第十部 女傭兵の故郷

10-1 故郷

     ◆


 馬をとめたのは目の前に十騎ほどが立ちふさがったからだ。

 私、サリーン、ランサが彼らと向かい合うことになった。

「どこへ向かう」

 進み出た男の大音声に、やや苛立つ自分がいる。

 どこかの兵士らしいが、しかし具足は古びていた。旗は立ててないという事は確認するまでもない。本隊と離れた別働隊だろうか。

「ガ・ウェイン傭兵社のものだ」

 進み出てサリーンが声を返す。両者の間が離れているので、大声を向け合っている。

「傭兵が三人で何をしている」

「休暇だよ。帰省さ」

 男は何かを吟味した表情の後、すまん、とだけ言って部下の警戒を解かせた。私たちは彼らの横を抜け、先へ進んだ。もし街道だったら窮屈だったろうけど、ほとんど原野である。

 男たちを置き去りに私たち三人は馬を駆けさせるが、不愉快なのは、まるで私たちが地面にできている、馬蹄が掘り返した筋を追っているような形になっていることだ。

「どう思う?」

 すっとサリーンが馬を寄せてきた。別に声を落とさなくても、聞いている奴なんていない。

「知らない」

 私は正直に答えた。知るわけもないのだ。

 しばらく行くと、山間になり、木立の間を抜けることになる。

 進めば進むほど、懐かしさがこみ上げてくる。

 やがて建物が見えた。

 正確には建物の残骸だ。

 私たちが生まれ育った集落の成れの果てだった。

 馬を降り、周囲を見まわす。人の気配はないし、ひっそりとして、時間の流れから奇妙に隔絶されているような気もした。廃屋に草がまとわりついていても、変に時間とは無縁に見える。

 あの時、盗賊たちに村を蹂躙された時、私たちが傭兵になると決めた時から、確かに時間は過ぎているのにまるで今にも元の生活が取り戻されるような気さえする。

 人々が話す声や笑い声。子どもたちが走り回り、犬が吠える。

 実際には今は何も聞こえない。

「これは夜営と変わらないわね」

 そう言ってサリーンは、しかし地面を見ている。ずっと黙っているランサもやはり地面を見ていて、「こっちだ」と声をあげた。彼が歩き出すのを私とサリーンでついていく。

 地面には実は足跡が無数にあった。それも新しい足跡だ。

 足跡は一軒の廃墟に通じていて、やっぱり人の気配はなく、開けっ放しの扉から中へ入る。

 生活の痕跡などないが、火が焚かれたのはわかった。

「さっきの連中の夜営の後だな。ちょうどいい。ここを借りよう」

 ランサが決めたが反対する理由はない。

 そのランサが私たちを見て、苦々しげな顔になる。

「ここはナロフ爺さんの家だったよな」

 そう、ここはナロフの家だったのだ。

 一人で生活していて、家具は少なかったが、今もそれは残っている。奪うほどのものではなく、誰かが買うようなものでもない。家は出入り口と土間、居間の一部はそのままで、しかし奥は燃えてなくなっていた。

 天井もそちら側へ半ば崩れ落ちていて、今は青空が見える。

 三人ともがそれぞれの支度を始め、燃料になりそうなものを集めたり、水を汲みに行ったりした。私が水の担当だったけど、井戸はなぜか水が枯れていた。

 サリーンに川へ行くことを告げると、彼女は「気をつけてね」とだけ背中を向けたまま言った。彼女の担当は建物の掃除だった。

 何か、昔の光景が重なって見えた。サリーンが掃除しているところなんて、当時でさえ見なかったのに、だ。

 ここではまだ、私たちの平和な生活が続いている。

 子どもたちは成長し、それぞれに生活を始める。大人たちは年老いていき、農耕や採集ができなくなれば子どもたちに文字を教え、算術を教える。

 ここだけは世の乱れ、騒乱からは無縁で、ここだけの完結した環境が、いつまでも続く。

 そのはずだった。

 あるいは、この世が終わるまで。

「どうしたの?」

 不意にサリーンが振り返る。

 背丈がちょっと高い少女ではなく、男にも負けない長身の、若い女の傭兵が振り返ったのだ。

 揃いの具足を身につけ、腰には剣がある。

 幻か。

 どこまでが私の願望だろう。いや、全てが、何もかもが願望か。

 私は見つけておいた甕を手に集落を離れた。少し森の中を進むとささやかな水をの音がする。

 少しくぼんだところに、なぜかそこだけ水が湧き、ほんの短い川となり、岩と岩の間に水は消えていく。

 ずっと誰も使わなかったからだろう、私が子供の時は甕の口に水をうまく注ぎ込めたが、落ち葉などがたまって、その湧水の流れは浅いものになっていた。

 どうするか迷って、一度、集落へ戻って何か器を持ってくることにした。

 立ち上がった時、それに気づいた。

 殺気が向けられている。やや遠いところからだが、間違いない。

 それほど強くもないが、下手なことをすると危ないだろうか。

 気配からして矢を向けられている。距離はだいぶあるように思える。ランサなら外さないだろうが、彼のような神技の使い手はそうそういるものではない。

 自然な動作で私は甕を持ち上げ、集落へ戻った。近くにあった別の廃墟の中から器を引っ張りだし、再び森へ戻る。しかし今度はこちらが気配を消して、周囲に必要以上に気を配っていた。

 湧水のところへ戻り、器で水を甕に移していく。

「何をしている?」

 声は後ろから。もちろん、気づかなかったわけがない。

 先ほどのような鋭さは消え失せ、殺気とも言えない気配しかしなかったから、放っておいたのだ。

「水」

 そう私が答えると、不快だったのだろう、相手が舌打ちした。

「それは見ればわかる。どこのものだ」

「そちらこそ」

「質問しているのはこちらだ」

 参ったな、というのが正直なところだった。こんなところで人に会うとは思っていなかったし、こうして説教気味に向かってくると思ってもいなかった。そっと立ち去るのでは、というのは甘い見通しだったか。

 私はゆっくりと立ち上がり、やはりゆっくりと振り返った。下手に相手を刺激すると、至近距離で矢で射られるかもしれない。正面からなら少しは対処できても、背後となると困難が過ぎる。

 そこに立っているのは質素な服装をした青年だが、例えば追い剝ぎという感じではない。

 表情は凛々しく、瞳には強い意志があった。

 手にはよく使い込まれた弓があり、矢はピタリと定まって動かない。矢筒にはまだ何もの矢があった。他に身につけている武器は短剣程度だ。

 矢の間合いではなく剣の間合いに立っているのは、殺意や害意がないことを示しているんだろう。彼から私の腰の剣が見えないわけがなかった。

 そういう迂闊さからして戦いを生業にはしておらず、総合的に判断するとどうやら猟師らしい。

 すっと青年が弓を下げ、矢を矢筒へ戻した。

「立派ななりをしているが、子どもじゃないか」

 何も言わずにいると、彼は居心地が悪そうに頭を掻きむしると、「そこの水を譲ってくれるかな」と言い出した。

「飲み水に困っていてね。ここのところ、雨も降らないし」

「どうぞ」

 場所を譲ってやると、悪いね、と青年は水筒に水を詰め始めた。

 立ち去ろうとすると「礼をさせてくれよ」という言葉が私を引き止めた。

「昨日、猪を一頭、捕まえてね。丁度いいじゃないか。お嬢ちゃん、一人じゃないだろ、何人いる?」

 おかしなことになってきたな、と思いながら、私は少しサリーンとランサのことを考えた。

 彼らは猪には興味を示しそうだ。

「いやか?」

 青年が振り返るのに、私はふるふると首を左右に振った。



(続く)

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