第5話『友達人形』
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芽衣子の話によれば、
岡崎はこの春に、芽衣子が勤務する会社に営業として入社した新入社員で、僕の大学の後輩であるらしい。
芽衣子からは例のごとく「遊びの依頼だ」としか伝えられておらず、岡崎の人物像や依頼の内容など、詳しい話は一切わからない。
「なかなかおもしろい人よ」という芽衣子の言葉を信じ、僕は牛乳を飲みながら岡崎がやってくるのを待っていた。
インターホンが鳴った。応答すると、画面に、堅物の数学博士のような顔をした青年が映った。
「突然申し訳ございませぬ。それがし、岡崎佐知雄と申す者でござる」
妙な言葉遣いに驚いたが、表情からはふざけている様子が見て取れない。
「うむ、話は伺っておる。ささ、入られよ」
僕は返事をしてオートロックを開けてやった。社会に出たてで、敬語の使い方がまだよくわからないのだろう、と願った。
玄関のチャイムが鳴った。玄関を開けると、スーツ姿の背の低い男が立っていて、深々と頭を下げた。
「岡崎佐知雄と申す」
「どうも、神市辰明です」
「このたびはお招きいただき、誠にありがたきことにござる……」
「まぁ、堅苦しい挨拶はいいですから、どうぞ」
岡崎はもう一度頭を下げ玄関に入り、脱いだ靴をきちんと揃えてから廊下に上がった。
リビングのソファまで案内し、僕はキッチンに入った。岡崎は背筋を伸ばしてソファに腰掛け、きょろきょろと部屋を見渡していた。
「立派な部屋でござる。氷山女史から、貴殿はたしか、それがしの大学の先輩であり、なおかつ、会社の先輩でもあると伺いもうした」
「まぁ、そうなりますね、五年ほど、勤めてましたから」
「今はフリーランスのライターをやっておられるとか」
「そうです」
「これほど立派なお部屋を借りられるとは、フリーランスは稼げるでござるか」
これは敬語ができるできないの問題ではなさそうだ。
牛乳の入ったコップをテーブルの上に置き、岡崎の隣に腰掛けた。
「それほど儲かるわけじゃないですよ。ただ、この部屋、家賃がどういうわけか、かなり安いんです。五万ちょっとです」
岡崎は「かたじけない」と言って牛乳を一口飲み、すぐに驚いて僕の顔を見た。
「これだけの部屋で家賃が五万ちょっとでござるか?」
「さようでござる。異様な安さでござろう」
「事故物件でござるかな?」
岡崎の目が一瞬輝く。僕は首を横に振った。
「そうじゃないかと思ったんですけど、どうも違うようです。変なことは起きませんし、隣近所に変な人がいるわけでもないようです。不動産屋の話だと、オーナーが極端な金持ちで、ほとんど道楽で不動産投資をしているとかって」
「なるほど、ラッキーでござりますな」
僕は頷き、牛乳を一口飲んだ。少し歯にしみた。
「どうなさった」
「いえ、ご心配なさらず、ちょっと歯がしみただけです」
「さようでござるか……ところで、今日はひとつ、妙な話を聞いていただきたく馳せ参じもうしたが、内容はご存じでござろうか」
「いえ、氷山女史は誠にそそっかしい人間でありますゆえ、詳しい話はほとんど聞かされておりませぬ」
「さようでござるか」
「さよう、氷山女史には参るでござるよ」
「まことに、おもしろき女傑でござる」
「さようさよう、誠に珍妙。此度、氷山芽衣子はその珍妙さゆえに国の特別天然記念物に指定される運びでござる」
「まことでござるか?」
岡崎が目を大きく開けて僕の顔をじっと見た。
「まことではござらん」
「ござらぬか。いやいや失敬、それがし、信じやすい性分ゆえ」
「あの、普通にしゃべれませんか?」
「あ、しゃべれます」
岡崎は顔を真っ赤にしてあたふたした。
「普通にしゃべったほうが話しやすいでしょう」
「すみません、氷山先輩から、神市さんはおもしろい人が好きだから、おかしな言葉遣いをしたほうがいいと言われてまして」
「氷山芽衣子の入れ知恵ですか。よかったです。もし本当にそういう喋り方しかできない人だったら、どうしようかと思いましたよ」
「すみません」
「そもそもその人がおもしろいかどうかを、言葉遣いだけで判断しませんよ。氷山芽衣子に一杯食わされましたね」
僕が笑うと、岡崎はますます顔を赤くした。
「ええ、本当に、どうも信じやすいタチで……そうなんです、今回の話も、信じやすい性格が関係しているんです」
思い出したように顔を上げ、ソファの脇に置いていたビジネスバッグの中から親指サイズの人形を取りだした。
「これ、ご存じですか?」
その人形を受け取り、よく観察してみた。毛糸で編んで作ったものらしい。少年の形をしているが、服は着ておらず丸裸で、顔ものっぺらぼうだった。少年だと思ったのは、股間に小さなおちんちんのようなものがついているからだった。
「これ、なんですか?」
「これは、友達がたくさんできる御利益があるらしい、人形です。友達人形と伺いました」
「友達人形……持ってれば友達ができるってことですか?」
岡崎は照れくさそうに目を伏せた。
「ええ、なんというか、僕、昔から友達を作るのが苦手で。小中高は友達と言える友達はひとりもいませんでしたし、学生時代も、サークルに入らなくて、友達ができなくて。早い話が、僕には友達がひとりもいないんです」
「友達ってのはひとりできれば奇跡みたいなもんですよ」
「ええ。最初のうちはそう思ってたんですけど、やっぱり、こう、来る日も来る日もひとりで過ごしていると、寂しくなると言うか。特に大学入学で上京してひとり暮らしを始めてからは、人恋しさが増してしまって」
「それで、この人形を買ったと……この人形、どこで手に入れたんですか?」
岡崎は人形を指さした。
「それは、変な古道具屋です」
「古道具屋?」
「ええ、就活中に永田町に行くことがあって。そのとき面接で大失敗したものですから、悔しくて路地裏に入って涙を流してたんです。そしたらその路地に店があって、そこで見つけたんです。見てたら店主のオヤジが『それは友達ができる人形だ』と言うもんですから。信じて買っちゃったんです。二千円で」
これが二千円。僕は今一度、人形を観察した。
かなり精巧に編み上げられているようだったが、ところどころ汚れているし、ほつれているところがあるしで、人形そのものにそれほどの価値があるようには思えなかった。
とはいえ、友達ができるようになるなら、二千円でも安いほうだ。
「で、友達はできましたか?」
「いえ、全く。騙されたんです」
岡崎はあっけらかんと言った。
「入社すればできるかなと期待しましたが、こないだの歓迎会で友達人形の話をして変人のレッテルを貼られちゃって。僕は、陰でオカルトくんと呼ばれているそうです」
「あの会社で友達を作るのは難しいですね。人間関係ギスギスしてますから」
「入社一週間でもう浮いた存在になっちゃいました」
「岡崎さんが浮いているというか、周りの連中が沈んでいるだけですよ。でも、氷山芽衣子は興味持ってくれたんじゃないですか?」
「はい。この話、氷山さんしか、信じてくれなくて。ほかの人は誰も信じてくれないんです」
「僕も信じますよ……」
と言いかけて、ふと首を傾げた。
友達ができるという人形の御利益について信じる信じないという話かと思ったが、その点については岡崎自身が「騙されたんです」と言って否定している。
「氷山芽衣子は、なにを信じてくれたんですか? 友達ができる御利益については、先ほど岡崎さん自身が否定していたように感じられましたが」
「ええ、実在の友達はできないんです。ただ、夢の中で、できたんです」
「夢の中で?」
岡崎は牛乳を一口飲み、体を僕へ向けた。
「この人形を手に入れてから、定期的に夢の中に友達が現れるようになったんです。実際は見ず知らずの男なんですけど、なんというか、夢の中だとその人は友達っていうことになっているんです。わかりますか?」
「ええ、夢の中に誰か出てきて、友達のように遊んでいるけど、目が覚めるとその人がどこの誰なのかわからない、というような経験なら、たまにありますね」
「それなんです。一週間に一回とかの割合で、同じ人が僕の夢の中に出てくるんです。その人は僕の親友で、いろんなところへ一緒に出かけたり、一緒に遊んだりするんですけど、目が覚めると、それが誰なのかわからないんです。ただ、夢の中では、確かにその人は僕の親友なんです」
「毎回、同じ人なんですか?」
「はい。今のところは」
「ほう、そうなると珍妙ですね」
つまり、この人形は、「夢の中でのみ会える友人」を生み出すことができるということだろう。能力としては中途半端だが、この小さな古ぼけた編みぐるみがそうしているというのなら、不可思議千万な話である。
「すごく現実的な夢なんです。どれも実際に体験したような気分になるんです。友達がいるって、こんな感じなんだなぁ、と、毎回嬉しくなったりもするんですが……神市さん、信じてくれますか? この話」
僕は頷いた。
「ええ。僕は疑わしきは信じるってのがモットーですから、岡崎さんに負けず劣らず信じやすいタチなんですよ。大いに信じますね」
岡崎はホッと息を吐いた。それから人形を指さして、懇願するように僕を見た。
「もしよければ、神市さんで、この友達人形の力がどれほどのものなのか、調べていただけませんか? 氷山さんから、神市さんに頼めば手を貸してくれると聞いたのですが」
「友達人形の力がどれほどのものってのはどういう意味ですか?」
「いや、もしかしたら夢の中で出会う親友が実在するんじゃないかなって、まだ僕、心のどこかで信じていて。もしもそうなら、嬉しいなって。そのことを、調べてもらいたいんです。自分で調べたいんですけど、仕事が思っていたより忙しくて。今日も、土曜日なのに、さっきまで出勤していたんです」
だからスーツ姿なのだろう。
僕は人形をじっと見た。腹は決まっている。問題は依頼を引き受けるための例の条件だが、岡崎なら素直に承諾してくれるだろう。
「おもしろそうだから引き受けてもいいんですが、僕がこういう依頼を引き受けるのは、友達だけと決めていましてね」
「友達?」
「ええ、友達からの依頼じゃないと、引き受けないんです」
「そう、ですよね……」
岡崎は悲しそうに俯いた。誤解させてしまったらしい。
僕は訂正するように岡崎の肩に手を置いた。
「いや、だから、岡崎さん、できればでいいんですが」
「はい?」
「僕の友達になってくれませんか?」
「え?」
岡崎が間抜けな目をして僕を見る。
「岡崎さんが僕の友達になってくれるなら、喜んで引き受けますよ」
「僕が神市さんの友達になるんですか?」
「ええ、そうすれば友達からの依頼になりますから。岡崎さんおもしろい人だから、友達になりたいんです」
岡崎はしばらくきょとんとしていたが、やがて意味を飲み込んだのか、僕の手を取って力強く頷いた。
「もちろんでござる!」
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