第9話 2歳――城より大きな花

 暗い冥府の世界の空には日が昇らず……いつも月が居座っている。その状態のまま時間だけが昼夜を繰り返して……1日、1日、と日付が変わっていく。


 景色だけでは時間を求める指標が少ない中、朝だけははっきりとそれがあった。


 ニワトリが鳴くのだ。いつも決まった時間に、同じ木の上に登って。冥府だけに生息するらしい、漆黒の体に虹色のトサカを持つニワトリにはそういう習性があった。


 奇妙な声をしたそのニワトリが朝を告げて……また、その24時間後に朝を告げて……幾多もの回数を積み重ねて……月だけの冥府の世界の時は流れていく……。


 

 そして……。

 


 俺が生まれてから、1年の歳月が流れた――。


 時間が流れるのは早かった。早く感じた。自分が才能を持っていて、さらに中界に行けることが分かってからは、この世界にある全てのものが俺の関心を引いたからであろう。


 ふとした瞬間に、周囲を見渡すだけで頬が緩んでしまった。トイレに入る時だって、お風呂に入るときだって、何も持って入らなくても退屈しない。右や左にある道具や浴槽が、前の世界には無かった木や石でできているのを見ているだけで十分だった。


 ――俺の生活スタイル自体はあまり変化することが無かった。生まれた時からずっと同じ城の一室に住んで、両親と侍女達に愛されながら日々を過ごしている。


 さすがにずっと注意して見守られるということは無くなったけど、何不自由なくといったところだ。


 そこで本を読んだりして勉強しつつ、強くなるためのトレーニングの時間も始まっていた。


 毎日少なくとも6時間以上は、魔法と剣術を上達させるためのトレーニングを行った。教えるのはこれまた侍女の誰かが大体を務めている。


 けれど、これに関しては割と日によってばらつきがあって、父や母が教えてくれる日もあれば、城の騎士団の誰かが担当してくれることもあった。


 暇ができれば、誰か手の空いている者に稽古をつけてもらった。皆、頼めば快く付き合ってくれた。


 俺は子供という立場が持つ権利を存分に利用して、積極的に頼みに行った。人生2度目の俺はどんな子供が大人に好かれるか知っていた。


 弟や身近な親戚に小さな子はいなかったけれど、こちとら毎日子供のお菓子もレジ打ちしていたのだ。

 

 礼儀と品を兼ね備えた子供ほどかわいいことは知っていた――。


 そうやって教えてもらった魔法や剣術はというと、これがまあ~難しかった。物を浮かせるだとか、簡単な魔法であればすぐにできるようになるかもしれないなんて思っていたが、とんでもない間違いであった。


 この世界における魔法は呪文を唱えれば誰でも使えるような代物ではなかった。杖を振るだけでもダメ、魔法陣みたいなものを書くだけでもダメ、魔物を倒してレベルアップだなんてもってのほかだ。


 ひたすらに魔力という扱いづらいエネルギーと向き合うこと、これがこの世界における魔法だった。


 前の体には無かったけれど、今は確かに体内に感じるエネルギー、それを操作し、あらゆる形に変換するのが魔法であり、魔術である。そこに詠唱や道具の必要性は無い、それらはあくまで効果を高めるためのものであり、発動のサポートすらしてくれない。


 どのくらい難しいかと言うと、俺が1年トレーニングしてできるようになった魔法は虫1匹をギリギリ殺せるくらいの攻撃魔法1つだけである。


 手からマッチ棒くらいの火の玉を出せるようになっただけ。しかも、1歳でそれができるようになるのは天才的だと言うのである。


 正直なところ想像以上だ。想像以上に難しい。


「1つ魔法が使えるようになれば、そこからはどんどん他の魔法もできるようになりますよ」


 侍女の1人は言っていた。しかし、今のところ疑わしい言葉だ……。



 さらに、2年、3年と時は過ぎていった――。


 このくらいの年になって俺はようやく冥府の国の全貌を知った。初めて城の城壁の外側がどうなっているのかを詳しく知って、その景色を見たのである。


「この城の外側はどうなっているの?」


 特に何でもない日の午後に俺は母に言った。今までそれを言わなかったのは他にもっと優先して知りたいことが山ほどあったからという理由と、本で読んだ知識で満足していたからだ。


 冥府の国には何年の歴史があって、面積は約1900平方キロメートル、東京ドーム換算というよく分からない単位にすると約4000個、小さめの都道府県くらいの広さ、そしてその半分以上は森林と農牧地である。人口は約55000人で、その気になればちょうど東京ドーム1つに収まるほど……広さの割には少ない。


 そんな基礎的な情報と書かれていた絵で分かった気でいた。城内だけで生活には何1つ困らない資源と広さがあるし、その内見れればいいと思っていた。


 けれど、実際見てみると想像と本物は全く違っていた――。


 母は俺をベランダに連れ出すと、俺を抱えて飛んだ。文字通り空を飛んだ。魔法の力で空を飛んで、美しい景色を俺に見せてくれた。


 城の上空から見下ろした冥府の国の城下町、その中央には大きな木があった。いや、あれは実は花なのである。本で読んで知っていた。城よりも大きな、とてもとても大きな花、しかし実際に見てみると確かに木にしか見えない。


 葉のように幾千もの白い花弁を付けた花からは、自室の窓からもよく見えた淡く光る玉が降り注いでいた。その玉は地に着く前に独りでに動き出して、どこかへふらりと飛んで行く。


 下にある街並みはヨーロッパを思わせるものである。木や石でできた建物達は、冥府という単語のイメージとは違ってちゃんとした家の形と色をしていた。無機質だったり暗い色だったりしない。普通の屋根があってガラスの窓がある。


 ただ少し形がヘンテコだったりするものがあるだけ。1階より2階のほうがサイズが大きかったり、やたら細長く塔のようになっているものがあった。


 それがまた幻想的な風景を作る要因の1つとなっていた。


 何より冥府の景色を幻想的たらしめるのが町の外側を囲むように配置されている、いくつもの球体である。配置の間隔も高さもバラバラなその球体はガスタンクくらいの大きさをしている。球体からは町に向けて光が照らされていた。


 先代の国王が作ったらしい魔法道具だ。冥府の国にとって昼の間、太陽の代わりになるものであった。


「あそこがお花屋さん、その隣が魔法屋さんで、あっちにあるのがこの国で1番おいしいレストラン――」


 母はゆっくり飛びながら町の様子を俺に見せてくれた。飛ぶのは怖かったけど、スリルも感動に力添えしていた。


 見た瞬間に言葉を失なったほどだったけれど、動くともっと俺の心を躍らせた。一生忘れない思い出になるであろう。


「そして、これがこの国を守る結界よ。シェード」


 ある時さらに高く飛んだ母は、城すら小さく見える高さで止まり、上を見るように促した。


 上空何百メートルか、その距離まで近づいてやっと見えたのが、空に浮かぶ薄いガラスのような壁であった。


 氷のようにも見える……よーく目をこらすと氷紋のようなものがある。その近くだけ空気が変わっていることもすぐに分かった。


 天高くから遠くを見れば、国の外の砂漠にいつもいる巨大な鬼がいた。そういった魔物から冥府の国を守っているのがたった1枚の結界なのである。


「前にも話してあげたよね。お母さんがこの結界に魔力を流しているのよ――」

 

 母の言うとおり、母から結界の存在だけは以前から聞いたことがあった。あんなにたくさんいる強大な魔物達に何故国が襲われないのかという疑問はその時に解消されていた。


 冥界の魔物達よりも強い結界が国全体を覆っているからだ。化け物じみた魔物達に攻撃されても壊れないほど強固な結界。


 驚くべきことに結界は母が張っているものであった。


「この結界の外にだけは絶対に行っちゃダメよ。この結界の内側ならいつどこで何があっても、私が守ってあげられるけど、外ではそうはいかないからね」


 何度も言われていることだった。城の中を自由に動き回るようになってからは事あるごとに言われた。城壁の外に出たことも無かったのに、母は随分用心深かった。


 1人で広範囲に結界を張るとなると、たぶん相当な魔法の力と技術が必要だ。しかもそれを国全体に常時となると、どれだけ凄いことなのか……。


 初級の魔法を覚えていっている段階の俺にはとにかく果てしない凄さだということしか分からない。母は強さで言えば外の化け物以上に化け物だった――。


 初めて冥府の景色を知った日は、同時に母の強さも深く実感した日であった――。

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