第18話 気まずさ×2
気まずかった。嘘をついたのはマーカスで、怒ったのは私。そして、大事だと言ってくれたマーカスに、答えもせずに逃げ出したのも、私だった。
そしてさらに言うと、気まずく感じているのは私だけで、マーカスはいつもと変わらずに接してくれていた。
「それで、困っているんだね」
市場のアイドルにして、エメット青果店の看板娘のロザリーに、相談を持ち掛けた。今は昼と夕の間で、一番お客の入りが少ない時間帯だった。そこを狙って、アンリエッタはロザリーをお茶に誘ったのだ。
「うん。出来れば、前の状態に戻りたいんだけど、どうすればいい?」
今までなら困ったことがあれば、一番に相談していたエヴァンには、今回のことはとてもじゃないが、相談できなかった。
今日の昼にパンを買いに来てくれたポーラには、アンリエッタの変化を見抜かれ、相談よりも咄嗟に『マーカスと喧嘩している』と誤魔化した。実質、喧嘩ではないが、気まずいと言えば追及される。
さすがに、これはポーラさんには、相談できる内容じゃないし……。とはいえ、一人で抱え込んでいても、解決案は浮かばないから、その手の相談ができそうな、ロザリーを頼るしかなかった。
「アンリエッタ。本当に、前の状態に戻りたいって思っているの?」
「……分からない」
「向こうが、変わらない態度なら、アンリエッタの望み通りになっている、って気がするけど、それはまた違うわけ?」
ロザリーの言わんとすることは分かる。マーカスは、私の気持ちに合わせてくれているのだ。それがまた、戸惑う原因でもあった。
何故なら、前世での私の周りは、話の通じない人間たちが多かったからだ。つまり、私の意見など通らないことが、当たり前の世界にいた、ということだ。だから、まず説得から始めるのが通説だった。相手が年上か目上の人間なら、尚更のこと。
「違わないけど、だからこそ、気まずいんだよ」
「つまり、なかったことにされたのが、嫌なんだ」
「うっ……」
否定はできない。進展を拒否したのに、なかったことにされたのが嫌って、どれだけ自分勝手なのよ。
「なら、いっそのこと、自分から言えばいいのに」
「何を?」
「好きだって、告白するんだよ」
な、何を言っているのよ、この子は‼そんなこと、出来るわけがないじゃない。だから、相談しているっていうのに。
「ロ、ロザリー。私は関係を進展させたい訳じゃなくて――……」
「後退できないんだから、前に進んだ方が、気持ちも楽になると思うよ。ここでグダグダ悩んでいるより、よっぽど経済的だと思うけど」
作業効率と恋愛感情を、同一視されても困るんだけど……。ロザリーの言っていることも、一理あった。今更後退はできないってことに。
紅茶に口を付け、改めてロザリーを見た。
このサバサバした、いや爽やかさが売りの友人には、この手の相談は、向いてなかったのかもしれない。もしかして、人選ミスった? 今更後悔しても遅かった。
「そうだ。何気に聞いていたから、聞きそびれていたんだけど、やっぱり兄妹じゃなかったんだね」
人選だけじゃなく、色々とミスっている自分に、頭を抱えたくなった。
「ロザリー、勿論秘密にしてくれるよね」
手を合わせて、微笑んで見せる。
「そりゃ、友達だもの。良いよ。でも、代わりに……」
「うん。分かっているよ。ジェイクでしょ」
ジェンダー兄弟は、日常的な買い物のほとんどを、兄のエヴァンが担当している。そのため、ジェイクは市場になかなか現れることがない。
そこでアンリエッタの出番というわけだ。色々理由をつけて、ジェイクを市場まで引っ張り出す。お店に出す材料が足りないとか、切れたから買ってきてとか、買い物に無理やり付き合わせるなどしていた。お店から離れられないロザリーのために。
「ん? 俺がどうかしたか?」
それはこっちの台詞だ。普段ここに現れない男のお出ましに驚きつつも、友人の表情を見て口を噤んだ。無粋なことは言うまい。
とりあえず気を利かせて、空いている椅子に座るよう促した。
「なかなか買い物に来ないジェイクを連れ出してきてって、アンリエッタに頼んでいたところ」
「ロザリーのところは、俺がわざわざ買いに行かなくても、繁盛しているだろう? 兄貴に聞いてるぜ」
「そうじゃなくて!ジェイクだって、たまには買い物しに来てよ」
そんなやり取りをしている二人を見て、可愛いなぁ、と思う。ジェイクじゃなくて、ロザリーが。ラブコメでも始まりそうな雰囲気に、頬が緩みそうになった。
それがバレたのか、ジェイクがこっちを見てきた。
「そういえば今日は、荷物の方は大丈夫なのか?時々兄貴が運んでるって、言っていたけど」
「うん。でも今日は大丈夫。ロザリーのところのおじさんが、夕方過ぎに届けてくれるって言っていたから」
そう時々、周りの善意をありがたく受け取りながら、そのように横着していた。副業として納めている薬草を受け取りに来る際、エヴァンが市場で適当に食材を選んで、届けてくれることがあった。それが続くと、今日のように、たまにロザリーの父親が、これも適当に箱に詰め込んだ物を運んでくれていた。
なにぶん、アンリエッタでは運べる重さに限界があり、さらにはそれらを運ぶのに適した道具も、所有していなかったのだ。そして、アンリエッタはその親切を、何一つ無駄なく受け取っていた。
「ちょうど来たから、俺が運んでやるよ」
「それは、ありがたいんだけど……」
言葉を詰まらせ、ロザリーの方を見た。正直、誰が運んでくれても、アンリエッタにとっては構わなかった。しかも早めに運んで貰えるのであれば、さらにそっちの方が、都合が良かった。夕方の仕込みをしていない今なら、お店に出せるレパートリーも増えるからだ。
しかし、ロザリーの気持ちとしてはどうだろうか。
「一人分増えたんだから、荷物だって多くなるだろ。礼は、しばらくの間、俺の好きなあのパンを作れ」
「やってもいないのに、見返りを要求するような人間には頼まない」
なんて図々しい奴なんだろう。因果応報という言葉を知らないの! って異世界だから、知らないか。
「だったらロザリー。荷物を用意してくれ」
「えっ⁉ いきなり?」
ジェイクがロザリーに詰め寄った。食べ物の力、恐るべしというところだろうか。パンを買いに来るのも、エヴァンであるため、ここまでジェイクが食いついていたとは、アンリエッタも知らなかった。
「あぁ。今すぐだ」
「……だったら、ジェイクも手伝ってよ。時間短縮にもなるから」
「わかった」
素直だ。いや、それよりも良かった。さすがロザリーだ。接客と同じで、ジェイクを誘導するのが上手い。二人は立ち上がると、市場の方へ歩いて行った。
ロザリーに迷惑もかけたから、ここの支払いは私が持とう。そう考えていると、ここで見るとは思わなかった人物が、視界に入った。
何をしているんだろう、と声もかけずに見ていると、洋服屋に入っていった。自警団で必要な何かを注文していたのかな。学術院の警備って、制服とかありそうだし、厳しそう。
しばらくすると、お店から出てきたマーカスが、アンリエッタに気がついた。少しバツが悪そうな表情をしたものの、こちらに近づいてきた。
「一人か?」
「……今はね。マーカスこそ、どうしたの? 洋服屋さんなんかに入ったりして」
「勿論、服を注文しに行くしかないだろ」
馬鹿にされたのだろうか。でも、よくよく考えてみると、ギラーテに来て数週間。旅で持っていた服は、当然悪くなっているはずだ。そろそろ新しいのを、と考えるのは、おかしくないことだった。
なんて、気が利かなかないんだろう、私は。
「入用なら、私も少し出すよ」
すると、マーカスは驚いた顔をした。そして、突然笑い出した。
「いや、必要ない」
「何で? ……こないだのお詫びも、まだ……してないから、その……」
言えば言うほど、その時のことを思い出し、気まずくなった。
「すまない。あれは、俺が性急過ぎたんだ。その詫びがしたいから、あの店に入った」
マーカスも気にしていたことに、安堵した。けれど、“詫び”って?アンリエッタの勘は、こういう時には役に立たない。
「出来れば、お洒落な服をと思ったんだが、予算不足で普段使いの服になった。受け取って貰えるか?」
「え? もしかして、私の……服……?」
「他に誰がいる」
いや、だって……。いきなり服って……。あれ?
「何で、サイズ分かったの?」
聞かなければ良いことを、聞いたことに気がついたのは、マーカスが答えた後だった。
「あれだけ触れていれば分かる」
「~~~‼」
赤面したアンリエッタは立ち上がったが、再び座り直した。ロザリーとジェイクが戻ってくるまで、ここにいないとならないからだった。
***
結局、荷物はジェイクではなく、マーカスが持って行ってくれた。
「やけに多くないか」
「元々、ジェイクが二人分あるんだから、運んでくれるって言っていたの。だからでしょ」
ついでにロザリーも、来るつもりだったのかもしれない。サービスと言って、アンリエッタにも渡された。まぁ、ロザリーに対する、ジェイクの問題は解決したから良いけれど……。と、アンリエッタは、マーカスを見た。
どうして、さらに気まずくなるようなことを、さらっと言うのかな。詫びが詫びになってない。
アンリエッタが素っ気なく返事をすると、マーカスはふ~ん、と機嫌が悪そうに鼻を鳴らした。
「代わりにジェイクの好きなパンを作れって、押し切られて……だから……」
言い訳のように、ただその時の状況を話していただけなのに、荷物を置いたマーカスに詰め寄られた。
「それで? 作るのか、パンを」
「つ、作らないよ。運んだのは、マーカスなんだから」
満足そうに微笑むと、マーカスは頭を撫でた。
嫉妬……だよね。これは。嬉しいはずなのに、私の気持ちを無視されたようで、少し嫌。
祖父母に人格を否定され続けていたことが、ここでもまた弊害になった。
もう、別の人生なのに、前世で望んだ、別の血が流れている体なのに。いつまで縛られ続けているんだろう。
「アンリエッタ?」
心配するマーカスの声で、泣いていることに気がついた。
「悪かった。そういうつもりで言ったわけじゃないんだ」
「マーカスは、何も悪くないの。私が……ただ……一人で、勝手に……」
そう、マーカスは悪くない。悪いのは、私。『悪い子になった』のは、私なんだから。
今はもう、マーカスから感じる温もりに、身を委ねるだけで、精一杯だった。
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