第236話 拾いあげる。※

『い……や……。だれ……か……。たすけ……て……』


 魔物も存在せず、治安もよく、ほとんど危険がないといっていい王都。だから、最近街にでるときには、僕にはいつも心がけていることがあった。


「ん? ちょっと、どうしたの? ルノエ?」


 ――それは、“拾う”こと。


 白銀騎士シルヴァナ・ゴルディールとの決闘、その敗戦を経て、レイス流暗殺術を、僕の力の真髄をもう一度見つめなおした結果、新たに得た境地のひとつ――“声”にのせられた感情の識別。


 いまの僕は、拾いあげることができる。“耳”に魔力を集中することで、怒り、喜び、悲しみ、困惑、ある種の波長、色ともいえるそれを選別し、無数の音の中から優先的に目的の“感情いろ”を――“恐怖”を拾いあげることができる。


 それがたとえ、音としてはどんなにか細いものであったとしても、その声にのせられた“恐怖いろ”が濃く強いものであるのなら。


「ちょ、ちょっと! へ、返事くらいしなさ――」


 ――この“ルノエ・スーレ”の姿になっていても、当然無意識にそれは行なわれていた。


『たす……け……。お……かあ……さ……』


「――本当にどうしたのよ、あんた? すごい表情かおよ?」


 目の前のフラレムには、当然この“声”は、聞こえていない。


 ――助けられるのは、僕だけだ。


「ごめん……! フラレム……!」


「え?」


「用事を思いだした! 今日は、本当にありがとう……! じゃあ!」


「ちょ、ちょっと待ちなさい!? ルノエ!?」


 深々と思いっきり頭を下げると、くるりときびすを返し、僕は走りだした。


 ――その“声”が聞こえてきたほうに、“耳”を絞って。



◇◇◇◇◇◇



「げははは! しっかしよぉ? 元お貴族サマのナルシシス・ステーリヤだっけ? 見てくれがよければこーんな小さなガキでもいいなんて、たいそうな趣味してんねえ? たっかい懸賞金までかけてよぉ!」


 王都の貧民窟スラム、その表層。通常区画との狭間となる場所で、三人の男たちが地面に倒れた幼い少女を見下ろしていた。その口もとに、下卑た笑みを張りつかせながら。


「いやぁ? この話を持ちかけた私兵どもに聞いた話だと、いますぐどうこうじゃなくて、なんでも自分の手で育てあげるためらしいぜ? でひひ! なんでも、自分の理想とする純真無垢な乙女とやらによぉ!」


「ひぁははは! そりゃーいい! さっすが元お貴族サマだ! そんな女、この世のどこにもいやしねーっての!」


「い……や……。かえ……りた……」


 ほとんど声になっていない少女のつぶやき。そのかすかな声を耳ざとく聞きつけた男のひとりが少女のそばにしゃがみこむ。


「おーおー、かーわいそうになぁ? でも、ダメだぜぇ? お嬢ちゃん。いっくら家が貧しくていつもはろくに菓子なんざ食えねえからって、ほとんどひとの寄りつかねえ街の外れの屋台でそれもこーんな格安で売ってたら、なにか裏があるって思わなくっちゃよぉ?」


「そーそー! じゃねえと悪い大人にヤッバイ薬を盛られて、自分が食い物にされちまうぞぉ! こんなふうによぉ! げははは!」


「でひひひひひ!」


「ひぁははははは!」


(だめ……。もう……ねむ……い……)


 薬によってもたらされた、あらがいがたい眠気。


 男たちの下卑た笑い声が響く中、すべてをあきらめたように、そっと少女はその瞳を閉じる。


(ごめんな……さ……。お……かあさ……。わたし……もう……帰れ……な……)


 深い悔恨とともに、目の端からつうっと涙をこぼしながら。


 ――そのとき。ごうっ、と男たちの前を一陣の風が通りすぎた。


「なんだぁ、この風ぇ……って、はぁっ!? い、いねえ!? どこいった!?」


「お、おい!? あ、あそこだ! って、な、なんだぁっ!? メ、メメメイドぉぉっ!?」


 ――その男たちの驚がくの声に、沈みかけた意識の中で、もう一度少女は閉じたまぶたを開いた。


「もう、大丈夫だよ」


 ぼんやりとその目に映るのは、とてもやさしい笑みで――


(うん……。ありが……とう……)


 ――今度こそ、少女はその意識を手放した。あたたかい腕の中に抱かれ、安心したように、かすかにその口もとをほころばせて。

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