第31話

 とうとう研究発表の日がやってきた。

 エルが発表するのは2日目の午前中だったが、用意するのは自分で書いた論文と実践用の水晶玉だけなので準備は簡単だ。他の実技を伴う研究をしている研究者などは、実験場に出て最終チェックなどに余念がなく、廊下をバタバタと走る音が聞こえたりしていたが、エルは気楽なものだった。

 そうして迎えた発表の日。

 幸いよく晴れた初冬の肌寒い日に実験場に出るのは少しつらい。それでも居並ぶ研究者たちや人事部の職員たちが見守る中、エルは発表を始めた。

「えーっと、研究部のエル・ギルフォードです。よろしくお願いします」

 まばらな拍手に迎えられてエルは一度深呼吸をする。

「私の研究テーマは治癒魔術の応用についてです。治癒魔術に風のマナを組み合わせて、範囲魔術として同時に多くのケガ人や病院を治療するとともに、いかにこれを効率よく、魔力消費が少なくてすむかについて研究していました」

 そう言うと一部の研究者がざわつく。無反応なのも寂しいが、逆に中途半端に反応されるとテーマを間違ったかな? と不安になる。

 しかしもう研究発表の日になってしまったのだから発表するしかない。

「まず、治癒魔術ですが、これは皆さんご存知のようにすでに徹底的に効率よく、どんな魔術師でも使えるように洗練された魔術になっています。ただ、これに風のマナを組み合わせると途端に構文が長大になっていきます。基本に沿って魔術をやりますので、水晶玉を見ていてください」

 組み合わせの魔術の基本は、まず最初に元となる魔術を詠唱し、その後に組み合わせたい魔術の構文を詠唱する。

 なので、治癒魔術の「生命溢れる水のマナよ、その命の輝きをもって彼の者の傷を癒やしたまえ」の構文を詠唱した後に、範囲魔術である「自由に息づく風のマナよ、その大いなる大気の息吹をもって吹き荒れ、緑溢れる風の力によって万物に影響を及ぼす力とならん」と言う構文を追加して行われる。

 これを詠唱すると水晶玉が僅かに緑色に染まった水色に変わり、魔術が成功したことを示す。

「これが基本なので当然うまく行きます。ですが、これだけ長い構文となるとそれなりに魔力が必要となり、おそらくですが、B判定以上の魔術師でないとこの魔術は行使できないと思われます」

 最低の魔力がF判定なので、Bとなるとそれなりに強い魔力を持っていないとこの魔術は行使できない。

「ですが、構文をもっと見直し、徹底的に効率をよくすればおそらくD判定以上の魔術師でもこの魔術は行使できるようになると思っています」

 またもや一部の研究者がざわつく。

 「そんなことができるのか?」とか、「B以上をDまで落とすなど至難の業だぞ」などと言う声が聞こえてくる。

 だが、そんな声には構わずエルは説明を続ける。

「まず、構文の見直しなのですが、組み合わせの魔術の基本となる治癒魔術の詠唱の後に、風の魔術の詠唱を組み合わせるのはとても効率がよくありません。指示は最初に、明確にしたほうが実は効率がいいんです」

 今度は「本当なのか?」などと懐疑的な声が聞こえてくる。

 無理もないだろう。そもそも組み合わせの魔術がずっとこの基本の構文で組み合わされていて、シェルザールでも講義で組み合わせの魔術を習うときは常にこの基本に沿った構文を習った。

 だが、前世で天才プログラマーとして名を馳せ、無駄のないコードで知られた知識を用いれば、いかにこの指示が効率が悪いかがわかる。

「まずは最初にマナを指定するようにします。この場合は、水のマナと風のマナを最初に指示することで後の構文を効率よくできます。私が考えたのは、生命溢れる水のマナよ、自由たる風のマナよ、から始まる構文です。今から実践しますので見ていてください」

 そう言って組み直した構文で治癒魔術の範囲魔術を水晶玉にかける。すると基本の魔術と同じように、いやそれ以上の効果で水晶玉が光り、魔術が成功したことを示す。

「--と、このようになります。私の魔力判定はSなので、懐疑的な方もいらっしゃると思いますのでどなたでも結構ですので、今私が示した構文で、より少ない魔力で実際に効果が出るのか試していただいても構いません」

 そう言うとまたもや一部の研究者たちがざわつき、少しして中年の男性研究者が立ち上がった。

「わしがやってみよう」

「どうぞどうぞ」

 エルの発表は水晶玉に魔術をかけるだけなので、居並ぶ研究者や人事部の面々の前には長テーブルがひとつ置いてあるだけだ。そこへ手を上げた中年の研究者がやってきて、エルが唱えたのと同じ詠唱を水晶玉にかける。

 おそらく魔力は手加減しているのだろう。宮廷魔術師ともなればそれなりに魔力の高い者が多いから、D以上でも使えると言っても手加減しなければどれくらいの魔力できちんと効果が発揮されるのかわからない。

 しかし、中年の研究者はエルが唱えた構文でもきちんと水晶玉が反応し、魔術が成功したことを示したことに目を見開いた。

「魔力は抑えたつもりだが、きちんと動いたぞ……!」

 また一部の研究者たちがざわつき始める。「では次は私が」とか、「じゃぁその次に」とひとり、またひとりと研究者がエルがいる場所にやってきて、代わる代わるエルが組み上げた構文で魔術がちゃんと動作するか確かめている。

 一通り研究者たちがエルの構文で魔術が動作することを確認し、もう試そうとする者がいないとわかってからエルは再び説明に戻った。

「試していただいたとおりです。これで少ない魔力でも効果は出ることがわかったと思います。大事なのは指示をまず最初に明確にすることです。これだけでも効率はかなりよくなります。今回は水と風を組み合わせた魔術ですが、この指示のやり方は他の組み合わせの魔術でも同じ効果を発揮します。例えばホワイトフィールドバリアではこうです」

 今度は光と風の魔術を組み合わせたホワイトフィールドバリアの魔術を、説明したやり方の構文で組み直して行使する。すると水晶玉は淡い緑色の光に染まり、魔術が成功したことを示す。

 今までの基本の構文ではあり得ないやり方での組み合わせの魔術の成功に一部の研究者たちがざわついた。

「--このようにして構文を見直すことによって少ない魔力でも範囲魔術は行使することができるようになります。これを使えば、例えば魔物との戦闘で負傷した多くのケガ人を治療するときなどでも比較的魔力の弱い魔術師でも効率よくケガ人の治療ができるようになります。また、この指示での構文は多方面に応用が利くので組み合わせの魔術の可能性を広げることになります。組み合わせの魔術はそれなりに高い魔力を持っていないと行使できない高度な魔術でしたが、このやり方ですと魔力の弱い魔術師でも範囲魔術を行使することができるようになります」

 エルの元に来て試していた研究者たちが「おぉ!」と声を上げる。

 中には「これで革新派に独占されていた組み合わせの魔術の汎用性が高まるぞ」と鼻息荒く呟く研究者もいた。

「以上が私の研究成果です。是非この指示での構文を試して、より汎用性の高い組み合わせの魔術の一助になれば幸いです」

 そう言ってエルは一礼して発表を終えた。


 約2時間の発表の時間は余ってしまったが、他の研究者たちが時間をオーバーしたりしたおかげで、その日の研究発表は夕暮れを過ぎても終わらなかった。

 並べられた椅子に座って研究発表を聞いていたエルは、「お腹空いたなぁ」なんてことを思いながら、ようやく最後の研究発表が終わったので立ち上がって寮に戻ろうとした。

「エル・ギルフォードくんと言ったね?」

「え? あ、はい、そうですけど?」

 早く帰ってご飯にしたいのにと思いつつも仕方なく呼ばれたほうを振り向くと、エルが発表したときに魔術を試しに来ていた老齢の男性研究者が真剣な顔でエルを見ていた。

「君の発表は素晴らしかった。あんな方法で組み合わせの魔術を効率化できるとは思わなかった。是非とも君には我々古式派の研究者としてその頭脳を使ってもらいたい」

「は?」

 古式派? 何のことだ?

 単に効率を重視した研究テーマにしたのは無難なテーマだからに過ぎない。古式派がどうこう言われてもそんなことは知らない。

「あいにくと派閥には興味がないもので」

「それはもったいない! それほどの頭脳があれば魔術の汎用性はもっと高まるだろう。是非ともその頭脳を我々古式派に役立ててもらいたい」

「ですから派閥には興味がないと……」

 そんな風に後ずさったところに、ルーファスが割って入った。

「ランドルフさん、興味がないと言っているのを無理矢理引きずり込もうと言うのは感心しませんね」

「ルーファス・グランバートル……!」

 ランドルフと呼ばれた老齢の研究者は目を険しくしてルーファスを睨む。だが、ルーファスも負けてはいない。きっと派閥にしつこく誘ってくるランドルフからエルを守ろうと立ちはだかってくれたのだろう。

「おぬしのような革新派の若造に用はない! わしはそこのエル・ギルフォードに用があるのじゃ」

「ですが、エルは僕の友人でもあります。その友人が興味がないと断っているのに、しつこくするのはどうかと思いますよ」

「ルーファス……」

 やっぱりルーファスはいいヤツだ。古式派と革新派と言えば反目し合っている派閥同士だ。そんな関係にあると言うのにエルが友人だからと言う理由で庇ってくれている。

 ランドルフは忌々しそうにルーファスを見据え、そしてさらに忌々しそうに舌打ちすると捨て台詞を吐いた。

「今に見ておれ! そこのエル・ギルフォードとか言う魔術師は古式派に引き入れてやる! おぬしが何を考えておるのかは知らんが、革新派なんぞにはやりはせんぞ!!」

 そう言ってランドルフが去っていくのを、エルの発表のときに魔術を試していた何人もがついていく。

 それを見送ってからエルは大きく吐息をした。

「はぁ……、ありがとう、ルーファス。あのままじゃしつこくて離してくれそうになかったよ」

「友人が困っているのを見過ごせないしね。それにひとつ忠告もしておきたかったからね」

「忠告?」

「エルはそろそろ派閥を決めるべきだ」

「どうして?」

「エルは趣味の研究がしたいだけだから派閥に興味はないんだろうけど、逆に派閥に入っていないとこういうことが起きる。肩書きだけでもどちらかの派閥に入っている、と言うことにしておけばこんなことに巻き込まれないですむ」

「うーん、そうなのかなぁ」

「そういうものだよ。エルの研究が古式派に有用な研究だとわかれば、今のようにしつこく派閥に入るように言ってくる者は大勢いる。古式派も革新派も有望な若手は喉から手が出るほど欲しいからね」

「でも私は派閥なんてのに入ってしがらみに囚われるのはイヤなんだけどなぁ」

「だから肩書きだけでいいと言っているんだ。体よく断るための口実に使ってもいい。もしよければ革新派に入らないかい?」

「なんで?」

「僕が君を庇いやすいからだよ。同じ革新派の魔術師だとわかれば、ああいう手合いも少なくなる。何も革新派のために研究しろとは言わない。常に研究職でいられるはずはないからね。でもどちらかの派閥の人間だとわかれば今みたいなしつこい勧誘はなくなるはずだ」

「どうしようかなぁ」

「俺もルーファス先輩に賛成です」

 とそこへグラハムもやってきてそんな風に言ってきた。そうか、グラハムは人事部だから研究発表を見ていたのか。

「グラハムくんまで」

「ルーファス先輩の言うとおり、派閥は結構厄介なものです。エル先輩が派閥に興味がないのはわかっていますけど、どちらの派閥にも入っていない、というのは結構危うい立場なんですよ?」

「そうなの? ルーファス」

「あぁ。無派閥で貫けるのは極めて稀だ。僕が知る限り、シェルザールの学長くらいだろう」

「そうなんだ」

「あぁ。シェルザールの教師陣でも派閥に属しているからそのバランスを取るためにシェルザールの学長は代々無派閥になるように求められる。そうしないと公正じゃないからね。でも宮廷魔術師であり続けたいならどちらかの派閥に属しておくのが無難なんだ」

「そうは言ってもなぁ」

「だから肩書きだけでいいと言っているんだよ。ただどちらかの派閥に属している、と言うことが知られればこういうこともなくなる。もちろん今回みたいな研究を革新派がやったとなるといい顔はされないだろうが、それでも叱られるなんてことはない」

「うーん……」

 エルの歯切れは悪い。派閥に興味がないのもあるが、肩書きだけでも入って面倒くさいことに巻き込まれるのは勘弁してもらいたいからだ。

「エル先輩、革新派に入っておきましょうよ。シェルザールの卒業生で一番多いのは革新派です。かくいうルーファス先輩も革新派だし、俺も革新派です。よく知らない魔術師が多い古式派より、知り合いの多い革新派のほうがエル先輩には合っていると思います」

「じゃぁルーファス、カミーユたちは?」

「肩書きだけってのもいるけど、みんな革新派だよ」

「そっかぁ」

「それに勢力は革新派のほうが強いんです。何かあったときには革新派の肩書きがあれば、革新派の先輩たちが守ってくれます。だからエル先輩も革新派に入ったほうが得ですよ」

「どうしようかなぁ」

 ルーファスたちの言い分もわかる。

 今後同じような面倒ごとに巻き込まれないためにはどちらかの派閥に属していたほうが何かと便利だ。だが、研究テーマはそれこそ何になるかわからない。古代魔術は古式派の領分だと聞くけど、古代魔術にだって未練はある。

「エル先輩」

「エル」

 答えを急かすようにグラハム、ルーファスが詰め寄ってくる。

「わかった、わかったから。でも本当に面倒ごとは勘弁してよ? 派閥の会合とかあっても行かないからね?」

「それでも構わないよ。実際全く顔を出さない肩書きだけの魔術師もいる」

「じゃぁわかった。ルーファスたちもいることだし、革新派の肩書きだけは使わせてもらうよ」

「それがいい。これからもよろしく、エル」

「歓迎しますよ、エル先輩」

 ふたりともやけに嬉しそうなのが気になったが、今それを考えても仕方がない。それよりも早く寮に帰って夕食にしたいのだ。

「う、うん。まぁとりあえずよろしく」

 そう答えてエルはルーファスたちと別れて寮に戻った。

 遅くなったことだし、何か簡単な料理でも作って手早く夕飯にしたほうがいいかもしれない。

 そのときはそんな風に気楽に思っていた。


 ルーファスはエルの研究発表があった日の夜、祖父に宛てた短い手紙を書いていた。

 曰く、「エル・ギルフォードを肩書きだけとは言え、革新派に引き入れることに成功しました」と。

 それを畳んで結んで父の書斎で飼っている鳥の足に括り付けると夜空に放った。

 この世界にも郵便はあるが届くまでが途轍もなく遅い。いわゆる飛脚のような速達もないわけではなかったが、ルーファスたちのような貴族はだいたい遠方との連絡用に鳥を飼っていてそれを使って迅速に遠方とのやりとりをする。

 ドリンで研究に励んでいる祖父もこの一報には喜んでくれるだろう。

 肩書きだけとは言ってもこれでエルは革新派の魔術師なのだから。

 それはとりもなおさず、エルの研究成果は全て革新派の成果と言うことになる、と言うことを意味する。

 エルが古代魔術に魅力を感じていることも知っているし、魔術具にも造詣が深いことも知っている。

 だが、そうした研究をエルが行ったとしても、革新派の肩書きがついていればそれらの成果は全て革新派の魔術師の成果として残る。

 いくら古式派の領分だったとしても革新派に属する魔術師が上げた成果なのだから、その全ては革新派に跳ね返ってくる。それは古式派の勢力を削ぐことに一役買うことになる。

 ひいてはエルを見出したグランバートル家の地位を底上げすることになる。

 友人としては心苦しいところはあるが、貴族であり、グランバートル家の御曹司であるルーファスにとってはやむを得ないことと割り切るしかなかった。

 それにエルを革新派に引き入れておくことのメリットは他にもある。

 ウルスラだ。

 公爵令嬢と懇意にしている宮廷魔術師が革新派なのだとわかれば、革新派の力はエルが望むと望まないとに関わらず上がっていくだろう。

 革新派の重鎮として爵位を得て今の地位を築き上げた祖父。そしてその才能を引き継いで魔術師としてより高い地位を目指すルーファス。

 シェルザールからの友人であるエルを利用するのは本当に胸が痛む。

 だが、これも家のためなのだから仕方がない。

 忸怩たる思いを抱えながらもルーファスはそう割り切ろうとして、夜空に放って飛んでいった鳥の行く末を見守った。


 研究発表は予定通り3日間で終わり、エルにとっては特に面白いと思うような研究発表はなかった。ルーファスの研究も知っていたし、高い魔力で相性問題を解決する手法は、ルーファスほどの高い魔力があるからこそ実現できるものであって、万人向けではない。旋律を使ったやり方のほうが効果が高く、安定しているし、相性問題もクリアしやすい。

 だが、これはエルの見つけたやり方であってその成果はまたの機会に取っておくとして、次は反発力を利用した研究でもやろうと考えていたのだが……。

 面倒くさい人間に目をつけられたのだ。

 エルが研究発表をした日に声をかけてきたランドルフという古式派の研究者だ。

 少なくとも2日に1回はエルの研究室にやってきて、「君は古式派に入るべきだ」と言って譲らないのである。

 よほどあの研究発表が気に入ったらしく、とにかくしつこい。

 「自分は革新派に入ったので」と断っても、「わしは諦めんからな」と捨て台詞を吐いて研究室を出ていくのが常になっていた。

 最初は客人だからとお茶のひとつも出していたのだが、最近ではもう面倒くさくなって座るのを勧めることすらしなくなった。

「だからあれだけの汎用性の高い構文を思い付くのは君しかいない」

「それはもう何度も聞きました。私はもう革新派の魔術師です。お引き取りください」

「イヤじゃ。わしは絶対に諦めんぞ」

「はぁ……」

 勝手に座って居座るランドルフに辟易していた。

 一応年上だし、形上は敬っているように見せているが本当に迷惑していた。革新派に入ればこんなことはなくなると思っていたのに、ランドルフのしつこさと言ったら国宝級である。

「とにかく、私は次の研究テーマを考えるのに忙しいんです。邪魔ですから帰ってください」

「ふんっ、今日のところは勘弁してやるがおぬしがうんと言うまで諦めんからな」

「絶対にありませんから」

 去っていった後にいなくなったランドルフにあっかんべーをする。

 誰があんなしつこいじじいのいる派閥なんかに入るもんか。

 これならまだ革新派のほうがいい。シェルザールからの友人はみんな革新派と言うし、ルーファスもグラハムも革新派だ。周りの仲のいい魔術師は全員革新派なのだから、肩書きだけでも革新派に入っていてよかったと思う。

 それに革新派に入っていないとランドルフが知れば、よりしつこくなるだろう。無派閥だなんて知られた日にはあの老人は毎日のようにやってきてはしつこく勧誘してくるに決まっている。

 あの日、ルーファスやグラハムの言ったとおり、革新派に入ると決めておいてよかった。

 革新派だとわかっていてもあのしつこさなのだから、無派閥だとわかったらどこまでしつこくなるか想像もしたくない。

 それに革新派だからと言って何かが変わったかと言われれば何も変わっていないのだ。

 シェリーとはほぼ毎日会話をして近況を報告し合っているし、ウルスラとも長くて2週間に1回はお茶会や昼食に誘われて楽しくしている。ルーファスやグラハムも革新派に入ったからと言って、これと言って何かをしてきたり、言ってきたりすることもない。

 ただ肩書きに「革新派」とおまけのようなものがくっついただけで、日々の生活が劇的に変わったかと言われると変わっていないのだ。

 毎日楽しく有意義に過ごせているのだから、肩書きがくっついたところで何も変わらない。むしろランドルフのようなしつこいじじいを厄介払いできるだけでもありがたいくらいだった。

 そんな話をウルスラにすると、ウルスラは「魔術界も面倒ですわね」と同情してくれた。

「そうなんですよね。私は正直派閥なんてどうでもいいんですけど、入っていてもこれですから入っていないとどうなっていたことやら……」

「貴族にも派閥はありますし、王族の誰につくかで今後の力関係に影響してくるので誰もがピリピリしていますけど、魔術界でも似たようなことがあるんですのね」

「みたいです。ホントうんざりですよ」

 本当にうんざりしたと言った様子のエルにウルスラはくすくす笑った。

「エルがそんな風に愚痴を言うなんて珍しいですわね」

「そうですか? まぁあんまり愚痴は言わないですかね。シェルザールからの親友には時たま言いますけど」

「シェリーさんでしたっけ? 今でもよくお話しする仲なんですよね」

「えぇ。ほぼ毎日。もう日課になっていますね」

「羨ましいですわ。わたくしも学校生活を送っていればそんな友人ができていたかもしれないと思うと」

「でも手のかかる子ですよ? シェルザールにいた頃から何かあればエルーってすぐ泣きついてきて」

「それでもそんなに仲がいいんですからよほど気が合ったんでしょうね」

「それはまぁ確かに。手のかかる子でしたけど、楽しい学校生活を送れたのはシェリーがいてくれたおかげでもありますからね」

「そんなにエルと仲がいいお友達なんて一度会ってみたいですわ」

「うーん、それは難しいんじゃないでしょうか? シェリーの村は魔術師がシェリーしかいないので、長期間村を空けるわけにもいきませんし、シェリーも村での生活がありますからね」

「そうですか……。どんな方なのかお会いしてみたかったのですが……」

「話をすることはできますよ」

「ペンダント、でしたっけ?」

「えぇ。これに魔術をかけているので遠く離れていても話ができるんです。シェリーも昼間はたいてい忙しそうにしているので無理ですけど、日にちを合わせればきっとシェリーも時間を作ってくれます。人懐っこい子なのでウルスラともすぐ打ち解けられますよ」

「それは是非お願いしたいですわ。そのシェリーさんという方から見たエルの印象というのも聞いてみたいですし」

「うーん、それはちょっと勘弁してもらいたいところもないわけじゃないと言うか何というか……」

「どうしてですの? 一番の親友なのでしょう?」

「そうです。親友だからこそ聞かれたくないと言うか……。色んな恥ずかしいこともやらかしましたし、そういうのを全部知ってるのはシェリーだけなので」

「ふふ、ますますお話ししたくなってきましたわ。わたくしの知らないエルの一面が見れるなんてとてもワクワクしますわ」

「ウルスラも意地が悪いですね。まぁでもウルスラになら聞かれても平気なので、今度シェリーに訊いておきますね」

「お願いいたしますわ」

 めっきり寒くなってきたのでお茶会は主に応接室で行われている。高級品であるガラスを贅沢に使った窓の外はきっと寒風が吹いているのだろうが部屋の中は暖かい。まだ暖炉に火を入れる時期ではないが、後1ヶ月もすれば暖炉なしでは暮らせない寒さになるのだろう。

「もう冬ですわねぇ」

「そうですねぇ」

「そして春になればわたくしも16。社交界に正式にお目見えしなければならないのですね……」

「やっぱり第二王子との婚約は憂鬱ですか?」

「えぇ。エルに魔術具を作ってもらったとは言っても、陛下が恥ずかしいと嘆かれるほどの人物ですもの。まだお会いしたことはありませんが、社交界に出れば否が応でも会わざるを得ませんわ。向こうもわたくしが婚約者候補だと言うことは知っていますし」

「うーん、そこもどうにかしてあげたいんですけど、一介の宮廷魔術師には荷が重い話ですしねぇ」

「その気持ちだけで十分ですわ。いざとなればエルに作ってもらった魔術具もありますし、婚約者候補である公爵令嬢に無礼を働いた、なんてことになれば陛下も婚約の話を考え直してくださるかもしれませんし」

「むしろそうなったほうがいいんじゃないですか? それならお父上も公然と断る口実ができます」

「そうですわね。でもさすがにそこまで頭が回らない人間ではないでしょうし……」

「いえ、人間なんてわかりませんよ。そこまで悪い噂が立つくらいの人間なんですから、婚約者候補だと知っていても手を上げるなんてこともしかねません」

「そうなったらこの魔術具でお灸を据えてさしあげますわ」

「それがいいです。そのために作ったんですから」

 エルがそういうとウルスラは笑う。エルもまるで共犯者のように笑ってお茶会のお喋りは続いていく。

 ウルスラやシェリーと話していると古式派がどうのとか、革新派がどうのとかと言ったことを忘れて純粋にお喋りを楽しめる。シェリーとは日課のように話しているが、ウルスラとも大分打ち解けてきて話す内容もこうした婚約話の憂鬱さを吐露してくれるようになった。

 それはとりもなおさず、ウルスラとの距離が縮まったと言うことに他ならないのでエルとしても嬉しい限りだった。

 貴族社会では厄介なことになりかねない爆弾になるかもしれないが、ウルスラ自身はとても可愛い金髪の美少女で、素直に慕ってくれるとてもいい子だ。手はかかるがシェリーが妹のように可愛い存在であったように、ウルスラもまたエルにとっては妹のように可愛い存在だった。

 そんなウルスラだから多少面倒なことに巻き込まれるかもしれないとわかっていても、お茶会や昼食のお誘いがあればほいほい出掛けていくエルなのであった。

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