第12話

 婚約式のためのドレスは思っていたよりずっと早く出来た。ドレスの型は一つもまともなドレスがないことで、新しいドレス用に作ってもらっていた。そのおかげでサイズを測りなおすことなく早く作ることができたのだろう。

今、わたしのクローゼットには新しいドレスが三着かかっている。わたしだけのドレス。お下がりではないドレスは何年ぶりだろう。

うっとりと眺めていたけど、ハッと我に返る。婚約は嫌だと言いながらドレスだけいただくわけにはいかない。はっきりと断ろうと思っているのに三千院伯爵とは連絡がつかない。両親や兄が邪魔をしているのかと疑っていたけど、本当に忙しくて来ることができないらしい。

でもいくら忙しくても婚約間近の婚約者に一度も会いにこないなんてあり得ないのではないか。やっぱり本心では三千院伯爵も嫌なのではないか。どうしてわたしなんかと婚約することにしたのかわからないけど、ここはわたしの方から彼を解放してあげよう。きっと困っているに違いない。

何度も手紙を出したけど、わたしが三千院伯爵と会えたのは婚約式の二日前だった。それも家族や親戚を招待した晩餐会で、とても二人っきりで話ができる状況ではない。

それでもなんとか話をしようと三千院伯爵ばかりを目で追っていたせいか、みんなにクスクスと笑われてしまった。


「そんなに熱い視線で見つめていると理玖さんは溶けてしまうわ」


熱い視線? 誰が? みんなの視線がわたしを向いていることからわたしのことのようだ。そんなつもりは全くなかったのに変な誤解をされてしまった。顔に血がのぼるのがわかる。みんな好意的な視線だけどわたしの家族だけは違う。父様の笑顔は引きつっているし、母様は不機嫌な顔を隠そうともしていない。兄様は冷めた目で見ている。


「申し訳ないが少し風にあたった方が良さそうだ」


三千院伯爵に言われるまま席を外し、庭へと案内される。

あのままあの席でからかわれていたら何を口走っていたかわからないので三千院伯爵を感謝の眼差しで見る。


「伯爵様、ありがとうございます」


「理玖だ」


「え?」


「婚約するというのに伯爵はないだろう。理玖と呼ぶように」


「いえ、その婚約のことですが、わたしには愛莉の代わりは無理です。どうかこの話なしにしてくださいませ」


「やはり祖父江伯爵か? 私ではなく祖父江伯爵を選ぶのか?」


「ち、違います」


「何が違う? 婚約したくなければもっと早く言えばよかろう。婚約式の2日前とは勘繰りたくもなる。祖父江伯爵が何か言ってきたのではないか? 恋の駆け引きのために私を利用したのか?」


「あの、伯爵様がどうして祖父江伯爵とのことをいつまでもこだわるのかわかりませんが、祖父江伯爵のことはなんとも思っていません」


「理玖だ。理玖と呼べと言っただろ」


「えっ? で、でも…」


「理玖だ。祖父江伯爵と同じ呼び方は気にくわない」


同じ伯爵同士なんだから仕方ないのに、子供のような事を言う三千院伯爵に呆れてしまう。でもいきなり呼び捨てにできるわけがない。


「り、理玖さま?」


「ま、まあ、いいだろう」


わたしが理玖さまと呼ぶと、理玖様はフッと微笑んだ。いつもちょっと怒ったような顔をしているので微笑んだ顔は心臓にグッっとくるものがある。外の風にあたった事でおさまっていたのにまた顔が赤くなる。


「どうした? 熱でもあるのか?」


そっと包み込むように頬を両手で包まれて、さらに血がのぼる。


「なんでもありません。少し緊張しているだけです」


理玖様の手をさりげなく払うと赤くなった顔を俯かせる。彼と目を合わせるのは危険だ。


「緊張か。婚約すると言うのに私といて緊張するのは困る」


「ですから婚約をなしにしましょうと言ってるのです。どうしてわたしなのですか? わたしは愛莉とは似てないですし、理玖様にとって子爵家は価値がない存在です。もっと素晴らしい縁談があるのにわたしを選ぶなんて変だと皆が噂します」


一気に話したせいか息が切れそうだ。これでこの婚約話も終わりを告げる。理玖様の欲しがっていたきっかけを与えたからホッとされるはず。


「価値観というものは誰もが一緒ではない。私にとっての価値が何か、君にはわからないだけだ。愛莉と君が違う人間だということはわかっている。君に愛莉の代わりを望んだことは一度もないから心配するな。私からこの婚約を白紙に戻すつもりはない。もしどうしてもと言うのなら父親を説得するのは君の役目だ」


理玖様の言葉は棘のようだった。やっぱりわたしでは愛莉の代わりにはならないのだ。わかっていたけど、はっきりと言われると傷ついてしまう。

理玖様にとってのわたしの価値って何? 愛莉の姉という立場だろうか?

家出する以外にこの結婚から逃れることはできそうにない。成人するまでは自分勝手なことはできない。家出をしても住むところが見つからない。孤児の子供だって成人するまでは院長先生に保証人になってもらえるから部屋を借りれるのだ。親に逆らうことはできない。家出をしても連れ戻されてしまう。


『このまま結婚すればいいじゃない』


心の中でそんな風に思っている自分がいる。確かにこのまま結婚すれば何もかも丸く収まる。愛莉のようには愛してもらえなくても、理玖様は優しいところもあるから大事にしてくれるだろう。

嫌味を言われることはあったけど、悪気はないようだった。ただわたしの服装や態度に義兄になるものとしてイライラしていただけで、わたしを心底嫌ってるわけではなかった。だから彼の手を掴めばいい。そうすれば父様や兄様に認めてもらえるようになる。そう思うのに何故か愛莉の顔がチラついて素直になれなかった。

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