3-7
翌週の土曜日に、長谷川とミクの三人で海へ行くことになった。就職してから忙しく、だいぶご無沙汰になっているサーフィンをするから、一緒にどうだと誘われたのだ。
僕はサーフィンなどしたことがなかったし、道具も持っていなかったが、長谷川が貸してくれると言うので、物は試しにチャレンジしてみることにした。
聞けば長谷川は、あれから人工海水の素を購入し、毎日風呂に入れて入浴しているらしい。体調はすこぶるよく、久しぶりにサーフィンをしてみようという気にもなれたそうだ。
長谷川が借りたレンタカーで湘南の砂浜まで向かった。学生時代、二人はよく湘南までサーフィンをしに来ていたらしい。
深秋ということもあり海水浴客はひとりもおらず、サーファーが何人か、波に揉まれてはしゃいでいた。
ウェットスーツに着替えて浜まで降りると、長谷川は海を前にして立ち止まった。どうしたんだと訊ねると、長谷川はなにも答えず、涙を流した。
「これだよ、これだ」
そうつぶやき、ボードを脇に抱えて一散に駆け出した。
「ちょっと! 神市さんにサーフィン教えてあげるんじゃないの?」
ミクが呆れたように叫ぶが、長谷川は聞く耳を持たない。海に飛び込んでしまうと、しばらく潜って顔を出さなかった。
少ししてから飛び跳ねるようにして立ち上がった。
「やっぱり海が一番だ!」
長谷川の声は砕ける波の轟音に負けないほど大きく、力強かった。
僕はミクからサーフィンのやり方を教わった。
午前中から三時前までみっちり勉強したが、結局その日、僕はサーフボードの上に立つことはできなかった。ミク曰く、「かなりセンスがない」とのことだ。
長谷川は水を得た魚のように、いや、海水を得た海小僧のように、活き活きとサーフィンを楽しんでいた。僕は浜辺に腰をかけ、子どものようにはしゃいでいる長谷川を見ていた。
海が長谷川を活気づけているのだろうと思ったが、それ以外にも、長谷川が元気を取り戻していることには理由があるようだった。
隣に座っていたミクが教えてくれた。
「良平、転職するんだって」
「転職?」
「そう。まだ完全に決まったわけじゃないから言わないのかもしれないけど、知り合いから声をかけられたらしくて」
「どんな業種?」
「うん、発達障がいとかを持っている人の就職活動の支援をするNPO団体だって」
「へぇ。それはいいね」
「給料はかなり減っちゃうらしいけど、それでも本人にとってやりがいのある仕事をしたほうがいいもんね」
もともと大学のボランティアサークルで出会った二人だ。誰かの支援ができることは、二人にとって大きな喜びになるはずだ。
「法人向けの営業マンは、良平にとってはかなりストレスだったみたい。でも、周囲の目とかもあって、辞められなかったんだって。私も良平が満足しているものとばかり思ってたから、まさか仕事がストレスになっているとは知らなくて……」
「確かに、話を聞くだけでは不満があるようには感じられないよね、大企業のエリート営業マンだし、長谷川くんはあんまり愚痴を周囲にこぼすような人ではないみたいだし」
「でも、神市さんのおかげで踏ん切りがついたみたいで、良平はかなり感謝してる。河童とか海小僧とかの話は私にはよくわかんないけど、私も、良平の本心が知れて、神市さんには感謝してる。お礼しなくちゃねって」
「お礼なんてやめてくれよ、興ざめだよ」
僕は笑い、首を横に振った。
「とにかくこれで、長谷川くんが人知れず真水に喘ぐことはなくなるだろうから、よかったよ」
日が暮れかかっていた。波に乗る長谷川の姿がだんだんと、黒いシルエットになりつつある。
僕はふと、霊堂真作が霊視した「長谷川の前世」が手に持っていたという、「キュウリのようなもの」について思い出した。霊堂は「キュウリにしてはうにうにしている」と言っていた。
いったいなんなのだろう。
僕がぼんやり夕陽に染まる空を眺めていると、日の光を背中で受けて影になった長谷川がこちらへ歩いてきた。サーフボードを小脇に抱え、右手になにか持っている。
それはやけにうにうにしていた。
「これ、多分、どっかの岩場から流れてきたんだよ」
長谷川がポイッと、それを僕らの前に放った。
ミクが「キャッ」と声を上げる。
それは、大きなアメフラシだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます