[2-22]つないだ絆を手繰って


 翼族ザナリール人間族フェルヴァーには、彼らの王に因んだ強い絆がある。国家として翼族ザナリールを守ろうと動くのも、然り。個人としても、他の種族にはない特別な守護関係を結ぶことができるのだ。

 種族魔法として顕現するその絆は『翼の騎士ザナリールズ・ナイトの誓約』と呼ばれる。互いの魂を繋ぎ、生死を分かち、求めに応じて馳せ参じる――比喩ひゆではなく、翼族ザナリールの側が望めばどんなに離れていようと、どんな状況にあろうと、その元に移動することができるのだ。守護魔法としては、破格である。


 ヴェルクがミスティアに望んだのは、ただの婚約ではなかった。

 いにしえの作法に沿って立てられた騎士の誓いはすなわち、ヴェルクが騎士としてミスティアに命を預ける、ということ。望まれれば、どこにいても、どんな状況にいても、彼自身の命や理念よりも優先して彼女を助けにゆくという宣言だ。

 その覚悟をミスティア自身が理解し受け入れ、そうして成り立つ誓約である。

 で、あれば。


「ぼくも、一緒に戦う」


 弓と矢を携え、息を切らして、それでも宣言する。ヴェルクは驚いたように目を見開き、それから苦笑した。その様子に彼が、この流れを予期していたのを感じた。



  † † †



 あれだけ夜更かししても、身についた習慣というものは狂わないらしい。

 目覚めたのは、早朝だった。朝を告げる雀たちの声で意識が覚醒し、ぱちりと目を開けたミスティアは、鼻先が触れそうな距離にヴェルクの寝顔を見て心臓が止まりそうになった。声こそ上げなかったものの翼が勝手にベッドを叩き、ヴェルクが目を覚ます。

 夢だと思ってはいなかったが、――本当に夢ではなかった。

 カーテンに希釈された弱い朝日の中、存外ぞんがい長い睫毛まつげが影を落とす紫色の目に、自分が映っている。二、三度瞬きしてから、ヴェルクが目元をなごませ口角を上げた。それが心底嬉しそうに見えて、ミスティアの頬も熱を帯びてゆく。


「おはよう、ミスティア」

「お、おはよ。ぼく、いつの間に寝たんだろう」

「俺の誓いを聞き届けて、力尽きたみたいだな」

「おれの、誓い……」


 口の中で反芻はんすうすれば、よろこびとも羞恥しゅうちともつかない熱が顔に集まってくる。ヴェルクにじっと見られていると落ち着かない気分になって、思わず両手と翼で顔を覆い隠した。ラベンダー色の向こう側から低い笑い声が聞こえる。

 指のように風切羽根の間を広げて透かし見れば、節くれだった手が伸びてきて頭を撫でられた。


「正式な婚約は砦に戻ってからにするが、翼の誓約は昨夜から発動してる。いつでも、遠慮なく、俺を呼べよ」

「うん」


 ヴェルクの指は大きく温かい。頬の熱は引きそうになかったが、胸の奥にも熱い想いがあふれてこらえきれなくなったミスティアは、翼の防衛を解いて大好きな人のふところへにじり寄った。期待をたがえず、頭を撫でていた手のひらが背中に触れ、翼ごと緩く抱き寄せられる。

 全身を包みこむ、人肌のぬくもりと湿った体臭と。守られているという実感が心地よく、睡魔がゆるゆると忍び寄る。砦と違い朝の仕事が待っているわけでもないし、このままもう一眠りしても許されるだろうか。ヴェルクの胸にすっぽり収まったミスティアが夢うつつの気分を揺蕩たゆたっていると、不意に、部屋の扉を強く叩く音が聞こえた。


「ヴェルク、起きてるかい? ミスティアがいないんだけど」


 低められた男声は領主カーティスのものだ。不安や焦りはなく、どちらかと言えば怒っているようにも聞こえる。一方ヴェルクは突然の声がけに動揺する様子もなく、ミスティアの翼を撫でながら平坦に答えた。


「心配ない、ここにいる」

「……やっぱりそうか。何が、心配ないだ。ちょっと出てきなさい、話があるから」

「何だよ」

「応接室で待ってるからね」


 はぁと溜め息を漏らし、ヴェルクが身じろいで上体を起こした。見上げた顔がひどく面倒臭そうな表情に見えて、ミスティアは思わず吹き出す。


「ヴェルク、ひどい顔」

「だって朝から説教……まぁ、行ってくる。おまえはもう少し寝てろよ」

「うん、そうする」


 寝起きで乱れるつややかな黒髪を手櫛で纏めつつ起き上がり、ヴェルクはゆっくりベッドから降りた。少し寂しい気もするが、婚約者になった今、一緒に眠る機会はこれからいつだってあるだろう。寝具に染みつく彼の残り香と体温に浸ろうと、ミスティアは翼を縮めて毛布へ潜り込んだ。

 手早く着替えを済ませたヴェルクが、愛用の大剣を手に部屋を出てゆく。

 剣士はいついかなる時も剣を手放さないのだなと思いつつ、もう一眠りする――つもりだったのだ、けれど。


(……――あれ?)


 異変に気づいたのは、二度寝の微睡まどろみから意識が浮上した時だった。ヴェルクはまだ戻っておらず、外はすっかり明るくなっている。翼を伸ばして毛布を跳ねけ飛び起きると、ミスティアは急いで普段着のほうに着替えた。ざわつく心を努めて平静にし、意識を研ぎ澄ましてヴェルクの

 誓約の儀式により、ミスティアとヴェルクの魂は深い絆を結んだ。だから今ならば、彼の居場所を精霊が教えてくれるはずだ。

 風乙女シルフ捜索サーチ能力によって居場所を探り、噂を集める。そうして港で起きていることを知ったミスティアは、迷わず弓と矢筒を掴み、カーテンを引いて窓を大きく開け放つ。


 いついかなる時もともに生きると誓ったのだ。

 ここでじっと帰りを待つだけなどできない。

 


  † † †



 港へ乗り込んだミスティアが、領主と別れ単独行動をしていたヴェルクを見つけるのは造作もなかった。目立たぬよう地上を駆けたため、多少息は上がってしまったけれど。

 怒られることも覚悟していたが、ヴェルクは苦笑こそこぼしたものの、不快な表情を見せたり声を荒げたりすることはなかった。


「誰から聞いたんだよ」

「風の精霊たち。港で悪い奴らが子供たちをいじめてるって、ヴェルクは助けに向かったって言ってたんだもん」

「まじか、精霊ってそこまで伝えられるのか……」


 人間族フェルヴァーは全体として魔法を苦手とするらしく、ヴェルクは下位精霊と話すことも、見ることすらできないという。兄が召喚する火蜥蜴サラマンドラや砦の厨房に居着いている火蜥蜴サラマンドラは人との縁が深いためか見えるらしいが、それでもミスティアのように親しく会話することはできないようなのだ。

 今まで意識したこともなかったが、これが種族差だとミスティアは実感した。精霊からの情報に頼れないのは不便であり、魔法にけた者相手では命取りにもなりかねない。彼の弱点を補うことこそ、伴侶である自分の役割だ。


「大丈夫、精霊たちに聞けば管理局ターミナルの中がどんな様子かも探れるよ」

「そうなのか、そうだな。だがミスティア、先に約束して欲しい」

「なに?」


 眉間にしわを刻み、ヴェルクは真剣な表情で覗き込んできた。どきどきと高鳴る胸を押さえて見上げれば、への字に引き結ばれていた口元が少しだけ綻ぶ。


「ここで王軍と揉めたら、領主に迷惑がかかる。俺たちはこの都市で革命を起こすわけじゃない。だから、金狼を見ても絶対に飛び出すな」


 思わぬ言及は胸の奥にくすぶっていた激情を一瞬のうちに燃え上がらせ、ミスティアは即座に返答できず唇を噛む。彼の言う理屈はわかるし、ここは自治領とはいえノーザン国内なのだ。革命軍である自分たちが姿をさらすのは、愚行である。最悪、金狼が領主に自分たちを捕らえるよう命令を下すことだってあり得るだろう。

 それでも、あの狼が目の前に現れた時、じっとしていられるのか。ミスティアには、わからなかった。

 答えられないまま、まっすぐ見てくるヴェルクを見返すこともできずに、視線が地面へと落ちる。不意にヴェルクが一歩を踏み出し、たくましい腕でミスティアの身体を抱き寄せた。


「おまえは、子供たちを助けたいんだろ」

「……うん」


 その通りだ。

 ヴェルクは十分に強く海賊に負けるとは思わない。けれど、海賊が子供たちをいたぶって殺害するのでは、と思えば、居ても立っても居られなかった。それが例え、見知らぬ誰かであろうと。


「なら、そのことだけ考えろ」


 低く、強く、言い含められる。自分を包む彼の体温と低い声が全身に染み込んで、心が凪いでゆく。ミスティアは弾力ある彼の胴に額を押しつけ、頷いた。ぽんぽん、と頭を優しく撫でられる。


「がんばる」

「よし。なら、行くか」


 確約を、彼は求めなかった。わかっていればいい、そう言って貰えたように思えて、背の翼がまっすぐ伸びた気がした。

 ヴェルクの言うように、最優先は囚われているらしい子供たちを助けることだ、と。もう一度自分に言い聞かせ、ミスティアは前ゆくヴェルクの背を追って駆け出した。



 

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