3―3

「グルルル……」

 全身が純度一〇〇パーセントの細胞でできているためなのか、九頭竜が目覚めることはほとんどない。ロアも、オルもそれが目覚めた光景を見たことは無いし、九竜機関も観測を初めてからは覚醒を記録していない。惑星改造当時から九頭竜を見ていたおぬいですら、かの存在が完全覚醒したのを見たのは改造時の一度きり。その後九頭竜は地上を睥睨しつつも大きく動いたことは無い。

「グルルル……ガガガガガガガガ――」

「うっ……」

「……!」

「ぷ!」

 操縦席に座るレイ、オル、ツムギが顔を歪める。とりわけツムギの症状は重く車体は急ブレーキをかけるとに合わせて震え出した。

「! 大丈夫ですか!」

「うっさい! アンタまで騒ぐな!……ああクソっ!」

 頭を抱え苛立ちを隠さないレイ。彼女は車窓からその原因たる九頭竜を睨みつける。

「ガガガガガガガガ――」

 傍観者たる九頭竜があの日以来唯一起こす行動、それは地表を震わすほどの唸り声だ。

 よほど夢見が悪いのか九頭竜は不定期に唸り声を上げる。低音は鋭い歯列を軋ませ頭部から全身へと広がる。月光を受けて薄ぼんやりと輝く鱗を小刻みに震わせるとかの存在が二重三重にぼやけて分裂したような残像を作り出す。

 この超特大の幻想的な立体映像を楽しめているのはロアだけだった。彼女だけは地上に降りてからというものの唸り声の影響を受けていない。今もケロッとした表情で音と光が生み出す幻影を見つめていた。

 唸り声ロア……か――音を操る自分だからこそ、かの存在の音を相殺できているのだろうか。ロアにはその確信が無い。ただ彼女は、自分もレイたちと同じように物事を感じられない自分に居心地の悪さを覚えている。

 オル曰く、九頭竜から受ける影響は個人差があるとの事。しかしながらロアのように全く無傷でいられる竜人は初のケースらしい。

 初めこそ惑星レベルの唸り声に恐怖したものの、気象現象の一部だと割り切ってしまうと恐ろしさを感じない。半年も聴き続けていると「うるさい」以外の感想は消え去り呑気にを楽しめるまでになっていた。

「ロア……あの音相殺できないの? 当分ツムギは動けないわよ……これだと依頼に間に合わない……!」

「そんな無茶な……私の能力は音で命令させるだけで、音そのものを自在に操れるわけじゃ無いんですよ」

「やってみなくちゃ分からないじゃない……だいぶ使えるようになったんだし……試しなさいよ……」

「よせリーダー……いくらロアでもそれは無理だ。九頭竜とは射程が違いすぎる。それにそんなことしてツムギにどんな影響が出るか分からんぞ……」

 二人の会話にもキレが無い。レイは珍しくしんどそうにオルを見つめ、オルもまた表情こそ澄ましているものの顔を青くしている。

 喧嘩屋への依頼はいつも唐突だ。いつも通りのSOSに従いツムギを走らせるもそれが唸り声と重なることは珍しくない。どうせこの状況なら、襲撃者も頭痛に苦しんでいる。自分達の到着が少し遅れたところでそれと同じだけ相手の侵攻も遅れている、とはオルの言。彼女としては目的地への移動手段であり、依頼人と救護部隊、そして自分達攻撃部隊を輸送するツムギの体調が最優先。仕事におけるあらゆる基点たる彼女へ過度な負担はかけたくなかった。

「分かってる……悪かったわよ……少しナーバスになっているだけだわ……!」

「……」

 戦闘時に怪我をしても逆に笑い声を上げ己を奮起するレイですら九頭竜の干渉からは逃れられない。

 彼女の来歴を思えばただの頭痛では済まないだろう。倒すべく敵に一方的にいいようにされる。それは一体どれほどの屈辱だろうか。

「〈……〉……」

 相殺を試みるもロアは口をつぐんだ。自分の能力は竜人へ命令を強いるもの。使い方を間違えれば大惨事を引き起こしかねない。とりわけツムギが多くの人員を運んでいる状況ならなおさら、抑えることも重要だと判断した。

 五分ほど経つと唸り声は収まった。レイたちにとってそれは果てしのない地獄だったが――

「ツムギ! トばすわよ!」

「ぷう!」

 車内が今度は元気よく揺れる。

 九頭竜の支配力さえ消えれば怖いものはない。苦しめられた分の不満を解消するようにツムギは張り切り、目的地に向けて一直線に驀進する。

「見えてきた!」

 真夜中に浮かぶ街の明かり。文明が崩壊した地上において街灯やイルミネーションといった気の利いたものは存在しない。あるとすればただ一つ、街を燃やす破壊の炎だ!

「野郎もうおっぱじめてやがる!」

「……!」

「ぷう!」

 三人は戦闘体制を取り始めた。まずは切り込み隊長たるレイが突撃し、それをオルがサポート。撃ち漏らしをツムギが処理し、その隙にロアを含む医療部隊が負傷者を回収する喧嘩屋の黄金パターンだ。

「よし!」

 操縦席の上部ハッチを押し上げレイが飛び出す――

「⁉︎ なんだありゃ――」

 飛び込んだ光景にレイは踏みとどまる。

「……!」

「ぷう⁉︎」

 そして急ブレーキ。倉庫へ向かおうとしたロアはその振動に派手に転んだ。

「痛てて……」

 車内に依頼人がいる状況でツムギが急ブレーキを使うことは滅多にない。今のツムギは装甲車両であり、その防御力はレイですら傷一つつけられない。敵が上位のチームでない限り、そのへんの竜人が相手なら絶対防御と言っていいほどだ。

 そんな彼女が敵と距離を取っている。それが示す意味は――

「ロア! 絶対に表に出るな! 何かあったら容赦なく声を使え! 最悪ツムギを起こしてもいい! ツムギ、蟻一匹侵入させるなよ。仲間の事、頼んだぞ!」

「ぷう!」

「え……はい!」

 オルも珍しく声を荒げる。その剣幕にロアは思わず返事をしてしまったが……。

「一体……何が起きてるの……」

 様子を確認しようにも上部ハッチは二人がでた瞬間ツムギのロックがかかる。車窓もシャッターが降りて可視範囲はごくわずか。感覚器官を強化しても彼女の能力では見通せない。

「どういうことだこりゃ……」

「……」

 レイとオルは走りつつも街の様子に戸惑っていた。

 依頼内容は「襲ってくる竜人から街を守って欲しい」とのお決まりのパターンだった。依頼人側にはまともに戦える竜人はおらず、抵抗したところで一日と保たない。だからこそ喧嘩屋は道を急ぎ、どつき上げるように現着するのだが――

「この野郎やるっていうのか!」

「……」

 ダン! ダン! ダン!

なんか使いやがって! 能力ステゴロで勝負しろや!」

「……」

 ダン! ダン! ダン!

「この腐れが!」

「……」

 ダン! ダン! ダン!

 竜人では通常あり得ない実弾兵器の使用。そして画一的なボディースーツを纏った黒いシルエット。

「なんで……なんで調整竜人アイツらがここにいる!」

 野蛮な竜人から地上人を守るべく製造されたはずの調整竜人。彼らの参入にレイたちは戸惑うも――

「くそっ……!」

 それでも喧嘩屋の使命は変わらない。守るために戦うのが自分達の使命。だったら飛び込むしかない!

「でりゃああああ!!!」

「⁉︎」

 レイは両腕にクローを生やすと調整竜人に飛びかかった。オルも同じく銀糸を靡かせながらゴロツキたちに加勢する。

「お前、喧嘩屋のレイ⁉︎ なんで俺たちを――」

「うるせぇ! 私だって依頼者の手前アンタたちと組みたくないけど……今は調整流人アイツらに集中しろ! 殺されるぞ!」

「……」

 ダン! ダン! ダン! と黒づくめたちは無心で引き金を引き続ける。攻撃こそ単調だが、竜人たちはそれが細胞を効果的に破壊する悪魔の弾丸だと知っている。威勢はいいものの喧嘩屋ゴロツキ連合軍はアラレのように降り注ぐ攻撃を弾くので精一杯だ。

「くっ……」

 ひとまず一人目を仕留めると、彼を盾にレイは思う。この状況は一体なんなのだろうか。

 天上人は極度の潔癖症だ。銀色に汚れた大地を踏むことをよしとしない。彼らは同胞であるはずの九竜機関の研究者とですら直接会話するときに必ず一枚御簾のようなものを立て、同じ空気を吸いたくないとばかりに顔を顰める。レイを筆頭にプロジェクト・ルミナスの子供たちも愛情と期待は受けていたが……抱きしめてもらうことはおろか手すら繋いだことがない。一度銀色の惑星ほしに入ったら最後、彼らは対象をモノや家畜としてしか見なくなる。

 そんな天上人がわざわざお気に入りのペットを放し飼いにする理由は何か。この場所に何か特別な要素があるとは思えない。かつて九竜機関で生活していたレイだからこそ、ここが彼らにとってなんの価値もないありふれた廃墟だと理解できる。

「クソっ!」

 考えても仕方がない。レイは思考を切り替え一人一人確実に仕留めてゆく。敵を弾除けにし、武器を奪っては報復射撃、受けた傷は細胞を奪って癒してゆく。

「はあ……はあ……」

 流石の喧嘩屋も訓練された敵と戦うのは骨が折れる。細胞の収支こそ黒字だが連合軍は肩で息をしていた。

「アンタたち……恨みでも買った? 上でつまみ食いでもしてきたの……?」

「ハッ! 俺たちはお前らみたいに施しなんか受けてねえ。今回はただ普通にしに来ただけだぜ。調整竜人のっぺらぼうどもに絡まれる理由なんて俺たちが知りてえ……」

 最後の一人を倒したところで銃声が止まりあたりに静寂が広がる。レイは一人だけヘルメットにツノがついた隊長らしき竜人の首を持ち上げる。

「天上人の狙いは何? まさかアンタたちも喧嘩屋みたいに地域の平和に貢献しようっていうのかしら、え!」

 ボロボロの肉体に爪を抉りこませ、細胞を搾り取ってゆく。細胞の扱いに慣れれば吸収の際に相手に激痛を与えることもできる。いくら痛覚すらも調整された黒づくめとてこれにはたまらないはずだ。

「……ッ」

「まだ黙れるのか……その根性だけは誉めてやりたいけど――」

 男の手足がみるみるうちに減ってゆく。痛覚はなくせても、生物本来の恐怖までは奪えない。流石の男もバイザーの中で顔を青くする。

「……ッ」

「答えろ!」

 とうとう手足を失い胴体も二分の一まで削れた。これで恐怖を覚えなければ相手は人形だ。救いようなど存在しない。

「……」

 せめてもの慈悲だ……レイが相手を自分の中で生かそうと、細胞の吸収を早めようとしたその時――

「お……俺たちの任務は終わった。ひひひ……レイ・ルミナスとオルの釘付け……時間稼ぎは充分に――」

「⁉︎ 全員この場から離脱しろ‼︎」

 そう言うとレイは男の首を刎ね、細胞を運動能力に回して街を飛び出す。

「……!」

 オルも異変を察知して素早く駆け出す。

「おい! 喧嘩屋!」

 一体何が――言い切る前にゴロツキたちの体が爆ぜる。

 彼らが貪り食っていた調整竜人たち。彼らの頭部には細胞抑制剤が含まれた爆弾が仕込まれていたのだ。おそらくそれは指揮者の指示で一斉に爆発するようにセットされていたのだろう。敵の命をできる限り奪わず、対話を試みるであろう喧嘩屋に向けられた仕掛け。それを彼女は土壇場で察知したものの――

「……巻き込んでしまったわね」

「仕方がない。今回はイレギュラーだ。必要以上に悔やむなよ」

「わかっている……大丈夫……もう切り替えたわ……」

 振り返らずに二人は走る。そして次への行動を実行していた。

「「ツムギーーーー!!!」」

 二人は大きく声を張る。

 仮に天上人が喧嘩屋の思考を読んだとして、次なる一手とは何か。なぜレイとオルの二人をあの場に釘つけにする必要があったのか……。

「「依頼人が犯人よ(だ)! 排除しろ!」」

 車両がガタガタと大きく震える。そしてすぐさま四角いブロックが噴出した。

 二人が仕事を放棄してまで街を飛び出した理由は二つ。一つは依頼人が怪しいこと。それに加えて街の異常な静けさがあった。

 おそらく調整竜人が襲い掛かる前にゴロツキたちは来ていたはずだった。それにも関わらず弾丸が止んだ後、周囲には悲鳴も彼らのすら存在しない。天上人を嫌悪する口ぶりの彼らが調整流人の肉を喰らうくらいだからあそこには元々人がいなかったのか……あるいは処分されたのか……。

「胸糞悪い!」

 ブロックに向けて二人は得物を構える。今度こそ首級を拘束して根こそぎ吐いてもらう!

 パァン!

「「⁉︎」」

 ブロックが内側から弾ける。あり得ない……二人は得物をさらに深く構える。ブロックはツムギが生み出したモノであり、その強度は地上において第三位。それが破壊されたとなれば相手はかなりの手練れである。手加減は一切できない。

「このっ!」

「……!」

 迫り来る破片を弾き飛ばし、必殺の一撃を向ける二人。

「〈やめて!〉」

「「!!?」」

 その攻撃は寸前のところで止まる。

「ふふふ……よくできました。さすがは計画の子、我らが救世主」

「「…………!」」

 レイの爪とオルの触手、それらはで止められていた。

「金縛りとは素晴らしい。やはり我々は命じる立場でなくては。いやはやロアさんは素晴らしい女性に成長してくれた」

「……」

 ロアの後ろで、白衣を着た研究者風の男がメガネの位置を直しながら言う。

 彼の傍らにはレイたち二人が見たこともないタイプの筋骨隆々な調整竜人が。彼の両肩はレイの能力の様にキャノン砲が展開していた。砲身から煙が登っているのを見るにブロックを破壊したのはおそらく彼だろう。

 男の手は後ろからロアを拘束している。そのために彼女は排出に巻き込まれてしまったようだが……――

「ロア! アンタ自分が何やっているのか分かってんの!」

 相手が竜人であればロアは命令を強制できる。例え未知の調整竜人が相手だろうと、九頭竜の細胞を使った存在であることに変わりはない。声を使って制圧すべきは敵であり自分達ではないはずだ。血迷ったか……レイは信じられないと鋭い目つきで彼女を睨む。

「分かっています……分かっているからこそ……お二人を止めるしかなかったんです……」

 ロアの頬に涙が伝う。彼女はしゃくりあげるのを堪えながらツムギの方へ顔を向けた。

「……! ツムギ!」

 オルが叫ぶ。彼女の視線の先には装甲を破られたツムギの姿が。倉庫ブロックを丸々剥がされた黄色い車両、その傍らには医療部隊が新型の調整竜人たちに抑制剤入りの銃を突きつけられながら拘束されている!

「レイ、貴女あなたが少しでも動けば彼らの命はありません。ここはむしろ貴女がたの蛮行を止めてくれたロアさんに感謝するべきですよ」

「何が目的だか知らないけど、ずいぶん派手にやってくれたじゃない……。この落とし前、どうしてくれるのかしら……っ!」

「!」

 ロアの命令は強力だが、効き目は永続性のものではない。二人は金縛りが解けると同時に動き出し、レイは調整竜人の首を刎ね、オルは銀糸で研究者の首から下を今にも砕けんがばかりに拘束した。

「⁉︎ 喧嘩屋は不殺だと聞きましたが……案外野蛮なんですね……」

 苦痛に顔を歪めながらも男は淡々と答える。

「アンタたちみたいに命を無駄遣いする主義じゃないのは確かね。でも……仲間をここまで傷つけられたら流石に我慢できない。オルがアンタを殺さないでいられるのは奇跡だと神様に感謝してほしいくらいだわ」

 刎ね落ちた首が溶け始める。バイザーから現れたのは依頼人の顔だった。どうやらこの事態を手引きしたのは彼だったらしい。同系統の彼の頭部をとり込めばこれまでの経緯をし、把握できるのだが……――

「……!」

 レイは横目でオルを見る。ツムギを傷つけられ彼女の怒りは頂点に達しようとしていた。普段は冷静な彼女の形相が怒りに歪む。それと同時に骨が砕ける音が聞こえる。

「殺すなよ」

「……分かってるっ!……」

 レイはオルを踏みとどませながらツムギたちと敵の方へ向く。

「おいアンタたち! 形成逆転よ! 大将首は今私たちの手にある。アンタたちにとって天上人は絶対、最優先の保護対象のはず。殺されたくなかったら今すぐ仲間から離れろ!」

「……」

「……」

「……」

 声は間違いなく届いているし、そうでなくても向こうからは愛する博士(創造主)が窮地に陥っているのが見えるはずだ。

 だと言うのに彼らは構えを解かない。銃口は相変わらず医療部隊に向けられている。

「おい! 人質が見えないのか! このままオルが大人しくしていると思うなよ。もう骨の二、三本折っちまったんだ。後十本ぐらいは平気で折るぞ!」

「ぐおアアアア――!!!」

 ベキベキベキと小気味いい音が広がる。オルは堪えきれずにを済ませると全身を不自然な角度に折り曲げた男をこれみよがしに突きつける。

「……」

「……」

「……」

 それでも返答は沈黙。普段の彼らであればあり得ない行動だ。調整竜人であるレイはその答えが引っかかる。

「……っ――」

 違和感に気づいているのはオルも同じだった。九頭竜の細胞を取り込んでいない、ただの人間であるはずの天上人がなぜ、全身の骨を折られているにも関わらず冷静でいられるのか。殺される一歩手前まで追い込まれれば通常泣いたり喚いたり、感情をあらわにするはず。それどころか相手は痛みすら感じさせないほどに涼しい表情を見せている。

 本音を言えばレイたちはすぐさま敵の首を刎ね「死体を取り込むことなく野晒しにする」地上における敵への最大の侮辱を表す行動に移りたかった。

「……いやぁ冷静だ。さすがは計画の子。人質を取られたところからよくここまで状況を返せるとは。貴女たちを廃棄せざるを得なかったのが本当に悔やまれます」

「御託はいいからこの状況を説明しろ! アンタらは何の権限があって手を出したんだ! 返答次第じゃ――」

 パン! パン! パン!

 荒野に乾いた銃声が響く。

「「……⁉︎」」

 音に向く二人はさらなる違和感に顔を歪める。

 音はツムギたちからでなく、背後に聳える廃墟からであった。人気の無かったそこからは調整竜人たちがゾロゾロと現れ……ドロドロに溶け出した死体を引きずっている……――

「レイ、私たちが何の準備もせずにノコノコやってきたとお思いで? ロアが、そして喧嘩屋の皆さんが人質にならない事は理解しています。貴女たち竜人は勝利のためなら平気で死ぬ。例え彼らを撃ったところで貴女は我々を殺すのを止めない」

 男の言う通りレイたち喧嘩屋は戦って死ぬ覚悟ができている。どだい地上はいつ殺されるか分からない世界なのだ。人質になって仲間の足でまといになるくらいなら、仲間のために捨て石になる。救護部隊はその覚悟があったし、レイたちも彼ら意志を汲み取り、報復に出るつもりだった。

「……外道が……!」

 オルがさらなる骨を締め上げる。それでも男の顔は涼しい。余裕の笑みを浮かべて二人を見下し始めている。

「だからって……っがアンタたちのやり方なのか‼︎」

 死体に続いて男たちは人間を引き摺り始めた。彼らの体には患部と化した九頭竜の細胞が。

 やけに静かだと思ったら……――天上人が何故冷静なのか、ロアが何故自分達に向けて能力を放ったのか、レイはその全てを悟る。

 天上人率いる調整竜人たちはあらかじめ弱者竜人たちを人質にするために廃墟を占拠したのだろう。ゴロツキたちはそうとは知らずに乗り込み、そして……戦いに巻き込まれた。

 流石の喧嘩屋も戦士以外の、無関係な人間を人質に取られれば行動に出られない。他のチームであればお構いなしに、ムカつく天上人の鼻を明かすために弱者を巻き込んで血祭りに上げていただろう。だが……――

「我々とて世界を救いたい。だからこそこのような汚い手段は取りたく無かったのですが……」

 男はそういうと、スルりと抜け落ちる。

「!」

 強固なはずの拘束が天上人に抜けられる。オルは逃すまいと再び触手で彼の体に触れたが――

「⁉︎ お前……まさか!」

「そう、そのまさかです」

 柔らかすぎるのか男の体は触れたそばから滑り落ちてゆく。体だけでなく、頭部までグニャグニャに液体のように抜け落ち、

「よっと」

 再び人の形に戻る。

「ふう……この体、なかなか慣れませんね」

「……竜人……なのか……⁉︎」

「その通り。私の体には生存のために九頭竜の細胞が移植されています。そして……今や宇宙に進出した我らが同胞もね」

「……ハッ! お笑いだわ。あれだけ毛嫌いしておきながら最後には力に頼るなんて。とんだダブスタ。だからアンタらは嫌われる」

「黙れ!」

 一瞬、男の顔が歪む。

 怒り、嫌悪、悲しみ、羨望――一瞬ではあるものの初めて見せた男の本音に思わず二人はたじろぐ。

「貴女たちが我々の事を天上人だと、上から物を言う存在だと揶揄していることは知っています。そしてそれがいかに欺瞞に満ちた世界であるか……レイはよく分かっているはずです」

「……」

「確かに私たちはたまたま宇宙にいたことで惑星改造の影響を受けなかった。でもね、人間が人間のまま生きるためには宇宙は過酷だった。コロニーという密閉された空間、広大に見えて資源の限られた小惑星の海……この四〇年で開発は一向に進まずに行き詰まっている。そこで我々は悟ったのです。人類にはまだ地球が必要だと! あの広大な宇宙を自由に生きるためには九頭竜の細胞を手に入れる必要があると!……」

「ハッ! アンタたちが苦労しているのはよーく分かったわよ……で、それとこの状況に何の関係がある! 今すぐ彼らを解放しろ! そして……ロア! アンタはなんでそいつにつく!」

「……」

 解放されているにも関わらず、ロアは二人と距離をおき、あまつさえ天上人の方へと佇んでいる。ツムギを背に、喉はこちらを向けるように手をかけながら。

「レイさんごめんなさい。でも……こうするしかないんです。私一人がついていけば……みんな解放される。私はこれ以上犠牲者を出したくないんです……」

「何を言って……――」

「プロジェクト・エクスキューショナー」

「!!!?」

「ロアさんもまた貴女と同じ計画の子だったというわけですよ」

 プロジェクト・エクスキューショナー。それはプロジェクト・ルミナスを改善して生まれた新たな対九頭竜用調整竜人製造計画である。

 プロジェクト・ルミナスが細部にまで行き届いた教育により細胞のポテンシャルを引き出し、健全な肉体と健全な精神を持つ調整竜人を育成する計画であるのに対し、プロジェクト・エクスキューショナーがとった方策はその逆である。

 九頭竜の細胞は追い詰められるほどに能力を発揮する。四〇年の研究の果てに彼らはとうとう九頭竜の殺し方を見つけた。細胞の自壊プログラム、その研究の一端は細胞抑制弾としてレイたちの前に突きつけられ――

「それを人間サイズまで培養したのが私なんです……」

 あの日ロアが落下した日に子供たちはランダムな地上にばら撒かれた。その目的はただ一つ。窮地に追い込み能力を覚醒させること。

 子供たちには九頭竜が発揮するような、細胞に直接的に影響を及ぼす能力が発現するようにプログラムされている。ロアの「咆哮」がいい例だ。彼女の能力は九頭竜が地上の竜人たちを震わす唸り声が発現したものである。

 プログラムが出来上がればあとは発現を待つのみ。追い詰められた天上人は簡便な手段に出る事にした。

 能力の無い人間ほど、自分の境遇を窮地だと思い込みやすい――プロジェクト・ルミナスの失敗から彼らは調整竜人へコストをかけることを良く思わなかった。どれだけ愛情深く育てようが目的を果たせなくては意味がない。失敗してしまえば今までの投資は無駄なのだから、できる限り低いリスクで利益を得たいのが実情だった。

 そのためにプロジェクト・エクスキューショナーの子供たちには最低限の知識、最低限の肉体を与えそのまま地上へ投下することに決められた。レイがK戦略であるならロアはr戦略。とにかく大量に作り、誰かが覚醒してくれればそれでいい。

「無責任な……命をなんだと……」

「その逆ですよ。我々は責任のある大人だ。だからこそ成長した娘をこうして迎えに来たのですから」

「その娘の大事なものに銃突きつけて何が大人だ!――」

 換装チェンジ! とレイは叫ぶ。相手が軟体だろうが関係ない。拘束でなく、本気で殺せる武器ならいくらでも出せるのだ。天上人をやってしまえば調整竜人など烏合の衆、人質も仲間も救い出せる。

「〈止めて!〉」

「――ッ!」

 再びの声に体が止まる。

「ロア……見損なったぞ! お前まで……お前までアイツらの味方を――」

「〈私だってレイさんに命令したくない!〉……でも……」

 大粒の涙をこぼしながらロアは後ずさる。

「リーダー……周りをよく見てくれ……」

 オルもまたレイを制する。

「……ッ」

 レイとてこの状況がいかに追い詰められているのか理解している。

 調整竜人たちの博士風の男への反応を見るに、彼らの主人は別に存在するのだろう。彼一人殺したところで命令は終わらず攻撃の手を緩めることは無い。逆上したレイがどれだけ素早く動けたとしても人質と仲間が撃たれるのは間違いない。覚悟の決まった仲間ならともかく、無関係の竜人たちを巻き込むことは彼女のプライドが許さない。

 そして、最大の懸念はツムギのダメージだ。偽装状態の彼女がここまで傷付けられた経験は無い。見た目こそ鋼鉄でできた車両だが、それを構成しているのは紛れもなくツムギの細胞なのだ。当然痛みも感じる。もしも戦闘が激化して彼女を目覚めさせるようなことがあれば……敵も味方もツムギの暴走に巻き込まれる。

 レイとオル、そして何よりロアがいる今ツムギの暴走は比較的容易に収める事ができるかもしれない。だが一度でも発動してしまえば……ツムギと仲間、人質の距離はそう離れていない。あっという間に巻き込まれてしまうだろう。

 レイたちはツムギに仲間を殺めるような経験などさせたくない。天上人たちが敷いた布陣は喧嘩屋の弱みを絶妙に掴んでいる。完全に追い詰められたと言ってよかった。

「レイさん……大丈夫です」

「は……? アンタ何言って――」

「私、あの日九竜機関で調べられてから何となく気づいていたんです。私は他の竜人みんなとは違うって。細胞も、常識も、天上人こっち側だったんです。だから……私は元いた場所に戻るだけ。だから大丈夫なんです」

「ふざけるな! 裁縫大臣はどうした! 地上に服文化を復興させるって意気込んでいたじゃないか! アンタが地上でやりたいって言っていたことは嘘だったのか――」

「〈分かってくださいよ!〉」

「――ッ⁉︎」

 ロアの声が竜人たちに響く。

「〈私だってレイさんたちと一緒にいたい!〉」

「〈やっと喧嘩屋で、私が何をしたいのか見つけたばかりで……おぬいさんからもまだまだ教わっていないことがあって……ツムギちゃんとも仲良くなりたいし……オルさんと相談したいことだってある……そして……何よりもレイさんと並び立てるようなそんな私になりたかった……〉」

「〈でも……もう終わりなんです〉」

「〈私一人が引けばこの状況をこれ以上一人の犠牲者も出さずに済むし……うまくいけば九頭竜を地上をこんな世界にした理不尽そのものを倒すことができます。私一人で地上のみんなを解放できるなら……みんなもう戦う必要なんて無くなる。竜人同士が喰い合う必要なんて無くなるんです……〉」

「だから……」

 これが私の最後の戦いです――ロアは喉を枯らしながらももう一呼吸、喉に蓄える。

「〈止まれ!〉」

「「……⁉︎」」

 瞬間、竜人たちを金縛りが襲う。レイの細胞レベルの命令にその場の誰もが指一本動かすことができない。

「よくできました。それでこそ我々の子。反抗的な姉とは違い物分かりが良くて助かります」

 能力の発動者であるロアと天上人だけは無事に動いている。ロアが九頭竜の唸りを無力化しているのと同じく、彼もまた抵抗力のある細胞を移植していたのだ。彼はロアの手を取ると小型のシャトルへ向けて優雅にエスコートを始める。

「勘違い……しな……いで。わた……はレ……さ……のため……」

「ええもちろん。貴女が何のために戦うのかはお任せします。我々としては計画が滞りなく進んでくれればそれでいいのですから――」

 乗り込んだ二人が夜空に向けて飛んでゆく。行き先は九竜機関か、それとも九頭竜に向けて早速行動を始めるのか――

「――ッ!」

「…………」

 ふざけるな! アンタ一人の犠牲でアタシたちが喜ぶと思っているのか! レイもオルも感情を煮えたぎらせていた。しかしながら、発散させようにも声すら発せられない。できることといえば歯噛みしながらジェットの軌跡を見つめる事だけ。

「――――――――ッ‼︎」

「…………………………」

 拘束が解けた時には日が昇っていた。

 調整竜人たちは律儀にもロアとの約束を守り仲間と人質を解放すると彼らの走行車両に乗り込み自陣へと戻ってゆく。

 しかし、取り残されたレイたちの顔は暗い。

「馬鹿野郎……」

「………………」

「アタシは認めない……仲間の犠牲で生き残ったことなんて絶対に……認めない!」

「………………」

「絶対に……認めるもんかーーーーー!!!」

 レイの咆哮が周囲に響く。

 だがそれがロアに届くことは無い。彼女の怒りを嘲笑うように九頭竜が唸り、彼女たちは再びの金縛りに襲われる。

 レイたちは圧倒的な理不尽の前にただ打ちのめされていた。

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