ヒロインの暴走
結論から言えば、公爵側も王太子側も表面上つつがなく収まった。
教会の制度に則って行動していた公爵たちに問題が生じるわけもなく、アビゲイルとウォルターの婚姻は円満に無効化。
卒業パーティーはそもそも短時間で終わるようなものではない。王太子と夜の乙女が会場に戻ってからラストダンスまで少々猶予があったくらいだ。
衆目に慣れた王太子はまだしも、夜の乙女には相当なストレスになったらしい。
「まぢむりリスカしょ……」
「大変だったのは分かりますけれど、その言葉遣いは改めるべきですわね」
抱きつく光の頭を柔らかく撫でながらアビゲイルが言う。咎めるような内容に反して、声色はとても穏やかだった。
前日の「迎えに行きますから」という約束にも満たない光の宣告は、当然ながら公爵も知るところである。ともすれば無礼な行動を咎められ門前払いになってもおかしくない光が、当主公認の客人になった。
夜の乙女が国賓であることも、異世界人として大目に見られていることも間違いではない。だが、ルシアンにとって何より重要だったのは“アビゲイルの友人”という一点だけだった。
ルシアンは仕事から帰るなり、家中の者に夜の乙女を迎える準備を命じる。ランチというので11:00ごろを想定していた公爵家の面々だったが、アビゲイルが「もっと早いかもしれませんわ」というので念のため8:00に到着する想定で支度を進めた。
蓋を開けてみれば夜の乙女の到着は10:00頃だったわけだが、やはり光はもっと早くに来たかったらしい。
早すぎたかと心配する光に、アビゲイルは「8:00には迎えられましたわ」と小さく胸を張った。少し目を見開いたあと「我慢して損した」と光が笑う。アビゲイルまで微かに笑っていたことも相まって、会話を耳にした使用人は皆、光に対して好感を抱いた。
夜の乙女が町娘のような格好をして、見慣れない鞄を手にしていたにも関わらず。
光の服装はひとまず置いておこう。
ランチは外でとる予定とはいえ、10:00からランチに出掛けるというのもおかしな話だ。
そもそも公爵家の者たちは8:00の来訪を想定していたわけである。応接室を整えるだけでなく、念のためフルブレックファストの準備まで済ませていた。
そのことを知った光がひどく恐縮してしまい、執事が「使用人の昼食になるので」と宥めていたのはさておいて。
応接室に案内されるはずの夜の乙女は、朝食の件もあって申し訳なさそうにしながらも「アビゲイル様のお部屋に行きたいんですけど……」としっかり自己主張をした。
当のアビゲイルが「歓迎しますわ」と応えたために、執事はあとをザラに任せて静かに下がる。
女子だけでアビゲイルの私室に移動したあと、到着するなり光がアビゲイルに泣きついた。困惑しながらもアビゲイルがその背中を擦ってやると、光が昨日の不満をぶちまけ始めたのである。
そうして冒頭の台詞に至ったのだった。
「あーちゃんすっかり貴族様……」
「当然でしょう、公爵令嬢なのですもの。ひーちゃんも早く慣れることね」
落ち着いたらしい光が軽口を叩き、アビゲイルもそれに応じる。ふたりで小さく笑い合った。
ザラが不思議そうにしているのも視界の端に捉えつつ、前世について打ち明ける勇気はまだ出ないので見て見ぬふりをする。心が痛まないではないが、いくらザラでも“前世の記憶がある”なんて突拍子もないことを素直に受け入れられるとは思えなかった。
そうは思うものの、さみしそうに見えるザラの姿にいたたまれなくなってアビゲイルは話題を変える。
「ところで、そのスクールバッグはどうしたんですの?」
「ふっふっふ……よくぞ聞いてくれました!」
バッグをまさぐり、その中身を勢いよく「じゃじゃーん!」と出しながら、光が得意気に笑った。取り出された物は光の手の動きに合わせてひらひらと暴れていたが、次第に落ち着いて認識できるようになる。
「ひーちゃんとおそろいの服……ですの?」
「そう! あーちゃん超美人さんだからいろいろ着せたい……じゃなくて! 綺麗な金髪だし碧の目だしダークグリーンが合うかなーと思って」
話しながらも、最初に取り出したワンピースをベッドに広げて、靴下やリボンなどの小物も並べていく光。
王太子と一緒に帝王学を学んでいたときだったか、アビゲイルは“庶民は服を手ずから作る”と聞いた覚えがあった。下流階級の服は買い求めるものではないということだ。
そもそもこの世界の下流階級の人々はワンピースを着ることはあまりないはずである。
そこまで考えて、アビゲイルの中で“町娘風のワンピースを光が自作したのだろう”という結論に落ち着いた。
「……相変わらずコスプレが好きですわね?」
「可愛いは正義だからね! あたしのコバルトブルーと色違いー」
アビゲイルの目には語尾にハートが見えた。そのくらい、光は上機嫌に自分のスカートをひらひらさせている。
そのポケットから、カサカサと紙を擦るような音が聞こえてきた。
「ひーちゃん、ポケットに何が入っているんですの?」
「あー……えっと、その……はぁ、ラッセル殿下からの手紙」
少々逡巡した様子だった光だが、すぐに諦めたらしく喋りながらポケットの中の手紙をアビゲイルに手渡す。もうちょっと後にしようと思ったのに、などとぶつぶつ言っているけれどもアビゲイルはそれどころではなかった。
慌てて内容を確認すると、書かれていたのは明日のアフタヌーンティーへの誘いの文言。久々のふたりでのお茶会だ。
ザラに家政婦長への伝言を頼んで、一息ついた。ラッセルからの手紙に、自覚しているより数段緊張していたらしい。
「やっぱりあたしのこと忘れちゃうんだ……」
落ち着いたのを見計らって光がすねたような声を出した。その通りだったので、アビゲイルは苦笑いするしかない。
「ひーちゃん、ごめんなさい。殿下からのお手紙なんて、とても久しぶりでしたの……」
「好きな人から手紙もらったら嬉しいよね! 分かってるけどぉ……」
「明日の支度は家政婦長が進めてくれますわ。もう余所事はしませんから……」
駄々をこねていた光が「言質を取った」とばかりに悪戯な笑みを見せた。アビゲイルは目をしばたたかせる。はめられたのだと気づくのに、数秒を費やした。
「ひーちゃん」
「悲しかったのはほんとだもーん」
親友ふたりがじゃれあっていると、家政婦長を伴ってザラが戻ったようだ。叩扉と共に家政婦長のアビゲイルを呼ぶ声がした。
入室を促すと、家政婦長はドレスの色を伺うだけだと柔らかく断り、ザラの方は音もなく主人のそばに控える。
悩む様子を見せていたアビゲイルに代わって、光が「瞳と同じ碧がいいと思います」と口を出した。
アビゲイルが賛同の意を示したので、家政婦長は一礼して下がっていく。下げられたこうべに「頼んだわね」という一声を忘れないところが、アビゲイルらしかった。
「さて、時間も良くなったしこれ着てランチに出掛けよっか! ザラさんも普段着に着替えてきてくれますか? あーちゃんの着替えはあたしがしますから」
お嬢様第一なザラは躊躇うようにアビゲイルを見る。頷き返されたために、了承の意を示して下がっていった。
そこからは光の独擅場である。髪に化粧にリボンの細かな結び目に至るまで、散々おもちゃにされたアビゲイルはランチの前にどっと疲れてしまったのだった。
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