの方は見ず、葉を払う素振りをしながら髪に触れ、そのままくるくると指に巻き付けた。


「やるべきことを済ませたから、やることがないのよ。だから何かあったと、敢えて言うなら、私が退屈になってしまったことかしら」

「それは失礼しました。しかし、あれだけあった魔塔の仕事を、もう片付けてしまわれるとは」


 ユルーゲルは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに穏やかな表情へと変わる。しかし、反対にジャネットの表情は、冴えなかった。


「貴方の言いたいことは、それだけなのかしら」

「……」


 ジャネットの言葉に、今度は固まった顔になり、徐々に渋い表情へと変わる。


 本当に分かっていないみたいね。いや、分かられても困る……のは、私の方……か。


「分かっていないのなら、それで構わないわ」


 ようやく、自分が何をやっているのか自覚した途端、急に恥ずかしくなった。


 ユルーゲルに背を向けて歩き出す。後ろから、名前を呼ばれたが、足を止めることも、振り返ることもしなかった。


 何故なら、私は催促してしまったからだ。


 数ヶ月前、魔塔で言ったことを、すぐに求めてしまうなんて。何てはしたないことをしているんだろう。


 そもそも、ここ数日起こったことが原因だった。


 一つ目は、アンリエッタとパトリシア嬢の問題が解決したこと。


 二つ目は、マーカスに頼まれたことだ。

 カザルド山脈に行く前に、イズル夫妻にアンリエッタとの結婚を承諾して貰う旨の手紙を、渡して欲しいと言われた。その返事が、アンリエッタが目を覚ます数日前に届いたのだ。


 元々、魔塔に居ることは少なく、各地を点々としていることが多いため、いつ何処にいても、連絡が取れるような手段が出来ていた。

 いや、その条件の元、自由にさせてもらっているのだが、それが今回、仇となった。


 今まで、釣書が送られてきても、同年代の人たちが結婚しても、気にはならなかった。私は王女であり、魔塔の主。他人とは違う。同じ土俵で物事を考え、比較するだけ無駄な行為だったからだ。


 しかし、今は違う。あの時と状況が変わってしまったのだ。


 好きな相手も、結婚したい相手がいなければ、脳裏に抱くことはない。だが、出来てしまったら、嫌でも意識してしまう。


 私もまた、望んでしまったのだ。皆と同じように、好きな相手に私を好きであって欲しい、と。


「待ってください!」


 ユルーゲルに手を掴まれた。が、咄嗟に腕を払った。すると、今度は風の魔法を使い、道を塞ぐようにして、目の前に降り立った。


「ジャネット様の仰りたいことは分かります。しかし、今はそのような状況ではない、と思いまして……」

「だから、洞窟に籠ったというのかしら」


 三つ目は、ユルーゲルに放っておかれたことだ。


 苛立ちを露わにして、ジャネットは詰め寄った。


「それは、好奇心が抑え切れず……」

「なら、私はどれくらい待たなくてはいけないの?」


 ユルーゲルのローブに手を掛けた。が、顔を直視することが出来なかった。


「申し訳ございません。ジャネット様の気持ちを汲み取れず……」

「もう一度言うわ。言いたいことは、それだけ?」


 俯きながらも、先ほどと同じ口調で聞いた。


「いいえ。お慕いしています。これからも、お傍においていただきたいです。だからどうか、お顔を上げて貰えませんか?」

「遠回しな言い方は嫌いじゃないけれど、こういう時は、ストレートな方を聞きたいわ」

「……」


 やっぱり、この男にそういうのを求めるべきではなかったわね。


 ジャネットは、ユルーゲルのローブから手を放すのと同時に、距離も取ろうとした。途端、それを許さないとばかりに、腰を抱かれた。


「!」


 驚いて、思わず顔を上げた。体の密着と同様に、ユルーゲルの顔が間近にあった。


「勿論、愛しております」


 顔が傾き、ゆっくりと近づく。それがじれったくて、ユルーゲルの首に腕を回して引き寄せた。


「五十点」

「キスがですか?」

「違うわよ! 今度からは、催促しないで済むようにしてちょうだい」


 しゅんとするユルーゲルに、ジャネットは一喝した。


「分かりました。けれど、私もジャネット様から聞きたいのですが」


 自分にだけ言わせて、且つ点数まで付けられたことに対する腹いせなのか、はたまた率直に聞きたいだけなのか。ユルーゲルからの催促に、ジャネットは顔を真っ赤した。


「私ばかり催促されるのは、不公平かと思いまして」

「す、好きよ! これで良いでしょ!」

「はい。今はそれだけで構いません」


 ユルーゲルに優しく抱き締められた。が、正確にはジャネットが、ユルーゲルの胸に顔を埋めたような状態だった。


 私の方が、全然ダメじゃない。何が五十点よ! 私なんて零点だわ!


 ユルーゲルはただ宥めるように、髪を撫でた。


 何度も、何度も。ジャネットの気持ちが落ち着くまで。


 すると、突然向かい風が吹いて、ユルーゲルのローブが靡いた。まるで、ジャネットの顔を隠すかのように。

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