第5話 剣聖に何かしちゃいましたか?

 そこは闘技場とは名ばかりの、土で出来た運動場であった。違いがあるとすれば、そこにいる人々は、剣を振って汗を流していた事ぐらいだ。僕たちが闘技場に着くと、筋肉隆々の男が近づいてきた。髪は無造作に肩まで伸びており、あごひげを蓄えてたその男は、僕をじろりと睨みつけてきた。


「お前が勇者か!」


 ドスの効いた低い声で問う。


「ダレン様! 神に仕えし勇者様に失礼な物言いです!」


 ナービスさんが激しい剣幕で、ダレンに食ってかかっていった。


「フハハハハ、こいつが本物なら頭を下げてやる。だが模擬戦のルールを聞いて、偽物勇者と確信したわ」


 僕が彼女に頼んだルールは、木刀での試合で模擬戦をする。その際、身体にいくつか花を付け、その花を散らした方が勝利者とする。ただし、木刀が相手の身体を傷つけたら負けとする。


「剣技を比べるには、悪い提案だったとは思いませんが……」


「打撲を怖がって、剣士と名乗る方がおこがましいわい!」


 僕は自分で剣士とも勇者ともまだ一度も名乗っていないのに、この失礼な対応に少し苛立ちを覚える。剣聖の弟子から、僕の身体にも花が付けられ、木刀を手渡された。


 僕はダレンに勝つ気は全くなかった。彼に負けたところで、自分が勇者としての立場は変わらないだろう。剣など振ったことは一度もないのに、怪我でもさせられたらばかばかしいと思ったからである。


「では始めるとするか」


 剣聖ダレンは、木刀を持った手を振りながら刀を構えた。僕は自分の身体に、防御魔法のディーフェンを保険で掛けた。


 剣聖の弟子たちのヤジが飛ぶ。


「両者剣を構えて下さい。それでは始めッッ!!」


 審判の合図が闘技場に響く。


 僕は剣を合わすことなく、試合が決まると思っていた。しかし、ダレンの剣が一向に飛んでこない。いや違う……攻撃はしてきていたが、彼の動きが異常に遅かった。あたかも動画をスローモーションで見るような感覚に陥っていた。僕はダレンの前までスタスタと歩き、木刀を軽く振って、ダレンの左胸の花を落とした。


「そこまで!」


 審判が終了の合図を告げた。


 ダレンはまだ自分の胸の花が、落とされたことに気付いては居なかった。剣聖の教え子たちが悲鳴ともとれる声を上げたのを聞いて、初めて自分が負けたことを自覚した。


「し、信じられない……」


 彼の右手に持っている木刀が、小刻みに振るえている。


 僕は彼に一礼して、闘技場から帰ろうと後ろを向いた。


「待ってくれ! もう一番わしと試合をしてくれ」


 僕はちらりとナービスさんの顔を見た。すると彼女は


「勇者様、もう一番だけ剣聖様と戦って下さい」


 そう言って、彼女は僕に深々と頭を下げた。


「もう一回だけですよ」


 そう言いながら、次はどう対処するのが正解なのか分からなくなっていた。


 審判が、始めの合図を出す。


 先ほどと同じようにダレンの動きが遅かったで、今度は近づくまで待ってみた。彼の剣が自分に届く間合いに入ったとき、ダレンの剣が僕の頭に向かって振り下ろされた。当然そのスピードは目をつむっても避けきれる早さだったので、一太刀、二太刀を右左へ身体を動かし剣をかわした。ダレンは息を切らしながら何度も剣を振るうが、僕の身体には一向に当たらない。


 今度は花ではなく、彼の剣を弾いてみた。剣は彼の両手から離れ、地面に落ちた。ダレンは信じられないという顔を僕に向ける。


「それまで!」


 シンと静まった闘技場に、終了の合図が響いた。僕は手に持った木刀をダレンに手渡し、彼が頭を下げたか確認せず、ナービスさんと二人で闘技場を後にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る