〈幕間〉アセロン本島軍事拠点にて


 アセーナ湾に浮かぶ島々のうち最も面積が広いアセロン本島には『歌いびとの聖域』と呼ばれる聖殿と、鱗族シェルクの地上集落がある。

 港湾こうわん都市ノスフェーラの領主からあらかじめ通達されていたとはいえ、集落に住む鱗族シェルクたちが王軍を見る目は険しい。ハスラ湖での一件が知られているのかどうか、ユーリスを連れたゼレスへ向ける目に軽蔑けいべつが込められているのを感じる。

 自分と青年をどんな関係だと解釈されたのか、何にしても誤解だろうが、今さら反感を恐れるゼレスでもなかった。最低限、邪魔をされなければいい。

 海賊船を拿捕だほできれば最善だが、それが出来ずとも湾外へと追い払えれば任務達成となる。居座っていたのは小物ばかりなので王軍の敵ではない。この調子ならあと数日あれば駆逐できるだろう。


 カミル国王は人いの魔族ジェマであり、国民に対しても食人を許容はしているが推奨しているわけではない。だからこそ、港湾都市ノスフェーラのように食人を禁止する自治法案も認められるのだ。

 しかし王軍には人いの魔族ジェマが多く、彼らが港湾都市の鱗族シェルクや他種族の住民と接触すれば事故が起きる可能も高くなる。ただでも問題が山積みなのに、これ以上の揉め事は勘弁してほしかった。

 不要な接触を避けるため王軍にはアセロン本島宿営地への待機を命じ、鱗族シェルクたちの集落にはノスフェーラの港湾警備隊を配置して、聖殿を封鎖した。不満の声は上がるだろうが、人身事故が起きるよりずっとましだ。


 拠点にしている狭い仮小屋で報告書を書いていたゼレスの耳に、控えめなノックの音が聞こえた。ペンを止めて促せば、木製の扉を押し開け入ってきたのは鱗族シェルクの青年、ユーリスだった。手にしたトレイに湯気の立つマグカップが二つ乗せられている。


「ゼレス、お疲れ様。ホットココアいれてきたけど飲む?」

「お、ありがとな。そろそろ頭が疲れて甘い物が欲しかったところだぜ」

「それなら良かった。ここに置くよ」


 王へのにえとして捧げられたこの青年を、王自身はたいそう気に入っている。彼が海賊討伐へ加わることにカミルは難色を示し、許可しようとしなかった。ゼレスが彼の安全を徹底的に図ること、王軍の拠点で彼に個人行動させないことを条件に渋々認めてはくれたが、その過保護ぶりにユーリスはさぞ驚いたことだろう。

 鱗族シェルクの村で排斥されていたという彼は、父親が魔族ジェマだったのだという。それゆえか魔族ジェマへの恐怖心が薄く、特にゼレスとはすぐ打ち解けていた。食人が禁止された港湾都市は人いであるゼレスにとって動きにくいので、ユーリスに代行して貰えるのは非常に助かる。しかもこうして、差し入れまで持ってきてくれるのだから。

 座れよ、と椅子を押しやれば、青年はマグカップを机に置いて素直に腰掛けた。甘く温かな湯気がふわりと鼻先をくすぐり、ゼレスの腹が控えめに空腹を主張する。アセロン本島で飲料水は確保できるが、食糧品は港湾都市からしか調達できなかった。一日の半分を携行食で済ませるしかないのもなかなかに辛い。


「ゼレス、お腹すいてんの?」

「城と違ってそもそも食い物が少ねぇからな。まさか鱗族シェルクの村へ買い出しに行くわけにもいかねーし」


 溜め息混じりに愚痴を吐き出すと、熱いココアに息を吹き掛けつつすする。強めの甘さが熱と一緒に喉を落ちてゆき、冷え切っていた腹がじんわり温まってゆく。

 優雅とは言えない飲み方に驚いたのか、向かいの席からしげしげとこちらを観察していたユーリスと目が合った。

 

「何だよ、美味いぜ?」

「なら良かったけど……ゼレスって、噂よりぜんぜん真面目なんだな」


 どんなだ、と聞き返すまでもない心当たりにゼレスは苦笑した。カミルは簒奪さんだつ者の国王であり、ゼレスは王の腹心、右腕と呼ばれている。冷酷で悪食な人いの金狼という噂を否定はしないが、根拠になっているのは狐の所業によるものが多い。しかし、排斥された身だとはいえユーリスに、彼の故郷が辿った惨劇を伝える気にはなれなかった。

 今回の討伐にサガミは同行していない。彼なら鱗族シェルクの地上集落を脅して食糧を奪うくらい仕出かしそうだが、港湾都市の領主と揉め事になると厄介なので連れて来なかった。

 領主のカーティスは王と同じく吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマだが、人いを禁じていることからも解るように他種族との融和を望んでいる。物流のかなめを握っており、高位の精霊使いでもある彼を怒らせることになれば、反乱を引き起こしかねない。それは何としても避けたいところだ。


「おまえこそ、ずいぶん真面目に付き合ってくれるじゃねーか。シェルシャと違って大将に使役しえきされてるわけでもなし、鱗族シェルクの集落なり領主邸なりに行って保護して貰えば、俺たちみたいな人いとはおさらばできるだろうにさ」

「なに言ってんだよ。カミル様は俺を助けてくれたんだから、尽くすのは当然だろ」


 鱗族シェルクは色白で端正な容貌の者が多いと聞くが、ユーリスは殊更ことさら中性的で綺麗な顔立ちをしている。細い眉を寄せまなじりをつりあげた表情は、怒っているというよりねているようだ。ゼレスの好みは気の強い女性だが、王がユーリスを気に入るのも理解できなくはない。

 彼は本気で王へ恩義を感じているらしく、ベッドから起きられるようになるとすぐ『仕事』を求めたがり、王に休むよう命令されてようやく引き下がるほどだった。ノーザン王宮は常にまともな人材が不足しているので、ユーリスが心底から王を慕って居着いてくれるのなら、ゼレスとしては願ったり叶ったりなのである。


「俺はお前が来てくれて助かったぜ。あと少しで任務も終わるし、城へ戻ったら美味いもの腹一杯食わせてやるからな」

「腹減ってんのはゼレスじゃん。俺は携行食で間に合ってるから、気にすんなよ」

「大将からユーにはちゃんと食わせるようにって言われてるんだよ」

「何だよそれ。カミル様、心配しすぎだろ」

 

 眉を寄せてココアを飲む青年の頬が色づいているのは、熱い飲み物のせいか、それとも。

 仕事に真面目でよく動く彼が同じ相手を敬愛しているという事実を微笑ましく思いつつ、ゼレスは残り少なくなったココアを一気に飲み干した。今回こそ無駄な犠牲を出さず任務を終えられそうだと思えば、空腹など苦にもならない。


「さて、もう一仕事するか。ユーは先に湯浴みしていいぜ」

「ありがと。……あ、そういえばゼレス」


 報告書作成の続きに戻ろうとしたところで、ユーリスが何かを思い出したのか声を上擦らせた。手を止め見上げれば、彼は視線をさまよわせ周囲を確かめてから囁くように言った。


「港湾都市で被害報告書を回収してた時に、カミル様そっくりの人を見たんだ。赤髪で、青色の腕章を付けていて、翼族ザナリールの女の子を連れてたんだけど、もしかして……」

弟君おとうとぎみ、じゃねーか!」


 思わず大声をあげてしまい、慌てて自分の口をふさぐ。誰が聞いているかもわからないところで、ユーリスの気遣いを無にするところだった。

 鱗族シェルクの青年は気分を害した様子もなく、空になったマグカップ二つをトレイに戻しながら頷く。


「やっぱり、あの人そうなんだ。てことは」

「青色の腕章は領主の賓客ひんきゃくか。カーティスの野郎、問い質す必要があるな」


 ルエル村でシャイルが革命軍と行動を共にしていたのをゼレス自身も目撃している。後日調査をしたところ、村はまったく焼けておらず、住民は退去した後だったという。

 天才的な精霊使いであるカミルの魔法を止められる者など今まで見たこともなかったが、弟のシャイルであれば有り得なくもない。カミルはいつものだから。

 領主が個人的にシャイルと知己なのか、それとも革命軍と繋がっているのか――どちらにしても、看過できる話ではなかった。


「ごめんなゼレス。俺が、ちゃんと調べれば良かった」

「いいや、どっちにしても引き上げる前に領主と書類のやり取りはしなきゃならねぇし、丁度いいさ」


 仕事が増えたとして、敬愛する主君の探し求めている相手について手掛かりが得られるのだとしたら、むしろ願ったりである。

 表情を曇らせるユーリスの頭を撫でてもう一度湯浴みを促してから、ゼレスは残った仕事を片付けるため、改めて机に向き合った。



 

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