赤き女王と初陣 〜Jack and the Beanstark〜 後編
僅かな劣勢にルージュが挑発するようにペロリと舌で唇をなぞったその時、少し離れた場所でリチェルカーレが吠えた。
『―――っ』
リチェルカーレは、この場よりももっと街に近い場所を見つめながら、ルージュに何かを伝えようと遠吠えを繰り返す。
【索敵の名手】と名高き白狼が伝えたい事は、ただ一つ。
――主犯格【ジャック】の居場所だ。
『良くやった、リチェルカーレ! …………よし、全員聞け!!』
ルージュはその声が風に乗るように、風上からこれを張り上げるように叫んだ。
『リチェルカーレは苗木の損壊とジャックの確保だ! 殺すなよ! 必ず確保だ!』
ジッとこちらを見据えていた白狼が、大きく吠えルージュたちの場所から離れるように駆け出した。
『アルフとロロは体数が増える前に、巨人を叩け!』
そして、近衛騎士たちのもまた遠吠えをあげ、了解を示してから、再度巨人への攻撃を再開する。
『ボクは……』
一人その場に残ったルージュが、独り言のような言葉を途切らせ、瞳を閉じる。
次いで両手で赤いマントの両端を掴んでフワッと広げると、風に乗せて美しい弧を描いた。
その瞬間。……突如、地面が光り輝いた。
『ボクは、あの巨木を切断する!』
――ブワァッ!
ルージュの声に合わせるように、彼女の足元から光と風が噴き上がる。
そしてゆっくりと光る地面からたちのぼってきたのは、黄金に輝くルージュの身の丈ほどの巨大な「鋏」だった。
―――「スカーレットシザー」。
かつてルージュの母「スカーレット」がグリム同盟国を築き上げた戦いで用いたとされる大型の鋏だ。
現在は、グリム同盟の栄光と平和の象徴として、シャプロン国女王の手で守られ、戦闘時のみ使用されている。
『いくよ、ママ』
カチャリとまるで鍔鳴りのように音を立ててから、ルージュは鋏を背中へとかつぎ上げ、巨木目指して一気に駆け抜けた。
先立って戦闘に入っていたアルフレートとルドルフが巨人を撹乱し、ルージュの道を開いていく。
信頼する近衛騎士たちを横目に、止まる事なく駆け抜けたルージュは、ようやく辿り着いた豆の木の根元へ足を掛けると、その勢いを落とさぬまま上へ上へと駆け上がった。
『どこだ……っ』
蔦の絡み合う集合体であるならば、必ず絡みの緩いウィークポイントがあるはずだ。
ルージュは凹凸に足を乗せながら慎重に駆け上がる。
『―――っ!!』
そして中腹へと到達した時、根本とは比べ物にならぬほどに隙間の多い、細い部分を見つけピタッと足を止めた。
『そこだ!!』
細かく確認などする時間はない。押し通す!
ルージュは心の中でそう叫ぶと、背中から鋏を下ろし、その刃を大きく開く。
そしてルージュの全体重を乗せて、蔦の隙間に差し込むと、一気に両刃を閉じた。
―――バチンッ!!!
甲高い金属音と共に2つに分かれた巨木は、重力に従うように、地鳴りを立てながらバラバラと地上へと崩れていく。
毛糸が解かれるように次々と落ちる蔦と一緒に落下していくルージュの視界に、近場まで応戦に来たアルフレートとルドルフの姿が飛び込んできた。
『侵入経路は絶った! ……アルフ、ロロ!』
そう叫ぶとルージュは持ってた鋏を極限まで開く。
すると巨大な鋏は動刃と静刃……二つのパーツへと分割され、まるで二本の大刀のような形へと変形する。
『………使えっ!!!』
動刃と静刃に分けた刃を狼たちへ託すように、ルージュが一本ずつ投げつける。
『ママのハサミは必ず巨人を貫ける! ボクを信じろ!』
投げられた刃をそれぞれ口で齧り付いて受け止めたのを目視しながら、ルージュは衝突の避けられない地面へと身構える。
『こっちは気にするな! 足と腕だ! ヤツの動きを封じろ!』
ルージュの声に、2頭が刃を咥え駆け出す姿が見えた瞬間。
―――ドサッ!!
『………っ』
受け身で備えたとはいえ、地面に叩きつけられたルージュに鈍い痛みが走る。
足、いや腕を痛めたか、胴をやられたか……否、気にしている場合ではない。
まだ止まれない。
まだ終わってはいない。
『…………っ、アルフ、ロロ……行け!』
痛みに耐え、重い頭を上げながらルージュが声を張り上げた時、再び金属音が二打撃響いた。
「グォォオオオォォ!!!!」
ズシン……ッと響く地面の揺れと共に巻き上がる土煙の視界の先で、巨人は耳を塞ぎたくなるような断末魔をあげ、沈んで行った。
―――――――
「あの巨人、いつまで時間かけてるんだよっ!」
ルージュたちが戦闘を繰り広げる場所から少し離れた所で、一人の青年が息を上げながら大地を逃げ惑っていた。
此度の主犯格「ジャックと豆の木」のジャックである。
索敵の名手であるリチェルカーレに場所を特定されたジャックは、自らの能力を利用してその場に木々を育て、死角と退路を作りながらなんとか白狼を撒こうと必死になっていた。
「ったく……! 何が巨人だ! 木偶の坊がよぉ!!」
「グォォオオオォォ!!!!」
彼の作戦の肝である巨人へと悪態ついた瞬間。
巨人の断末魔と爆風が起こり、一瞬にしてジャックの視界が巻き上がる土煙によって奪われた。
「………っ!!」
咄嗟の事に、ジャックは目を覆いながら状況を精査する。
しかし、あの断末魔にこの地響き。
「…っ、マジかよ! あいつやられたのか…!?」
結論が出るのにさほど時間は掛からなかった。
「くっそ、なんだよ………!!」
背後から、再び何者かが近づいて来た気配を感じ、ジャックは鉛のように重い足を気合いで動かし始める。
「あの白い狼しつこいんだよ……!!」
土煙で視界が悪い。
正直、どの方向に向かって走っているのかも分からないが、後ろから迫る白狼の気配から離れる事に集中しすぎていた。
……前から来る気配など、気に求めていなかった。
「まさか……! あの人狼たちが巨人をやったってのかよ……!」
『そう。ボクのオオカミたちは優秀だからね……?』
ジャックが思わず吐露した言葉に、どこからともなく少女の声が返事した。
驚いたジャックは咄嗟にその場に立ち止まるが、その瞬間を待ち構えていた少女に、思い切り足技を打ち込まれた。
「グゥッアッ………!」
自然と出る情けない呻き声と共に、ジャックは地面へと叩きつけられる。
「ク、クッソ……」
痛みを感じる腹を庇いながら、その身を起こそうと僅かに身を捩ったその瞬間、目の前に赤いマントが広がった。
『動くな』
ドンッという衝撃と共に、ジャックは刃が擦れるような音を耳で感じた。
再び地面へと伏したジャックが、反射的に瞑った目をゆっくりと開けば……。
ジャックの両顔の直ぐそばには開かれた鋏の刃が突き立てられていた。
その大きすぎる刃をたどり、ハンドルの方を見上げると……。
そこには、自分にのし掛かるように仁王立ちし、腕から血を流す少女がいた。
ジャックの標的であるはずの女王「ルージュ」だ。
『さぁ、グリム同盟 防衛国代表 シャプロンのルージュに従ってもらおうか?』
「……」
それは、「鋏を閉じる」というあと一手で、ジャックの死が確定するルージュからのチェックメイト。
『それとも……狼たちの牙を通さなかったあの巨人を引き裂いたこの鋏で、人生の幕も切り落とすかい?』
「…君みたいな女の子にそんなこと、できるのかよ」
震え声のジャックに反して、ルージュは至極冷静に、冷たい笑顔で答えた。
『ボクはできるさ。それがボクの使命だもの』
そう言うと、ルージュは鋏のリングへと両手を添える。
『侵略っていうのはね? 殺すか、殺されるかなんだよ……残念だけどね』
添えた手に僅かに力を入れ、女王は問う。
『君に誰かの命を奪う覚悟は、あったのかな…?』
腕から流れる赤と、赤き女王の笑顔は相反するが、それが逆に彼女の強い意志を示していた。
『もう一度言う。ボクに従え。……ボクには【覚悟】がある』
「分かったよ。…………負けだ」
ルージュの最期通告に、ジャックは深いため息をついてから両手を上げた。
それは降伏の意。
『………懸命だ。感謝する』
こうしてルージュたちの狩りは彼女たちの勝利を持って終結した。
――――――――
その後、拘束されたジャックは、グリム同盟国の国際裁判にかけられた。
入国した方法や、先の作戦着手までの経緯、そしてなによりも動機などが問われる中で、ジャックは「第三者に指示をされて、今回の侵略を企てることになった」と白状した。
これにより、さらなる聴取が行われる事になったジャックは、同盟国内にて投獄されることになったが、未だその黒幕は判明していないらしい。
――ひょっとしたら、ジャック自身も黒幕の正体を知らないのかもしれない。
報告を受けたルージュは一人そう呟いた。
一方で、討伐された巨人は侵略の意思などはなく「ジャックの命に従っただけ」であることが判明。
救援国であるラプンツェルの元へ預けられ、完治した時点で天空へと帰されることとなった。
『……以上が事の顛末だよ。もうこれで作物に異常が出ることはないと思うから、街の皆にも伝えてよ』
今回の事件解決の経緯と、今後の事を伝えるために、ルージュは最初の異変に気がついた紅を城へと招いて、ゆっくりと時間をかけて説明した。
「左様でございますか……」
ルージュが語る内容に、始めこそ不安そうな表情で床ばかりを見つめていた紅も、最後にはホッと胸をなでおろした。
そして、ようやく俯いていた顔をふわりと持ち上げると、安堵の表情でルージュに目をやる。
「………?」
その時、紅は僅かにルージュが片方の腕だけを下げている事に気づいた。
普段から凛と背筋の伸びているルージュにあるまじき姿勢の悪さ。
「あっ!!!!」
巡る思考の中、紅がたどり着いた答えは、彼女を再び青ざめた表情へと変化させた。
「まさか!!」
『へっ!?』
突如、大声で驚きの声を上げた紅はアルフレートたちの静止も聞かずに、ルージュへと飛びついた。
「お怪我をなさっているではありませんか!!」
それはルージュが切断した豆の木から落下した際におった傷。
出血こそ酷かったが、痕が残るような傷ではなかったにも関わらず、近衛騎士たちの口煩い治療のお陰で、片腕が動かしにくくなり……立ち姿も乱れていたようだ。
『…ん? あぁ、大したことはないよ。この間アルフと訓練した時の方が酷かった!』
紅に怪我がバレてしまった事を誤魔化すようにそういえば、色々な意味で睨むアルフレートの視線がルージュの背後を刺した。
それを気にせずカラカラとルージュが笑うと、紅は顔をクシャリも歪ませて涙声に語った。
「ルージュさま…ありがとうございます…」
『あ!!』
「え!?」
突然のルージュの大声に今度は紅が驚く羽目になってしまった。
『名前!! やっとこっちが言わなくても呼んでくれたね!』
そう言うとルージュは、嬉しそうな表情で紅の手をそっと包んだ。
『大好きだよ! 紅さん!!』
そしてそのまま紅にガバッと抱きつけば、ルージュの腕に僅かに痛みが走り「痛てて……」と誤魔化して苦笑いではにかんだ。
「ルージュ様……本当にありがとうございました」
『こっちこそ、紅さんのおかげてみんなを守れたよ。ありがとう』
こうして事態は無事に、解決した。
されど解決したのは、ほんの一部。
ルージュたちは日常を過ごしながら、再び起こりかねない狩りに備える。
願わくば、平和な日々が一日でも長く続きますように…。
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