第26話 それは多分、無理ですよ

「それで?最近はユキくんとはどうなの?」


 少し窮屈に感じる湯船に浸かり、互いに顔を合わせて優香が問いかけた。

 それが、頼んだピザが届くより前に確認しておきたいことであったのだ。

 雪音が、幸仁に対して自分が幽霊であると偽っているということだけではなく、彼に対して好意を抱いているということを知ってしまった以上は、どうしても放っておくわけにはいかなかった。複雑で歪な関係であることを理解しているからこそ、例えお節介だとしても何かしてやりたいと感じていたのだ。

 優香の質問の意図を勘付きつつも、雪音は誤魔化す。


「どう…っていうのは、例えばどういうことですか…?」


 白い頬をほんのりと赤く染めて質問を返した。


「んもぉ、雪音ちゃん自身が一番分かってるでしょ?こう…簡単に言えば、恋人になれそうかって話だよ」

「恋人…恋人、ですか。それは多分、無理ですよ…。というか、これからどうしたら良いのかも全然分からなくて…。私、彼のお母さんにも嘘をついちゃったんです…」


 ほんのり赤みがかっていた表情に影が差す。

 その表情から事の重大さを察した優香の表情も、真剣なものに変わった。


「ユキくんのお母さんにも、雪音ちゃんが幽霊って話をしたの?」

「いえ…幸仁くんのお母さんには、恋人どうしだっていう嘘を…」

「……そっか。けど、それだったらむしろ都合が良いんじゃない?いつかユキくんと付き合えたら、それが嘘じゃなくなるわけなんだし!」


 名案を思い付いた、と満足する優香だったが、雪音の表情は未だに暗いままだった。

 小さな肩を震えさせながら、彼女は言葉を振り絞る。


「私…好きな人の家族には嘘をつきたくないんです…。それが原因で嫌われるとしても、嘘をついたままで関係を持つよりかは良いです…っ」


 そうやって強がってみせるが、嫌われた方が楽だというわけではない。どちらを選ぶにせよ、彼女にとっては苦痛であることに変わりはなかった。

 その言葉を聞き、優香は自分の浅はかさに気付く。

(そうだ…、雪音ちゃんはそんなふざけた子じゃなかった。ユキくんのことが本当に好きだからこそ、真剣に向き合おうとしてるんだった。それなのに私は…)

 温かい湯船の中で拳を握る。


「ごめんね、雪音ちゃん。変な事言っちゃったね。…雪音ちゃんはさ、本当はどうしたいの?」

「私は…私は…っ、幸仁くんとこれからも一緒に居たいです…。嘘も隠し事も無い対等な関係で、彼の隣に立ちたいんです…!でも…っ、本当のことを言ったら、今の関係が壊れちゃうんじゃないかって怖いんです…!」


 俯いたままで、雪音は自分の思いを全て吐き出した。その本気の言葉が優香の胸の奥まで届き、気が付けば彼女は口を開いていた。


「……今の関係が壊れちゃうのが怖いってさ、皆んな言うんだよ。もし私が告白してフられたら、もう今のままの関係では居られないから、って。そう言ってさ、自分の感情を抑えつける日々に満足してる振りをするんだよ。一緒に居るだけで良いならさ、自分の好きな人が他の人の恋人になっても良いのかな?って思っちゃうことがあるんだ。想いを伝えずに逃げ続けて、それでも自分だけを見ていて欲しいなんてズルいし、正直相手からしたら気持ち悪いって感じる人も居ると思う。——雪音ちゃんはさ、今のままで満足?」


 沈黙が訪れる。蛇口から垂れる水滴が水面に落ちる音と、生温かい湿気だけが二人を包み込んだ。

 長い沈黙の中、揺れる水面に映る自分の表情はとても幸福そうには見えなかった。それを自覚した雪音は、深呼吸をして心の中に溢れた感情を整理する。

 そして最後に残った答えは——


「……私は今のままで幸せです。ですが、満足はしていません。出来ることなら、二人で想い合って生きていきたいです」

「それならさ、足踏みはしてられないよね。前進あるのみ、だよっ」


そうやって親指を立てる優香の笑みは、とても真っ直ぐで純粋なものであった。

 しかし、雪音の頭にはもう一つ素朴な疑問が浮かんでいた。


「なんか優香さん…私が幸仁くんと付き合える前提で話してません…?」

「えっ……?付き合えないの⁉︎」

「いやいやいや!そんな感じの雰囲気今まで無かった…いや、あったかな…?んーっと、そんな感じですし!」

「私てっきり脈ありびんびんだと思ってたよ⁉︎それにほらっ、こんなにも良い武器があるんだしさ!」

「ひゃうん…っ!」


 優香は両手を使って大胆に雪音の胸を掴んだ。同性でも、いや、同性だからこそ羨ましくなってしまうような形と弾力を備えた二つの爆弾を揉むたびに、雪音の身体はぴくんと小さく反応を見せた。


「んんんんっ‼︎なんだぁ⁉︎何を食べたらこんな良いものに育つんだぁ⁉︎この中には何が詰まってるんだぁ⁉︎夢かぁ⁉︎希望かぁ⁉︎」

「良い加減に…してください…っ!」


 カンッという心地良い音が浴室に響く。

 どうやら近くに置いてあった桶で額を叩かれたらしく、優香の両手は今はその額を押さえる為に使われていた。


「もうっ、次やったらその頭カチ割りますからね!」

「ひゃい…ごめんなさい…」


 鬼の形相を向けてくる雪音に対し、優香は怯える小動物のような表情を見せた。

(これ…次やったら本気でられるやつだ…!)

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