第062話

「塩が足りん」

「……何で僕に言うんですか?」


 場所はギルドの一室だ。

 『些末な事は自分たち奴隷の仕事である』と皆が言うので、昨日と同じようにルカに財布を預け、買い物その他を皆に任せてきたんだけど、そのせいで時間を持て余した俺とウーちゃんは、何となくギルドの依頼掲示板を覗きに来ていた。そこをイメルダさんに見つかり、別室へ連れて来られた後の第一声がそれだった。


「センナ村の作業場が今は使えん。在庫はあるが、保ってせいぜい十日分だ。ボーダーセッツから送って貰えるよう要請したが、せいぜいこの街で使う三日分程度しか調達できんそうだ。これも戦争のせいだな。センナ村再建の目処もまだ立っておらんし、早晩塩不足になる事は明白だ」

「……だから、なんで僕に言うんですか? 僕はまだ調達ひとつ星ですよ?」


 こめかみを押さえながら再度尋ねる。

 俺は一介の冒険者、しかも調達はようやくひとつ星になったところだ。この数日、大森林で狩った魔物の素材を卸してたおかげでランクが上がったのだ。

 とはいえ、未だにひとつ星。塩のような国家戦略物資の調達が出来るランクではない。


 現代日本であれば簡単に手に入る塩も、ひと昔前までは国家の専売物資だった。

 それもそれほど古い時代の話ではない。民間に門戸が開かれたのは、確か平成になってしばらく経った頃だったはず。当時、盛んに『○○の塩』というコマーシャルが流れていたのを記憶している。

 現代日本ですらそうなのだ。この封建制国家であれば、その重要性は言うまでもない。まごうことなき戦略物資だ。本来、一介の冒険者風情がどうこうできる話ではない。迂闊に手を出せば、比喩ではなく首が飛ぶ。


 あ、それでセンナ村が襲われたのか。確かに、塩の生産地を潰されると国にとっては大きな痛手だ。あの盗賊共、そんなところまで考えてたのか。行き当たりばったりじゃなかったんだな。


「最早藁にも縋る思いという奴だ。我々ではこれ以上どうにもならなくてな。旋風の秘蔵っ子ならばあるいは、という微かな希望だったのだが、やはり難しいか」


 また出たよ、『旋風』! もう一種の信仰だな、これは。

 とはいえ、その旋風ことダンテス村の村長、ダンテス=ワイズマンには並々ならぬ恩がある。その村長の名を汚す……とまでは言われないだろうけど、評価を下げるような真似はしたくない。ため息交じりに返答する。もう仕方がない。


「『入手方法と経路を詮索しない』、『調達した事で僕や周囲の人たちが不利益を被らない事を保証する』という条件でなら、どうにか出来ない事も無いです」

「っ! それは本当か!? ひと樽やふた樽ではないぞ、今後を考えれば百……いや、千樽は必要なんだぞ!?」

「なんとかなると思います。条件さえ呑んでいただけるなら」


 この条件は必須だ。何しろ国に喧嘩を売るような行為だからな。

 『国家権力の一部であるギルドから依頼を受けたせいで、国から追われる身になりました』とか、洒落にならない。


「分かった、契約書にも明記する。特別指名依頼という事で、報酬とポイントも割り増しにさせて貰う」

「依頼者は『ドルトン冒険者ギルド』でお願いしますよ」

「っ!……そうか、そうだな。分かった、副支配人権限でその契約書を作成しよう」


 依頼者が副支配人のイメルダさんだと、最悪イメルダさんを首切り(物理的に)して、俺にちょっかいを掛けて来る奴が居ないとも限らない。国とか領主とか。

 しかし、このドルトンの実質的統治機構であり、かつ国営企業である冒険者ギルドが依頼者であるならば、それはすなわち国と領主が依頼者であるという事だ。もし契約を反故にしようとすれば、法と商売の神の神罰が国王と領主に降りかかる事になる。安全の担保としては十分だ。


 その後、報酬や納入期限を細かく詰めた。

 先ずは二百樽を十日後までに納入、以降は十日毎に百樽ずつ納入し、合計で千樽を納入すれば依頼完了だ。納入は前倒しにしても構わない。

 一度に納入しないのは、樽が用意出来ないからだ。センナ村やドルトン中の空樽を掻き集めても、おそらく四百樽が今集められる限界だと言われた。物理的な限界はどうしようもない。

 報酬はひと樽につき銀貨五枚。合計で銀貨五千枚だから、大金貨五枚という事になる。

 村ではひと樽大銀貨一枚だった事を考えるとかなり高い気もするけど、今回は割り増し報酬という事だからだろう。ポイントも同様に割り増し加算されるとのことだった。


 七歳になってからかなり見慣れた魔法の契約書作成も終わり、俺は早速行動することにした。

 樽の方は三日後までにギルドで用意するとの事だったけど、それまで時間を無為に過ごすのはもったいないと思ったからだ。現代人の悪い習慣かもしれないな。



 ウーちゃんを連れて大森林へ向かう。ここしばらくの日課のようなものだ。しかし、今日は魔物を狩るわけではない。いや、ウーちゃんの餌用にでっかい蛇を一匹狩ったけれども。六メートル程の長さがあるその大蛇は、革と魔石以外はウーちゃんの餌だ。肉だけでも結構な量になるので、明日は狩りに来なくても大丈夫だろう。


 しばらく大森林を南に進み、途中から西へ向かって海岸に出る。

 大森林以南の海岸線は全て切り立った崖と岩礁地帯になっており、船を寄せる事が出来ない。偶に沖合を大型帆船が走って行くけど、本当に極稀で、それらも座礁の危険がある海岸線には決して近づいて来ない。つまり、人目につかない場所という事だ。


 スカイウォークで海岸を降りて、海面から突き出た岩礁のひとつの上に立つ。

 ウーちゃんも平面を伝って一緒に降りて来る。既に何度か歩かせた事があるので、怖がったり暴れたりしない。慣れたものだ。

 この岩礁、実は突き出た岩のひとつひとつが巨大な一個の岩だったりする。暇な時にカメラを海に泳がせて確認したから間違いない。その大きさはさまざまだけど、大体直径二十メートル程のものが多いようだ。今日はそのうちのひとつ、ちょっと大き目の直径三十メートル程のモノひとつを拝借する。


 岩を平面に乗せて海上に持ち上げる。所々に海藻や珊瑚、貝等が張り付いているのを、岩ごとカットして海に戻しておく。

 次に岩を直方体にカットしていく。

 いつもの極薄平面でサクサク切って行くと大体十五メートル×十五メートル×二十メートル程の直方体になった。ヒビや穴は入っていない。いい感じだ。

 花崗岩っぽいけど、岩の種類は良く分からないので気にしない。

 その上辺を薄く五センチくらいでスライスする。これは蓋だ。この大きさでは使い辛いだろうから、取り敢えず半分に分割しておく。

 残りを削って箱にしていく。強度を考えて口の厚みは五センチくらいにし、底に向かうに従って丸く湾曲させていく。

 湾曲させた極薄平面を移動させていくだけなので、粉塵も騒音も全く出ない。人にも環境にも優しい石材加工だ。冒険者やめたら石工になろうかな?

 海水で綺麗に洗ったら、海中に一回沈める。そのまま海中を移動させ、館の庭の崖下へまで持って行く。

 付近に人が居ない事を気配察知で確認し、素早く庭へ運び込む。この位置に館があって良かった。設置場所は庭の南西端でいいか。平面でプロペラを作成し、風を当てて乾燥させたら出来上がりだ。


 これは、これから大量に作る・・塩の一時貯蔵庫になるものだ。とりあえず塩蔵しおぐらとでもしておこう。塩を何度も作るのは面倒そうなので、一回で作成を済ませるため、その貯蔵設備が欲しかったのだ。

 大工や石工に加工を頼んでも良かったんだけど、今回はスケジュールがタイトだったため、自前で用意することにした。何しろ十日しかない。このサイズの入れ物を普通に作ろうと思ったら、十日では無理じゃなかろうか。


 塩蔵を運び込んだルートを逆走し、また岩礁へと戻る。いよいよ塩作りだ。

 先程より更に南へ移動する。根拠があるわけではないけど、人里から少しでも離れた方がきれいな塩が作れる気がしたからだ。


 続いて塩作りの為の設備を平面で作成する。今回作成するのは真空乾燥機。かなり大がかりな施設だ。

 真空乾燥機を大雑把に説明すると、水溶液を真空中に噴霧する事で水とそれ以外に分離させる装置だ。大学の実験室に置いてあった。『ドリップしたコーヒーからインスタントコーヒーを作る実験』なんかをやった記憶がある。

 俺はプログラム系の学科だったんだけど、単位が取りやすいと噂だった有機化学を選択科目で混ぜていたのだ。

 実験が面白くて単位も取れたので、今でもいい選択だったと思っている。今も役に立ってるし、サイエンスに無駄はないな。


 真空乾燥機を大きくブロック分けすると、『真空ポンプ』『噴霧タンク』『溶液タンク』『分離槽』の四つになる。真空ポンプで噴霧タンクの空気を抜き、溶液タンクから溶液を噴霧する。分離した重い粒子は噴霧タンクの底から分離槽へと落ちていき、抜けた水分は水蒸気として真空ポンプから排出されるという構造だ。



 試作した設備は高さ三十メートル、幅と奥行きが十メートルほどの大きさになってしまった。特に噴霧タンクと分離槽が大きい。中は空だけど、作る量が多いのでこのサイズになってしまった。

 流石にこのサイズだと、沖を通る船から見えてしまうかもしれない。巨大な平面に崖のテクスチャを張り付けてカモフラージュだ。


 溶液タンクは作成せず、井戸の掃除で使った鶴首を流用して海から直接吸い上げる事にした。鶴首にはフィルタを付けてあるので、ゴミや小魚が入り込む心配は無い。

 真空ポンプの作成が一番苦労した。ピストンの上下とバルブの動きを連動させるのに手間取った。機械系じゃなかったからな。何度も試運転して漸くまともに機能した時は、思わずガッツポーズが出てしまった。


 完成した装置を始動すると、分離槽にハラハラと細かい塩の結晶が降り積もっていく。どうやら成功のようだ。

 このまま塩製造を続けて行こうと思ったら、その分離槽がピシピシと凍りだし、霜が張り付き始めた。これは何事!?


 ……ああっ、あれか、ボイルシャルル!

 急激に膨張して体積が増えた塩水は温度が下がる。その失った熱量を周囲から奪うから、冷えた塩が溜まる分離槽が凍ったんだな? 冷蔵庫に続いて真空乾燥機でも顔を出すとは、ボイルシャルル恐るべし。


 このまま冷え続けると作成効率が落ちるかもしれない。幸い今日は快晴で、時刻は昼下がり。ここは御天道様の力を借りてなんとかしよう。

 一メートル四方の平面を多数作成し、表面材質を鏡面に設定する。それを噴霧タンクと分離槽の周りに円形に並べ、太陽の光を反射させる。光の集まった分離槽の霜が、徐々に溶けていく。どうやら成功のようだ。やれやれ。


 どうも俺が作る現代機械の模倣品は、どこかに欠点というか、微妙な不具合が出るな。致命的じゃないけど、運用には工夫が必要という感じ。やっぱ現代の技術ってすごいんだな。


 連続運用にも目処が立ったので、退屈そうにしているウーちゃんを連れて海上散歩と洒落込もう。

 ウーちゃんにも見えるように、不透明でちょっと大き目の平面を、海上に適当にばら撒いて固定する。大体一メートル間隔くらいか。飛び石みたいなもんだな。

 俺がその上を適当に走り出すと、ウーちゃんも釣られて走り出す。最初は恐る恐るだったウーちゃんも、次第に慣れて元気に走り出す。

 平面の表面が滑らかなので、何度か滑って海に落ちたのはご愛敬だ。元々水には抵抗が少ないウーちゃんだから、落ちた事も楽しい遊びになったようだ。


 ウーちゃんと水上追いかけっこをしばらく堪能した後、持ってきていた水筒から水を出して休憩する。ウーちゃんにも平面で作った器にたっぷりと注いであげる。海水を少し飲んで喉が渇いていたらしく、結構な勢いで飲み始める。俺も水筒から直接水を飲む。


 もう秋も終盤だけど、元々温暖な気候のこの辺りでは、今が一年で一番過ごしやすい季節だ。明け方は半袖だと少し肌寒いかな? ってくらい。今は海上を渡る風が心地良い。


 しばらく寛いでいると、気配察知に大型の魔物の気配が引っかかった。ウーちゃんも気付いたみたいで、しきりに耳を動かして警戒している。

 魔物の気配はどんどん近づいて来る。方向はほぼ真下、海中からだ。もう海中にいる魔物が黒く視認できる。

 デカい! おそらく十メートルを超えている! こいつは以前カメラで確認したサメの魔物だ!

 おそらく水面でバシャバシャやっていた俺たちを獲物と認識したのだろう。まるでロケットのようなスピードで俺たちの乗っている平面に向かってくる! そして……


どべちぃぃっっ!!


 ……鼻面を盛大に平面へぶつけていた。

 俺は平面を海上に固定していた。安全性を考慮して、かなり硬く作った平面をだ。

 サメの魔物はそれを突破できなかった。完璧に自爆だな。平面は小動こゆるぎもしなかった。

 サメの魔物はゆっくりと海中に沈み始めた。どうやら気絶したようだ。

 そういえば、サメにとって鼻面は弱点のひとつだって聞いたような気がするな。まぁ、サメに限らず、大体の脊椎動物は鼻面が弱点なのだけれども。


 このまま放っておいてもいいんだけど、この近辺の安全性を考えると退治しておいた方がいいだろう。俺はサメの魔物を素早く平面で囲み、動きを封じる。

 岸壁の上までサメの魔物を運び、平面を解除する。平面が解除された途端、一緒に運ばれた海水が地面に染み込んでいく。まだサメは目を覚ましていない。

 いつもなら首を切り落とすか脳天や心臓をひと突きなんだけど、サメの脳や心臓、首の位置が良く分からない。仕方ないので、頭を胸鰭のあたりで切り落とす事にした。魚をおろすときの要領だな。

 サメの魔物は一度ビクンと跳ね、そして動かなくなった。


 さて……これどうしよう? 食えるかな?

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