幕間「コールドムーン」

 グリム同盟 防衛国のシャプロンが雪化粧を纏った十二月の満月の夜。


 シャプロン城内では翌年に向けての軍事会議が行われていた。


 始まったのはもう数時間前。


 情報共有で終わる議題もあれば、白熱した論議を交わす議題もあり、気がつけば満月は空高く舞い上がっていた。


 そして、ようやく全ての議題を討論し終え、今年最後の軍事会議が終わった時。


 その緊張感が一気に解けたルドルフが、夜の冴えた空気に本能的な身震いをした。



「急に冷え込んだね〜……ルーは大丈夫?」


『……ん、大丈夫だよ』



 〝アルフが口うるさいからね〟とルージュは普段よりも手厚く着込まされたカーディガンや、ブランケットを指先でつまみ上げて、ルドルフへ苦笑いを見せた。



「満月も太陽みたいに暖かかったら良かったのになぁ」


『それは同感だね』



 すっかり高い位置へと行ってしまった満月に、掴めるはずもないのに手を伸ばしては恨めしそうに見つめるルドルフが、まるで子どものように唇を尖らせた。



『でもね、ロロ。昔の人はこの寒さや飢え……そんな不快な物は、全て神様からの贈り物だと考えていたんだよ?』


「コールドムーンの由来だな」


『さすがアルフ』


「えぇ〜!? そんな試練みたいな贈り物いらないよ!」



 尖らせた唇の代わりに今度はあからさまに耳を垂らし、げんなりと脱力するルドルフの頭を優しく撫でるルージュが……ふと、ルドルフの出した〝試練〟という言葉を反復した。



『……試練、か……』


「どうした? ルー……」


『いや……』



 怪訝そうなアルフレートの問いかけにそう短く答えてから、ルージュは腕を組み、自らの顎を指先でトントンと叩きながらゆっくりと瞳を閉じた。



『ボクの生き方って、そこそこ試練だな……なんて』



 成人にも満たない少女が常に戦いに身を置き、その命はいつ墜えてもおかしくは無い。


 さらにルージュには、血のつながった家族もない。


 そんな生き様は、ルージュにとっての試練と呼んで相違ないのでは無いか。


 そんな言葉を紡いだルージュが、思考の渦から浮上して、ふわりと目を開けば。


 すっかり眉の下がってしまっている近衛騎士たちの視線とかち合った。



『なんてね……冗談さ』



 心配させてしまったか、と慌てて取り繕う笑顔にどれだけの効果があったかは分からない。


 緋と蒼の狼耳を僅かに傾けた近衛騎士たちへ、ルージュは出来るだけ優しい声色で、語った。



『急な冷え込みは妙な事を考えさせていけないな……』



 そんな前置きをしたルージュが、再びその黄金色の瞳を瞼に隠して。ゆっくりと自身の胸に小さな手を添えた。



『たとえ、この生き様が本当に試練だったとしても……それがアルフやロロと共に生きるための試練だというのなら、ボクは大歓迎だ』



 この言葉に嘘偽りはない。


 ルージュは自ら〝試練のようだ〟と語るこの生き様に不満も、悲観する事も一切ない。



『ボクらの血は繋がってはいない。二人はオオカミで、ボクは人間だ。それでも……』



 そう言葉をわざと区切ったルージュは、すうっと目を開いてまるで今宵の満月のような瞳に光を宿して、静かにアルフレートとルドルフを見据えた。



『ボクは二人を愛しているよ』



 その真っ直ぐな眼差しと力強い言葉に、本能的にアルフレートとルドルフの鼓動が高鳴る。


 それは主人への忠誠心か、あるいは敬慕の情か。


 無意識に見開かれた二人の従者の瞳に、ルージュはふわりと微笑みながら、そっと二人へ手を差し伸べた。



『どうか、ボクと共に生きて欲しい……』



 その問いかけに、アルフレートとルドルフは当然のように、淀みなくルージュの手を取り、そのまま小さな主人の体を優しく包み込んだ。



「俺たちと生きることが試練だなんて……心外だな」


「俺は試練とか戦いとかそんなの関係なくて! どんなルーでも、ずっと一緒にいるよ!」


「……ロロに先を越されたのも、心外だ」



 そう言うなり、踵を返したアルフレートは二、三歩ルージュから距離を取るとカツッと靴を鳴らしてから姿勢を正し、跪いた。



「ルー……どうか共に。戦いの先も、ずっと生きよう」


「ルーが〝嫌だ〟って言っても、離れるつもりは無いから、覚悟してね!」



 アルフレートの行動に、ルドルフも慌ててアルフレートの隣へと移動して同じように跪く。


そんな真面目過ぎるアルフレートらしい姿と、純粋過ぎるルドルフの姿に、思わずルージュが笑い声を上げた。



『ありがとう……ボクのオオカミさん』



 そう言って小首をかしげるルージュの〝笑いすぎて涙が出たよ〟と言い訳された目元で光る僅かな雫は、人狼たちの優しい指先によって、拭い取られた。



 次の年も、どうか幸せで温かい太陽の光と、穏やかで静かな月の光に溢れますように。




――この世界の果てまでずっと、キミを守り続けるよ。



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