第20話 黄色い騎士の見解(マーカス視点)

 泣く奴は嫌いだった。男でも女でも、それは変わらない。けれど、アンリエッタの前では、いとも簡単に覆った。


 突然泣き出した姿に戸惑い、先日のように抱き締めようと手を伸ばした。が、神聖力を抑えた時とは状況が違うことを思い出し、その手を引っ込めた。


 そもそも泣き出した理由が、分からないのだ。

 荷物をあのガキから取ったことに、怒りはするだろうが、泣くなんてことは、果たしてアンリエッタがするだろうか。令嬢たちとは違い、俺の皮肉や嫌味、屁理屈さえ受け流し、反論までする。そんなアンリエッタが。


 じゃ、何だ? 考えても思い当たる節はなかったが、泣く前のことを思うと、十中八九、俺が原因に違いないだろう。


 宥める方法も分からず、ただこのままにしていては良くないと判断をし、アンリエッタを抱き抱えて、部屋へと向かった。


 そこで聞かされた話は、確かにアンリエッタが言うように、簡単には信じられるような話ではなかった。が、どれも辻褄が合う話でもあった。


 数日前、アンリエッタに関する手紙が、侯爵家から届いた。孤児院を出る前の経緯。アンリエッタから聞いた、出た後の経緯。そして、この店のことも含めて、十八歳の少女が出来るだろうか。

 しかも、そんな経緯を思わせない人柄。まるで普通の家庭環境で過ごしてきたかのような、雰囲気を纏わせていた。


 強いと思ったのと同時に、そこまで強くならなければならない状況の説明に、納得した。


 信じる信じないの話が、前世のことか、その状況の話なのかは分からなかったが、アンリエッタの話は、貴族社会ではよくある話だった。孫と祖父母ではなく、親子間ではだ。


 子供のためと言いつつ、虐待して、自分だけ甘い蜜を吸う親なんて、代表的な話だ。


 パトリシアのこともまた、そうだった。アンリエッタが顔なら、パトリシアは痣だった。そんなものを持って生まれたせいで、本人が望みもしない環境が出来上がって、それに抗う。状況は完全に違うが、理屈は一緒だった。


 だから、取引を持ち掛けた。自分でも破綻しているほど、滅茶苦茶な内容のものを。けれど、そんな屁理屈染みたものでも、心は軽くなるはずだ。そしていつか、その呪縛から解放される時がくるだろう。アンリエッタがそれを望んでいるんだから。


 そうしたら、まさかアンリエッタからしてくれるとは、と思った矢先、身を引こうとする素振りに、躊躇いなく唇を重ねた。

 触れたかった唇だ。すぐに離すつもりはなかった。だが、少しやり過ぎたかと思い、一度唇を離した。途端、先ほどのことなど忘れたかのように、また触れたくなり、今度は角度を変えて重ねた。


 それを何度か繰り返し、ようやくアンリエッタの表情が見たくなって、顔を上げた。目が合ったアンリエッタの表情に、まずいと感じた。


 目元の赤みが分からないほど、赤くなった顔に、無防備に見つめる瞳。


 今日はすでに、自身の秘密を話して、疲れ切っているアンリエッタに、さらに負担を掛けてはいけない。だから、これで最後にするから許してほしい気持ちで、額にキスをして、部屋を後にした。


 そして、あることを思いついた俺は、一度家を出て行った。



 ***



 翌朝、アンリエッタに会うと、昨日とはまた違った、気まずそうな顔を見せた。避ける様な仕草をしないことから、嫌がっているわけではないことが分かった。


「もう朝の仕込みは、終わったのか?」


 仕込みの時は、必ず髪を高く結い上げている。朝食前に仕込みをして、その延長で朝食を作るのが、毎朝のアンリエッタのルーティンだ。


 部屋を出た時に見た時間は七時。朝の開店時間まで、残り三十分しかない。それにも関わらず、廊下で出くわしたアンリエッタの髪は、結ったままだった。


「うん。朝食が出来たから、たまには……呼びに行こうかと思って」


 途中から視線を逸らした目の下は、少し赤みを帯びていた。照れ臭そうに、アンリエッタは頭に手を伸ばし、流れるような仕草で髪を下ろした。


 マーカスはその手をすかさず掴む。そして、ポケットから取り出した、青いリボンを手首に巻いた。


「えっ、何? マーカス、これは?」


 驚いてはいるが、大人しくリボンを結い終えるのを、待ってくれていた。これもまた、昨日までとは違う反応だ。


 アンリエッタの反応と、結い終えた手首を見て、マーカスは満足そうに微笑んだ。


「これは、昨日の取引の証だ」

「あっ」

「もし、俺が取引に違反した場合、つまりアンリエッタが怖いと感じるほどの愛情表現をした場合は、これを解いてくれ。今はまだ、その線引きが分からないから」


 昨日アンリエッタが話してくれたことを、明確に理解することは難しかった。ただそれを口に出すのは、アンリエッタを傷つけるようで言いたくない。その代わり、理解しようとする意志を伝えたかった。


 それはアンリエッタにも、無事伝わったらしい。


「ありがとう。でも、何で青なの?」

「分からないか?」


 お互いの瞳の色をした物を、贈り合うという考えが、平民には、いやアンリエッタにはないらしい。それを伝えようかと思ったが、それとは別のことを言った時の反応が見たくなった。


「これは、いずれ別の物に代わるための物だからだよ」

「……マーカス、朝は忙しいんだから、じらさないで」

「しょうがない。このリボンは、指輪の代わりだよ」


 気持ちが通じ合って間もないのに、いきなり指輪を渡すのは重いと思って、リボンにした。勿論、取引としての需要が大きいが。それでも、何か証が欲しかった。


 アンリエッタの手に触れたまま、さらにマーカスは言葉を続けた。とても重要な言葉を。


「それから昨日はちゃんと言っていなかったからな。愛している」


 そして、手に口付けた。

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