3―1

「ふ〜っ……疲れた〜」

 ロアは背を伸ばしながら深呼吸する。目の疲れがとりわけ酷く、こめかみを刺激し、目元のマッサージも忘れない。

「でも……」

 期待の眼差しで手元を見る。

 整った縫い目、素朴ながらもデザイン性に優れたパターン……。

「できた!」

 手元を大きく広げる。するとそこには店先に置かれても不思議でない、見事なAラインワンピース。

「まぁお嬢さん見事なものね」

 側の老婆が感心した様子でロアの手元を見る。

「えへへ……『裁縫大臣』に任命されちゃったので……」

 ロアもまんざらでもない表情でワンピースと、自身の手を見つめる。

 能力に覚醒したとはいえ、ロアの回復能力はらしく針仕事でできた傷は未だに残っている。しかしながら彼女にはそれが勲章のようで誇らしい。

「玉どめができなかった人がたった二ヶ月で服を縫えるまでになったんですもの。師匠である私も誇らしいわ。ロアちゃん飲み込みが早いのね」

 老婆はいいながらも手元を止めない。彼女は十指から生える鋭く発達した銀色の爪、その爪先で器用に針を持ち、見事な刺繍を披露していた。

 鼻歌を歌いながら彼女は仕事で語る。「でもまだまだね」と。

「いや……流石におぬいさんには敵いませんよ……」

「そりゃそうよ。だって私四〇年選手ですもの。ポッと出の若いのには負けられないわ」

 調子を良くした老婆・おぬいはさらにスピードを上げてゆく。そして五分と経たないうちに女性用のシャツの飾り付けを完成させた。この手ぎわには敵わず、ロアは舌を巻く。

「でもね、こんなものは暇つぶしでしかないから。私もレイちゃんたちが羨ましいわ。時折思うの、私ももっと若くて戦える力を持っていたら、こんな地下(場所)で引きこもらずにみんなを守れたんじゃないかってね」

 おぬいはシャツを側に畳むとスカートに包まれた自身の足をさする。

「……」

 ロアは彼女のスカートの中身を知っていた。おぬいの足で尋常のものは一本だけ。下半身からは大小様々な太さ長さの足が不揃いに生えており、彼女は地上においてまともな一本の足を使ってしか移動できない。

 その代わり発達した爪を使って地下を自在に掘り進むのが彼女の能力だった。ロアたちが今いる地下集落は、おぬいを筆頭に有志たちが弱い竜人でもひっそりと安全に住める場所を求め、そして作り上げたものだ。

「このシャツ、レイさんに渡してもらえないかしら。今までブレザーとパンツと送ってきて、とうとうシャツができたの。これで礼服が一式揃ったわ。あの子見栄えとか気にしないでしょ、九竜機関での交渉ごとにはこういうのがあった方が失礼でないと思うの。いくら気に入らない人たちが相手でも、形式が作る力はバカにできないわ」

「……わかりました。でも……」

 受け取りながらもロアは彼女を前にいうべきか迷う。「おぬいさんが直接渡した方が喜ぶと思いますよ」と。

「……レイちゃんたち喧嘩屋には感謝しているわ」

「……」

 集落に灯る照明はロアの上に一つだけ。闇の中には二人以外の気配がない。

 この集落が喧嘩屋のシマになって一年が経つ。看板のおかげか敵襲が激減したことにより住人は狭く暗い地下から地上へと生活の場を移していった。

「……私にはもう地上は眩しすぎるのよ――」

「……」

 おぬいは九頭竜の惑星改造を目の当たりにした最初の世代だった。四〇年という長い年月を地下で過ごしたことにより、彼女の両目は明かりがなくとも針仕事ができるまでに発達した。

 一方でそれは僅かな明かりにも敏感になった事も示している。地下に適応しすぎた彼女が許容できるのはロアが持ち込んだランタンの明かり一つ分。例え目を瞑っていても外の光は彼女にとって毒であった。

「ごめんなさいね、湿っぽいこと言っちゃって。でもね、ここには同志たちがから寂しくないの。だからロアちゃん、遠慮なんかしないでみんなのところに戻っていいのよ」

 弱い超人が生き延びる方法は「じっと息を潜める」こと。おぬいたち激変の世代はとりわけそうだったのだろう。荒れ狂う地上から逃げ延びるためには団結してシェルターを作り、身を寄せ合って庇い合う。

「……」

 そしておぬいは今も同志たちの墓標の傍でその生涯を全うしようとしていた。

「おぬいさん……いや、師匠! 私、絶対にまたここにきますから。私まだ師匠に教わっていないこと山ほどあります。今度は刺繍の技術、全部覚えますから。だから――」

「ありがとうロアちゃん。私にはその気持ちで十分よ」

 九頭竜招来前の地球でおぬいは駆け出しのデザイナーだった。地下で腐らせてしまっていたそれが次の世代に受け継がれたことにおぬいは満足している。

 喧嘩屋のおかげで集落は地下生活から解放された。それはおぬいたち先の世代にとって悲願であったものの、時代に取り残されてしまったことに寂しさもある。

 だがそれを変えたのがロアの存在だった。文化の消えた地球で「服」という文化の復興を目論む野心。おぬいはそれに賭けることにし、彼女に己の技術を継承させることを生き甲斐に希望を見出したのだ。

「私もう眠るから……そのシャツ、必ず渡しておいてね……――」

 返答を待たずにおぬいは寝息を立てる。その表情は満足げで穏やかなものだった。

「……おやすみなさい」

 必ず渡します。心でそう告げるとロアは明かりを消し地上へと登ってゆく。

「――っ……」

 長い時間地下で作業をしていると流石のロアも視覚の調整がおぼつかない。地上とはこれほどまでに眩しかったのか。竜人の適応能力も便利なことばかりでないと痛感する。

「グルルルル……」

「……」

 立体映像でもここまでのプレッシャーは放てないだろう。しかしながら、ロアにとって不思議なのは九頭竜というあれだけの質量が巻き付いているにもかかわらず、地球へ太陽の光が届いている事だ。

 この存在は確かに目の前にいる。九つある頭部のうちの一つは今も極東地域を、ロアを見下し寝息を立てている。この圧迫感は紛れもなく実体が放つものであり、先日も雨という実体を降らせてきた。

 天上人が九竜機関なるものを作った理由もわかるものだ。人類にとって九頭竜は天と地を分断させた仇であるのと同時に、史上最大の謎でもある。この存在を解明しなければ前に進めない。ロアにはそのような気がしてならないのだが……――

「おらぁっ!」

「ふぐぅ……」

「どうしたどうした!」

「ほげぇ……」

「てめえらの実力はそんなもんか!」

「ごはっ……」

「……」

 地上において空を見上げる余裕などない。目の前には敵が絶えず、それに集中しなければ命がないからだ。

 本日も喧嘩屋の仕事は大繁盛、レイは一〇人の竜人を相手に一方的に攻め立てている。実力に差がありすぎるためか彼女は武器すら使わず、その様相は武道の組手・指導めいたものに。

「うちのシマ荒らすなんて百年早え!」

 レイはグリズリーに変貌した男の右腕を掴み、見事な一本背負いを決めた。その際、男をハンマーに他の敵を下敷きにするのも忘れない徹底ぶりだ。

「ひいい……」

「……」

 レイが暴れ回るのはいつものこと。毎日のように戦闘を見せられて流石にロアも慣れてきた。暴力は好きではないが、彼女は相変わらず――やむを得ない場合を除いて――不殺を貫いてくれている。その一点でロアはレイといて安心できるのだ。

 一方で……――

「やれやれー!」

「喧嘩屋かっこいい!」

「おねえちゃん! がんばれ〜!」

「……」

 喧嘩屋の縄張りはレイという実力者が睨みを効かせていることにより地域の安全保障を敷いている。どれだけ理想高く非暴力を訴えるも、細胞みなぎる竜人たちに効いた試しがない。ロアとてやむおえずことが数回ある。この世界で最も効き目があるのはどうしても圧倒的な力だ。

 だからって……これは……――ロアは戦闘を観戦する子供たちを見つめるとため息をついた。

 子供という弱者が地上を自由に出歩ける。それはその地域が安全であることを示す指標の一つだろう。ロアも自分が作った服を子供たちが身に纏い、周囲を駆け回る様子を見るのが好きだった。

 ところが……これは竜人の業なのか子供たちが最も熱心なのは闘争本能に関わること。ごっこ遊びと称してどつきあいを始め、未発達な能力で悪戯をする。そして極め付けがレイの戦闘の観戦である。

「やっちゃえー!」

「ぶちかませ!」

「ここはぼくたちのシマだぞー!」

「……」

 ロアは子供がすることを責めるつもりはない。服が泥まみれになるまで遊ぶこと、それがこの地上でどれだけ貴重なことをこの二ヶ月の体験で理解している。喧嘩屋の手の届かない場所では今も弱者竜人が物陰で息を殺し続ける生活を続けているのだ。この光景はレイたちが積み重ねてきた活動の結果。喧嘩屋の看板により地域の平和は間違いなく保たれている。

 だが一方でロアは思う。果たして子供たちにレイたちの大立ち回りを見せていいものか、と。

 せっかく得られた平和な環境。戦わない余裕があるならば、おぬいのように裁縫技術を復興させたり、九竜機関ほどではないにしろ地上からもあの存在を探求できる方法はあるはず。文化的に過ごすという選択肢もあって然るべきなのではないか――

「は? アンタまだ寝ぼけてんの?」

 しかしながらレイの態度は相変わらずの常在戦場であった。彼女はロアの意見を軽くあしらうと仮眠室のベッドに腰掛ける。

「起きてます。真面目な話をしているつもりです」

「あのねぇ眠り姫サマ、この町が自由に出歩けるようになったのは誰のおかげかわかる?」

「そりゃ、レイさんたち喧嘩屋のおかげですけど……」

「アンタ喧嘩屋のメンバーね。そこは間違えないで。で、アタシたち喧嘩屋の地道な拳の積み重ねでここの平和が保たれているわけだけど……この世界で明日も昨日と同じように生きていられる保証はないわ。今こうして話している間にも外部からの攻撃を受けてアンタもアタシもお陀仏になる可能性はいくらでもある。それは理解しているわね」

「それは……」

 喧嘩屋の勢力は極東地域において第三位と言われるほどに大きい。弱者竜人も集まればネットワークとして機能できる。二ヶ月前に食料調達任務に失敗しても、対してダメージにならなかったのは他の班が充分な食料を確保していたからだった。

 とはいえ前面的に戦闘に出られる竜人がレイ、オル、ツムギを含めて一〇人程度しかいないことに心細さを覚えるのも事実。ぽっと出のチンピラ集団が相手ならレイ一人でもなんとかなるかもしれない。しかしそこに第一位、二位の勢力が進行してきたら……――

「この世界で自由に振る舞いたかったら力を手に入れるしかないの。喧嘩屋は常に人手不足、純粋な戦闘タイプはとりわけ貴重よ。いくらいても足りないくらい……アタシが戦う姿を見せることであの子たちが戦士に目覚めてくれるなら存分に暴れる。戦い方を見せる。アンタもアタシを説得したいんだったら口先でなく行動で示すことね」

 じゃあ寝るから。言い切るとレイはロアに背をむけ布団を被る。

「あ、ちょっと!」

「…………」

 レイの睡眠は早く、そして深い。一度眠りにつけば彼女から起きるか、戦闘が始まらない限り目覚めることは無い。

「……っ」

 私はただ……争いのない平和な世界が見たいだけなのに……。

 能力を使えばレイを起こすことは可能だ。だがそれはレイの言う力で自由を手に入れる、他者を屈服させる行為に他ならない。

「……おぬいさんのシャツ、置いておきますから」

 ロアはこれ以上ないほどきっちりとシャツをたたみ休憩室のテーブルのど真ん中に置いた。

「……」

「…………」

 口先だけでなく行動で……ならばおぬいがレイのために作ったシャツは無駄だと言うのか。破壊者の背中に投げかけるも帰ってくるのは寝息だけ。それ以上は無い。

 やりきれなさを覚えるもレイの言う通り、説得は行動で示すことが効果的だ。だったらボーッとせず、自分のやり方で戦わなくては。ロアはそう決意すると彼女は休憩室を後にした。

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