この、素晴らしい世界を
大枝 岳志
第1話
朝方。スマホの緊急速報のブザー音が部屋中に鳴り響いて僕は飛び起きた。地震かと思ったのだが、それは聞き馴染みのない甲高いブザー音だった。スマホを手繰り寄せ、画面を見ると「日本政府より」という表題でこんなメッセージが表示されていた。
「至急テレビを点けてください。周りにテレビがない方はラジオをご利用ください。ご家族、友人、知人等、周りにいる方にもお知らせください。多くの人に知らせてください」
なんだ、このメッセージは。
僕より少し遅れて起き上がった恋人の紗希にすぐにメッセージの事を知らせた。
「日本政府がテレビ点けろだって」
「何よ、こんな時間に……」
戦争でも起きたのかと思ってテレビを点けると、アメリカ大統領と国連議長が肩を並べて何やら神妙な面持ちを浮かべていた。
「やっぱ戦争かな。最近やたら物騒だったし」
「やめてよ、こっちは毎日平和に暮らしてるってのに。あ、何か言い始めた」
紗希が口元に人差し指を立てると、テレビから同時通訳の女性の声が流れ始めた。
『我々人類が、突然の終わりを迎える事を、私達はいつ、どう伝えるべきか悩みました。大変悩みました。我々はついに下された神の決断を、明日、受け入れなければなりません。分かりやすく、皆様に混乱のないように、ストレートに伝えさせてもらいます。今からおおよそ二十四時間後のこの時間、とても巨大な隕石が地球に襲い掛かります。それは物凄いスピードと熱量を持ち、回避する事、我々が絶滅を免れる事は不可能です。地球上のどこにいても、被害は免れません。長きに渡り、我々はこの非常に大きな問題の研究を続けて来ました。しかし、今回の隕石はあまりに突然でした。我々は大いなる自然の前で、力が足りない事を認めなければなりません。我々の生きるこの素晴らしい世界は、明日で終わります。どうか、パニックにならないで下さい。隣人を、愛して下さい。そして、最後の瞬間まで祈りを諦めず、神が我々を迎えてくださるよう……』
あまりの突然の放送に、僕も紗希も呆然としたまま何も発せなくなってしまった。
何がこれから起きるのか?
その答えは、明日巨大隕石が落ちて人類が滅亡する。
あまりにシンプルで、あまりに突然過ぎる終焉の宣言に、思考が完全に停止した。
紗希は黙り込んだまま口元を手で覆って、涙を流し始めた。肩を抱き寄せると震えていて、抱き寄せた僕の手も震えてる事に気が付いた。
一時間後。朝六時。
カーテンの隙間から外を伺おうとすると、僕を睨みながら紗希が棘のある声で言った。
「止めて。危ないから」
「そんな。恨みを買うような事は何もしてないよ」
「皆どうせ死ぬんだもの、何があっても不思議じゃないでしょ」
「本当に死ぬのかな。何の実感もないんだけど……」
「……死ぬのよ、本当に」
外の様子を伺うことを諦めてテーブルへ戻ると、局によっては放送の切れたテレビをザッピングしつつ、僕らは食パンを焼いて食べ始めた。
パンはいつものように美味くもなければ、不味くもなかった。
「これが最後の朝食になるのかもしれないな」
「ねぇ、小さな頃とか「最後の晩餐だったら何食べたい?」って聞かれたことない?」
「あぁ、俺は確か……カレーとステーキだった」
「私はホールのチョコレートケーキだったの。けど、今夜は何も要らない」
「俺も、要らない。死ぬ事に備えるので精一杯だ」
二時間後。朝七時。
アメリカでは秩序を失くし始めた人々が暴徒と化して街を占拠し、ワシントンD.C.が燃え上がっていた。
彼らを止めるはずの州兵は、率先して街を蹂躙している。
ゲームのように撃たれるホームレスや老人。裸の女。轢き殺された男。笑いながら宝飾店や銀行に火を点ける暴徒達。
そんな無残な風景を流していたテレビ中継でさえも、今から十分ほど前に突然途切れてしまった。
日本のテレビ局は人類滅亡の発表後からはまともに放送される気配もないようで、七時を過ぎてからは放送試験中の画面のまま止まっている。
珈琲を飲んで煙草を吸おうと換気扇の側へ立つと、外の防災スピーカーから薄っすらと声が聴こえて来て、僕は紗希に声を掛けた。
「おい。外で何か放送してるよ、聞いてみようよ」
「みんな死ぬっていうのに、こんな時に何の放送よ……」
紗希と顔を並べて窓を少し開けると、スピーカーからは野太い男性の声がぼそぼそと聞こえて来た。
『来たる、最後の審判を受け入れなさい。因果の招いた結果が、我々を狂わそうとも、この意識はすべて一つに集約されるのです。原点へと帰れる、今日の日を喜びなさい。私達の死は永遠の喜びとなるでしょう。最終集会は町内の支部にて行われています。皆さんのご参加をお待ちしております。最後の祈願は、我々の勝利を意味します。こちらは、臨済同盟社です。来たる、最後の審判を……』
「こんな時にまで宗教の宣伝かよ。ったく」
放送は日本国内で最も力を持つ宗教団体によるものだった。役場の人間に同盟社の者がいたのか、それとも乗っ取ったのか定かではないけど、その不気味な放送は町内に延々と流され続けていた。
紗希が「気分を変えたいから」、とシャワーを浴びに風呂場へ向かう。煙草を吹かしていると、風呂場から声を掛けられた。
「之彦、ちょっと台所のガス点けてみてくれない?」
「紗希、どうした?」
「いいから、点けてみて」
紗希にお願いされた通りにガス栓を捻ると、火が点かなかった。故障かと思いながら回してみたが、カチャン、カチャン、と虚しい音が台所に響いただけだった。
ガスメーターを確かめてみると、機器の故障ではなかった。ガスの供給が止まったのだ。
三時間後。朝八時。
避難用に買っておいたラジオを引っ張り出し、ダイヤルを回してみる。放送はもうされていないと思っていたけど、かろうじて一局のみラジオ放送がされている事に僕は安堵した。
こんな状況の中で、知らない他人の声が妙に優しかった。
「スタッフも、なんとか数人だけですがスタジオへ駆け付けてくれました。僕がやって来たこのDJという仕事は、僕の人生そのものだと思っています。だから、僕はここで皆さんからのリクエストを最後までお待ちしてます。地域によっては電話、通信が接続不能となっているようです。届けられる内に、どうか多くのリクエストを送って下さい。また、何か新しい情報が入り次第伝えていきますのでお聞き逃しのないよう、お願いします。僕らは最後の最後まで、このブースに残って声を届け続けます。一人でお聞きの方はいらっしゃいますか? 僕達が一緒ですから、どうか最後の瞬間まで、諦めずに生きてやりましょう!」
DJの落ち着きのある声を聞きながら、こんな人もいるんだ、と僕は感慨深くなった。僕は朝起きてから仕事のことなんてこれっぽちも頭に無かったというのに。
それにしても、日本にたった一つ残された生放送のメディアがラジオ一局のみだなんて。どうなっているんだろうか。
このDJの言う通り、スマホもネットも朝の発表後からは全く繋がらなくなった。実家が気になっていたが僕も紗希も実家には連絡が出来ないままだった。
ラジオに耳を傾けていると、窓がカタカタと音を立てた。風が強く吹き始めている。
不安は風で吹き飛ぶどころか、徐々に増して行った。
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