第32話 目覚めとリボンの行方

 うるさい……。


 まだ寝ていたいのに、騒がしくしないで欲しい。


「ん……」


「――……っ!」


 あ、静かになった。これでまた、ゆっくり寝られる……。寝られる?


 そっか。私は今、寝ているんだ。起きたり寝たりを繰り返していたから、区別がつかなくて、分からなくなっていたよ。


 うん、これはあれに似ている。まだ寝ていたいのに、起きなきゃならないからなのか、意識が混濁していて、起きて着替えまでしたのに、実際はまだ布団の中……という残酷な状況に。


 ということは、これはまだ夢の中ってことかな?


 夢なら、家に帰りたい。


 寝るなら、家の布団の中で蹲って、昼まで過ごしていたい。そういえば、転生してから、そういうこと、一度もやっていないような気がする。

 今度休みの日に実行してみよう。でも今、お店休んでいる状態だから、当分は無理だな……。


 はぁ。風景だけでも、私の部屋にならないかな。夢って、案外自分の思い通りのものを見せてくれないから、期待はできないんだよね。


 目を開けたら、私の部屋だったら良いな。


「……」


 見慣れた天井を目にしたアンリエッタは、また目を閉じて、数秒数えてから、再び目を開けた。


「……?」


 石でもコンクリートでもない、木目が見える天井をしばらく見た後、ゆっくりと目だけで周りを確認した。


 私の部屋にあるはずのカーテンが、窓が開いているのか、揺れているのが見えた。その先には、帳簿が入っている机。視線を逆に動かせば、そう壁だ。柄なんて付いていない、ただの壁。

 必要な物しか置いていない、可愛くも何ともない、私の部屋だった。


「……!」


 間違いなく、起きていることを確かめたくて、アンリエッタは体を起こそうと試みた。


 まず上半身を起こすために、少しだけ持ち上げた。若干体が重く感じたが、痛みがないことと、動かせることに感激した。けれど、そのまま起き上がれるほどの力がなかったため、腕の力を借りようと、手を自身の方へと引っ張った。


「?」


 もう一度引っ張ったが、片方だけアンリエッタの方に、戻ってこない。けれど、片手の力だけでも、起き上がれるだろうと思い、動かした。


「はぁ、はぁ……っ!」


 結果は、力が足りず、そのままマットレスに背中が当たる……はずだった。背中とマットレスの間に、さっと差し込まれた何かに、それを阻まれたのだ。


 少し動いただけで、息切れしていたのが、その何かによって驚いて、顔を上げるのと同時に、引っ込んだ。

 しかし、それが良くなかった。空いている方の手で、胸を抑えながら、アンリエッタはゲホゲホと咳き込んだ。


「大丈夫か」


 アンリエッタの背中に触れていた手の主が、心配そうに言いながら、優しい手つきで、上下に摩ってくれた。


「だい……じょ……うぶ……」


 マーカス、と名前を呼びたかったが、喉が乾燥しているせいで、“大丈夫”という言葉すら、満足に言えなかった。

 それを察したのか、マーカスはアンリエッタの体を支えつつ、器用に片手でコップに水を注いで、アンリエッタに渡した。


 ゆっくりと三口まで飲んだ後、コップに残った水を一気に飲んだ。


「マーカス?」


 コップを返すと、そこには見たこともないような、憔悴しきったマーカスの顔があった。いや、前にも見たことがある気がした。


 あそこだ。魔法陣に捕えられていた時に見た顔だ。……あっ! もしかして……。


「アンリエッタ?」


 空いた両手で、マーカスに抱きついた。抱き寄せられるほどの力もなく、神聖力を意識して出せるほどの気力もないため、密着することで、マーカスに神聖力を渡した。

 アンリエッタの体の周りには、神聖力が漂っていた。出す気力はなくとも、操作することは、簡単なことだった。


 あの隠し部屋で起きた出来事を思い出したアンリエッタは、マーカスが怪我を負った、と思っていた。実際には怪我はしたものの、たいしたことではなかったが。

 しかしアンリエッタは、マーカスの憔悴を、自身の看病でなったこととは、微塵にも思っていなかったため、怪我によるものだと、思い込んでいた。


「ダっ、ダメだ。大人しく、安静にしてくれ」


 祝福で、何度か神聖力を受け取っていたマーカスは、それに気づき、慌ててアンリエッタを引き離した。


「でも、マーカス。顔色が良くないから……」


 マーカスの頬に伸ばした手を掴まれ、布団の中に戻された。ご丁寧に、しっかりと胸の上まで、布団をかけてまで。


「病人は、アンリエッタの方だ」

「あっ」


 今気がついたとばかりに、アンリエッタは笑って見せた。


「俺は神聖力が目的で、アンリエッタの傍にいる訳じゃないんだから」

「うん、分かっているよ」


 突然、何を言っているのかと思い、再びマーカスに手を伸ばした。今度もまた、頬には届かず、マーカスに取られてしまった。

 しかし、マーカスはその手を、アンリエッタの望んだところへと持っていった。そして、手のひらに口付ける。


「!」


 驚いて、手を引っ張ったが、マーカスは放す気はないらしく、今度は手の甲にキスをした。


「マ、マーカス?」


 えっ、そんな雰囲気じゃなかったと思うんだけど。


 そんなアンリエッタの気持ちなど置き去りにして、マーカスはやめるつもりはなかった。顔が近づき、額に、頬にキスをし、わざと残しておいたとばかりに、アンリエッタの唇を舐めた。


「っ!」


 我慢できずに、何か言おうと開いた口は、マーカスに塞がれた。

 次第に、文句を言おうとした口から、荒くなる息とうめき声が出た。さらにマーカスが、布団に触れる音が聞こえた。


「ん~~~!」


 アンリエッタは慌てて、マーカスの肩を押した。いくら精神年齢が上だからと言っても、さすがにまだ抵抗があったのと、もう一つ理由があった。


「わ、私!病人、なんでしょ!」

「あ――……」


 その言葉に、マーカスは返す言葉がないのか、目を逸らした。

 不満そうな、まだ物足りなさそうな顔に、アンリエッタは壁の方に体ごと向けて、拒否を表した。すると、マーカスは立ち上がり、アンリエッタの耳に囁いた。


「医者を呼んでくる。それまで、大人しく待っていてくれ」


 マーカスの息がかかり、体が反応を示すと、いたずら心に火をつけてしまったらしい。耳たぶを舐められたばかりか、甘噛みまでされた。耳を押さえて、マーカスの方を見ると、楽しそうにこちらを見ている。

 そこでアンリエッタは、あることを思い出した。こういう時に、抗議するアイテムを。


「リ、リボンは? マーカスが持っているんでしょ」


 隠し部屋でマーカスが持っていることを思い出したのだ。今更手首にない状態で、どう抗議すれば良いのか分からなかったが、ないよりかはいい。


「あれは捨てた」

「え? どうして?」

「ケチが付いたから」


 あぁ、とアンリエッタはマーカスの言い分に納得してしまった。でも、これとそれとは関係ない。


「なら、代わりの物!」


 寄越せ!


「無いなら、返して。捨ててないんでしょう」

「……本当に無いんだ」

「捨ててないんでしょう」


 念を押すと、観念したようにポケットから青いリボンを取り出した。アンリエッタは手を差し出して、マーカスから奪うようにリボンを受け取った。


「付けるんじゃないのか」

「付けないよ。嫌だと思ったら、付けない。そういう意味だったよね」

「あ、あぁ。悪かった」


 安堵したアンリエッタは、マーカスの言う通り大人しく寝ることにした。が、突然腕を取られた。すると、次の瞬間、マーカスがアンリエッタの手首に口を当てた。


「っ!」


 手を引いても、しっかり掴まれていて、動きもしないばかりか、チクリと痛みを感じて、ますます動けなくなってしまった。


「放……して……」

「いいよ。代わりに、しばらくこれは、外さない方がいいかもしれないな」


 アンリエッタからリボンを奪い、手首に巻き付けた。


「しっかり付けておいたから」

「なっ!」


 その意味を悟り、手首に巻かれたリボンを見ていると、マーカスは笑いながら部屋を出ていった。残されたアンリエッタは、恥ずかしさのあまり、頭まで布団を被った。

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