36.北国スネイブ2



夫人はソファに横たわっている。

さっきは過呼吸の発作を起こしたようだ。


慌てて駆け付けた執事と一緒にソファに運んだが、症状は治まったものの、夫人はそのまま眠ってしまった。

執事はサフィロ夫人の傍らに立ち、椅子に座る俺に向かって姿勢を崩さない。


しかし執事にも疲労の色が見える、誰か連れてくればよかったな。

いやいや、クロードに頼りすぎなのを改めようと思ったばかりだ、しっかりしろ俺。


「えっと執事さん、何とお呼びすればいいかな?」

「大変失礼いたしましたローデリック公爵、私のことはヴィルとお呼びください」

「ありがとう。さて、ヴィル、君はこの家をどう思っている?」


突然の質問にヴィルはほんの少し眉間をしかめ、答えが出ないまま見つめあう形になってしまった。


「ああすまない、変な意味ではないんだ、きっとわたしのことはサフィロ夫人から聞いているだろう、あと一カ月あまりでこちらとは親族関係となる」

「はい、伺っております」


ヴィルはそう言って頭を深々とさげた。

俺は、ヴィルが顔を上げるのを待ってから話をつづけた。


「ここから二時間程度離れたスネイブ、あそこは私の領地だ。この地域と同じで果実を主に作っている、そうだ今年の蜜林檎は食べたかい? とても良い出来だよ」

「残念ながらまだ食しておりません」

「そうか、じゃあ明日届けさせよう、夫人とヴィルとでわけてくれ。滋養にもいいから……と、同じ果樹園を作っていたので説明なんて失礼な話だな、すまない」

「ありがとうございます」


今度はヴィルがうつむいてしまった。

夫人もヴィルもよい人柄なんだろう、こちらまで辛くなってきた、しかし聞かなければ。


「ヴィル、君はこの屋敷に来て長いのかい?」

「はい、子爵が18歳の時に、私も18歳でここに参りました。もう30年以上も前の話になります」

「子爵と同じ年齢なのか、素晴らしい。わたしにも同じ年齢の執事がいるんだ、学校も一緒でこのまま彼と一緒に30年以上も過ごせたらと考えると……ああきっと幸せだよ」

「……はい」


ヴィルは一向に顔を上げない。

俺は椅子から立ち上がり、ヴィルに近づき手を取った。


「ヴィル、初めて来たうえに失礼を承知で言わせてもらうが、この家にはおかしなことが多いように感じる。仕えている君ならわかっているはずだ。小さいころから子爵と一緒に過ごし、夫人との婚姻、そして子供が生まれ、もっと華やかだっただろう。今子爵が病に臥せっていることとフォルティス家は何か関係があるのか?」


ヴィルは目を合わさないまま唇を震わせている、掴んだ手にも全く力が入っていない。

いまにもすり抜けそうな手を握りなおし、話をつづけた。


「わたしは親戚になるからというだけでなく、サフィロ家の力になりたいと思っている。この広大な土地をこのまま放っておくなんておかしいじゃないか。子爵が病に臥せっているという話だが、明らかに夫人も体調が悪そうだ、このままじゃ絶対によくない」


ヴィルは黙ったままだ、しかし、握っている手にグッと力が入るのが分かった。

立場上何もできないのは彼もつらいだろう。

ミレイアの母親のことを訊ねるのが目的であったが、サフィロ家を立て直したいという気持ちはもう固まっていた。


「ヴィル、君は信用できる男だと思うので聞いてほしい、わたしの婚約者がトラブルに巻き込まれそうになっているんだ。実はここに来たのは結婚の報告はもちろんのこと、わたしの婚約者の妹、つまりサフィロ子爵の孫にあたる娘とその母親について、少しだけ聞きたいことがあ……」

「サフィロ子爵と夫人の間には、子供はおりません」


囁くように微かな声でヴィルが言った。


「え? 今何と?」

「子爵と夫人の間には子供はおりません……」


今度は聞き取れるようにハッキリと、え、子供がいないだと?

突然の返答に驚き、動けないままでいるとソファからサフィロ夫人が起き上がるのが見えた。


「ローデリック公爵、信じていただけるかどうかわかりませんが、私がお話ししますわ」



◆ レイナード帰宅、そして最後の夢




とんでもないことになった。


帰宅の馬車に揺られながら、夫人から聞いた話を反芻する。

あまりの内容だったので、紙に概要を書き出してもらい、夫人にサインをもらった。

そして、念書という形式にはしたが、絶対に悪いようにはしないと約束を交わした。


病に臥せっているというサフィロ子爵は、悲しいことにアルコール依存症になっていた。

公にできないため、執事ヴィルの名前を使って隣国の療養施設に入院。

屋敷が殺風景だったのも、治療費の為に調度品を売り払っているせいだ。


フォルティス侯爵は16年前、リリアナの母である夫人の喪が明けた後、一年ぶりに領地を訪れ、例年と同じく宿泊した翌朝、突然激昂して帰ってしまったらしい。

その時にミレイアの母親となるジュリアもなぜか連れ帰ったと。


その後16年間一度も来訪しておらず、領地の経営も好きなようにやれ、収入もいらないと完全に放置。

何度手紙を書いても、夫婦で屋敷を訪れても一度も面会してくれないそうだ……

極端すぎるだろ、一体ジュリアから何を聞いたのか……。

この件は絶対にこのまま放っておいていい話ではない。


フォルティス侯爵に直接聞くのか? この先義父になる人だ、話くらいはできるだろうが……それにはサフィロ夫人から聞いた、ミレイアの母ジュリアの事を話さなければいけない。

しかしその前にミレイアだ、あの女が何か企んでいるかもしれないからそれを解決しなければならない。


「あーーーーもう!」


頭がどうにかなりそうだ。

ミレイアといい母親のジュリアといい、なんでこんなに厄介なのだ。

馬車の中で足をバタつかせながら、ふと気づく。


ちょっと待てよ、サフィロ子爵に子供はいない、ジュリアは子爵夫妻の娘ではないと言っていた。

その話が真実ならば、ミレイアは……。


「おい嘘だろ」


あまりのことにクラっと眩暈がした、手にもひどく汗をかいている。

よく考えろレイナード、とんでもないことだぞ、本当にその考えでいいのか?

いや、これは間違いないだろ、だが確証がない。

それに、これを調べてどうする? 夢で見る過去をやり直すことが先だろう。

うううう、考えが堂々巡りで頭が爆発しそうだ。


馬車から窓の外の風景を見る、もうこの辺りか、あと2時間程度で屋敷に着くはずだ。

考えすぎたせいか額が熱く、のども渇いてきた。

そうだ、蜜林檎があったな、あれを食べよう。

さて、クロードにはどこまで話すべきか、いや、これは一人で……。


ガタンッ


その時、馬車が小石を踏んだのか、車体が少し揺れ、持っていた蜜林檎が手から離れた。

おっと危ない、なんだひどく揺れるな……ん、これは眩暈か? いや眠気だ、危ない。

身体を起こして座りなおそうとするが、意思とは逆に吸い込まれるように座席に倒れこんでしまった。


その途端、睡魔に飲み込まれた。


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