第29話

 ウルスラと知り合って1ヶ月が経ち、6月も半ばになって暑さも和らいできた。

 ウルスラは2週間に1回はお茶会や昼食に呼んでくれて、その間にあったことを中心に楽しそうにお喋りをしていた。どちらかというとエルは聞き役のほうが向いているので、ウルスラが喋るのを聞いているほうが多かったが、ウルスラは友達ができたのがそんなに嬉しいのか、他愛のないことでもよくころころと笑い、エルと言う友達ができて本当に嬉しそうだった。

 エルも前世で溺愛していた妹のような存在ができて楽しかったし、お茶会に誘われれば公然と研究室から出掛けても何も言われない。それにウルスラのために魔術具を作る、と言うやることもできたので、すでに発表する内容が完成しているエルにとってはやることができて新しい友達もできていいことづくめだった。

 そんな折、エルの研究室に珍しい訪問者が現れた。

「エル先輩、お久しぶりです」

「あれ? グラハムくんじゃない」

 銀髪の、好青年になったグラハムが宮廷魔術師のローブ姿で訪れたのだ。

「久しぶりだね。シェルザールの寮以来かな?」

「そうですね」

「まぁ立ち話もなんだし、適当に座ってよ。今お茶を淹れるから」

「いえ、お構いなく。仕事の合間を縫って挨拶に来ただけですから」

「どこに配属されたの?」

「人事部です。先輩にこき使われて、仕事を覚えるので精一杯だったので挨拶に来るのがこんな時期になってしまいました」

「でもルーファスのとこには行ったんでしょ?」

 ニヤニヤしながら訊くとグラハムは顔を真っ赤にした。

「そ、それは! ……仕方ないじゃないですか、憧れの先輩だったんですから……」

「そうだねぇ。シェルザールにいた頃からそうだったもんねぇ」

 寮で話をするときもよく「ルーファス先輩が」と口にしていたグラハムだから、当然宮廷魔術師になれた暁には真っ先にルーファスには挨拶に行っただろうことはすぐに想像がついていた。

「と、ところで、エル先輩は何の研究をしてるんですか?」

「ルーファスから聞いてない? 治癒魔術の応用だよ」

「え? そうなんですか?」

「うん。まぁ研究職1年目だし、無難なテーマのほうがいいかなぁと思ってそういうテーマに決めたの」

「それって古式派の領分じゃないですか」

「そうなの? その辺のことはよく知らないからなぁ」

「でもルーファス先輩は……!」

「ルーファスがどうかしたの?」

「いえ、何でもありません……」

 ルーファスがエルを革新派に引き入れようとしていること、それもグラハムは知っていること、そしてそれは秘密裏に行わなければならないことをエルは知らないし、知られてもいけないことなのでグラハムは言葉を濁した。

「でもルーファス先輩はエル先輩にとても期待しています。古式派の領分になんて首を突っ込むより、新しい何かを見つけてくれるんだときっと思ってます」

「それは過大評価だよ。私は好きな研究が続けられればテーマなんて何でもいいし、そもそも派閥がどうこうとかめんどくさくて考えたくないしね」

「そうですか……」

 何故か肩を落とすグラハム。事情を知らないエルは「どうしたんだろう?」とは思うものの、ルーファスに心酔しているグラハムがルーファスの期待に沿わない行動を取るエルに落胆したのかもしれない。

「そういえば母には会いましたか?」

「グラハムくんのお母さん? えーっと……、ウェインというと……、もしかして研究事務の部長さん?」

「はい、そうです。ジャネット・ウェインが俺の母親です。主に研究職だったんですけど、事務もできないといけないと言うことで今の部署に一昨年から。それでも研究者のためになりたいって意向を人事部が聞いてくれて研究事務の部長をやっています」

「そっかぁ。実は縁の深いところだったんだね。人の繋がりなんて広いようで案外狭いね」

「そうですね。--っと、あんまり長居すると先輩に怒られちゃいます。そろそろお暇しますね」

「ううん、いいよ。逆にちゃんと私のことを覚えててくれて嬉しかったよ」

「俺もです」

「じゃぁまたね」

「はい、ではまた」

 本当に仕事の合間を縫って顔を見せに来ただけなのだろう。短い会話をしてからグラハムは研究室から出ていった。

 それを見送ってからエルは再び魔術具の製作に取り掛かる。研究事務の職員に頼んで実験用の小さな水晶玉はたくさんもらってきた。香油などの魔術具製作に必要なものも事務方が用意してくれたので、後は作るだけだった。

 ウルスラは魔力を持たないただの人間だからシェリーと会話をするために作ったペンダントのようなものは駄目だ。簡単な詠唱で効果が発動するように改良しなければならない。

 そのための構文や魔方陣はもうだいたいわかっているから、小さな水晶玉で試作して効果を試して、できあがればウルスラが持つ装飾品に定着させればそれで完成だ。

 もうすでに、「エル」「ウルスラ」と呼び捨てにするくらい仲がよくなった間柄だけに、きちんと効果のある魔術具にしないといけない。

 さて、今日も頑張りますか。

 エルは張り切って小さな水晶玉を手に取った。


 エルの研究室から出てきたグラハムは難しい顔をしていた。

 研究室のテーブルの上にあったたくさんの小さな水晶玉。あれはおそらく魔術具を作るための試作用の水晶玉だろう。

 エルのテーマは治癒魔術の応用だと言っていたから、それを使って魔術具でも作るのかもしれない。

 どちらにせよ治癒魔術の応用も魔術具も古式派の領分だ。

 ルーファス先輩はエル先輩を革新派にふさわしい存在だと言っていたし、それがルーファス先輩の意向ならばグラハムとしても協力は惜しまない。

 だが、どうもエルには派閥の論理を無視する傾向がある。

 エルの今回のテーマが評価されれば古式派に連なる研究者たちは黙っていないだろう。

 ルーファス先輩があれほど評価するエル先輩なのだから、革新派に欲しい人材だとはわかっている。

 それにシェルザールを卒業できるくらいの魔力を持っているのだから、高い魔力を利用して新たに魔術を開発するほうが似合っているはずだ。革新派の技術のお下がりを使って普及させるのは古式派のぼんくらどもに任せておけばいい。

 グラハムも革新派の魔術師としてプライドがあるからエル先輩を古式派に取られるなんてことがあってはならないと思っている。ルーファス先輩がそれだけ評価するのだから本当にそれにふさわしい実力があるのだろう。

 それを革新派に入って活かさないのは宝の持ち腐れではないか。

 そもそもシェルザールの卒業生レベルの魔術師が古式派の領分に首を突っ込むなどあり得ない。あんなものは魔力に恵まれなかった才能のない魔術師が担う低俗な研究だとグラハムは思っていた。

 グラハムも今は人事部で事務仕事に追われている立場だが、ゆくゆくはルーファス先輩と同じ研究職に就いて革新派の研究者として新しい魔術の発展に尽くすべきだと考えている。

 それなのにエル先輩と来たら……。

 ルーファス先輩のように秘密裏に革新派に引き入れるなんてまどろっこしいことをしていたら古式派に取られかねない。

 そうなる前にもっと積極的に動いてエル先輩を革新派に引き入れたほうがいいのではないかとも思ってしまう。

 今度ルーファス先輩と話す機会があったらそう進言してみようと思いつつ、研究棟を後にした。


 ウルスラと仲良くなってから貴族社会とはどういうものなのかが気になったエルは、ルーファスに話を聞いてみることにした。ルーファスも一応貴族だし、パーティなどにも呼ばれるくらいだから社交界にも詳しいだろう。ウルスラが宰相の娘とは知っているし、この前の会話でウルスラはウィルソン家の次女で、長男は父親の跡を継ぐために内務省で働き、姉は別の公爵家との婚約が決まっていて、もうそろそろ嫁ぐ頃だという。

 そうしたウルスラとの話以外には貴族社会にはさっぱりなので、今後ウルスラと友達づきあいをしていく上で、最低限の貴族社会の慣習や雰囲気というものを知っておきたかった。

 貴族社会について知りたい、とルーファスの研究室でお茶を飲みながらそれを聞いたルーファスは目を見開いた。

「どういう風の吹き回しだい? 確かに僕に連れられてパーティにはよく参加しているけど、それは君が音楽を聴きたいためだろう?」

「それはそうなんだけど、ちょっとした噂を小耳に挟んだんだ。なんか社交界じゃ私のことが噂になってるらしいじゃない。だから何も知識がないより、多少の知識があったほうがパーティに出たときとかにも対処しやすいんじゃないかと思ってね」

「なるほど。確かに社交界では君のことは噂になっている。もちろんいい意味でね」

「ホントかなぁ」

「本当だよ。子供みたいな見た目なのに研究職を任されるほど優秀な宮廷魔術師としてね。だから君のことも社交界では噂に上るくらいなんだ」

「そうなんだ。貴族ってそんなに暇なの?」

「うーん、ぶっちゃけて言うとご婦人方は暇かな? 男性陣はどこかの省の役職についていることが多いから仕事をして家を空けていることが多いけど、ご婦人方は家事は使用人に任せてやることがないからパーティとかに出て噂話に花を咲かせることが多い。だから君のことも面白い存在として話題になってるんだよ」

「それってあんまり嬉しくない」

「でも貴族と懇意にしておいて損はないと思うよ。色んなことをする上で貴族とコネがあったほうが話は通りやすいし、利用もできる。利用できるものは最大限利用して研究の成果に繋げられるのならばこちらとしてもありがたい」

「そういうもんなのかなぁ」

「でも貴族社会にも色々ある。貴族の階級は知っているかい?」

「公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵だっけ」

「そう。だいたいの貴族は子爵か男爵だね。伯爵になるにはよほどの功績を挙げて認められれば子爵から上がれる。パーティを主催するのは侯爵か伯爵が多い。それくらいの地位でないと人が集まらないからね」

「なるほど」

「で、省の下級役人は子爵か男爵が多い。主要なポストは伯爵以上の爵位を持つ家柄が独占しているから、よほどのことがない限り子爵や男爵がポストに就くことはない」

「あれ? でもルーファスの家って魔術省のかなり上のポストじゃなかったっけ?」

「そうだね。僕の家は子爵だけど、功績が認められて魔術省でもかなり上のポストに就けてもらっている。でもこれはかなり特殊な場合なんだ。元々国が魔術を奨励しているから、魔術師だった祖父が功績を挙げて爵位を得て、その功績があったから父は魔術省でも上のほうのポストに就けている」

「じゃぁルーファスの家はあんまり参考にならない、と?」

「そうだね。僕の家が魔術師の家系だったからできたことだろうね」

「ふぅん。魔術師ってそんなにすごいんだ」

「国の政策だからね。魔術の発展が国の発展に繋がる。だからトライオ王国はここまで大きくなったし、大国として揺るぎない地位を築いていられる。だから貴族で魔術師なら厚遇されてもおかしくないんだ」

「質問。貴族で魔術師になる人ってルーファス以外にいないの?」

「普通はいない。貴族は世襲制だから魔力を持っていても魔術学校に入れてもらえない。だいたいは寄宿制の学校や家庭教師がついて学ぶことがほとんどだ」

 そういえばウルスラも勉強などは全て家庭教師だと言っていた。

「そして貴族階級は絶対だと言うことも忘れないで」

「どういうこと?」

「男爵は子爵に、子爵は伯爵に絶対に頭が上がらない、と言うことだよ」

「あれ? でも省の役人は貴族なんだよね? もし階級が下でも、有能な人でポストが上だったりしたらどうするの?」

「そういう場合はバランスを取るのに苦労する。一応ポストは上だから命令する立場にあるけど、階級は相手のほうが上だ。だからたいていはお願い、と言う形を取って仕事をしてもらうことになる」

「じゃぁルーファスの家はどうなの? 魔術省でもかなり上のポストなんでしょ?」

「僕の家は母親が伯爵家の出なんだ。こういうと身も蓋もない言い方だけど政略結婚だね。父は祖父の跡を継いで子爵の地位にあるけど、伯爵家の後ろ盾があるからバランスを取っていられる。もしそうじゃなかったらかなり難しい舵取りをしないといけなかっただろうね」

「うへぇ、めんどくさそう」

「でもそれが貴族社会と言うものなんだよ。だから僕は早く功績を挙げて爵位を上げたい。伯爵の地位でも手に入れれば魔術省でもポストの問題で苦労しにくくなるからね」

「先生! 質問です!」

「はい、どうぞ、エルくん」

「もし宰相になれるくらいの爵位がある人間と懇意にしたらどうなりますか?」

「それはとても強い後ろ盾になるだろうね。生半可な人間ではとてもじゃないけど太刀打ちできない。たとえ子爵くらいの人間の怒りを買ったとしても、公爵が後ろにいるとわかれば矛を収めるしかない。それくらい貴族階級の仕組みは絶対なんだ」

 うわぁ、ウルスラと仲良くなったってことはそういうことなんだ。

 今更ながらにウルスラの熱意に負けて友達になったことを後悔しそうになった。しないけど。

 でもあの熱意の前には「お断りします」とはとても言えなかっただろう。それにエルも友達もいないで過ごすウルスラの気持ちも理解できないわけではなかった。もし自分にシェリーがいなかったとしたらシェルザールでの学校生活は全く違ったものになっただろうから。

「うーん、貴族社会って聞けば聞くほどめんどくさそう……」

「でも悪いことばかりじゃないよ。省の役人は貴族で構成されている。だから職にあぶれることがない。世襲制だから貴族でいられる限り、食べていくのには困らないからね」

「そっか。どんなに頭が悪くても役人にはなれるんだ」

「そういうと身も蓋もないけど、まぁそのとおりだね。だから少しでも爵位を上げようとして、いい学校や家庭教師に学ばせて功績を挙げようとする。そうすればもっと上のポストに就けさせてもらえるから、給金も上がる。給金が上がれば当然生活も楽になる」

「貴族ってお金かかりそうだもんねぇ」

「確かにね。男ならスーツを何着か持っていればそれでいいけど、ご婦人方はそうはいかない。同じドレスでパーティに出続けると恥を掻くから毎年何着もドレスを新調する。だから社交的な妻を持つと稼ぎのほとんどがそういう着飾るものに消えていく貴族もいる」

「確かにパーティに行ったときは色んなドレスが見れたもんなぁ。やっぱり流行ってのもあるの?」

「もちろんあるよ。商業地区には行ったことがあるだろう? そこでデザインをしてくれる仕立屋があることも知っているはずだ。そういう中で有名な仕立屋がその年に流行りそうなデザインを考案して貴族に売ってるんだ。これこれこういうデザインが今年の流行ですよ、ってね。そういうのに敏感なご婦人方は当然流行りに乗り遅れないようにそうしたデザインのドレスを買っていく。そうして有名なデザイナーを抱える仕立屋は繁盛することになる」

「それもなんだかなぁ。デザイナーに踊らされてるようなもんじゃない」

「実際踊らされてると思っていいよ。でもそれがパーティに出る上では不可欠なんだ。エルは毎回同じドレスだけど、それじゃ貴族社会じゃやっていけない。社交的であろうとすればするほどお金はかかるものなんだ」

「宮廷魔術師でよかった……。同じドレスでも何も言われないもん」

「そうだね。僕は君と違って男でよかったと思ってるよ。スーツが数着、ネクタイを替えればそれだけでコーディネートは終わりだ。ドレスと違ってネクタイは安いから何本持っていても大した出費にはならない」

「ルーファスの家ってお母さんがそういう社交的な人じゃないの?」

「どちらかと言えば内向的な人だね。大人しいいい母親だよ。政略結婚だったけど、父との関係も良好だし、家族仲はいいね。兄弟も兄だけだし」

「じゃぁあんまりお金には困らないんだね」

「そうだね。むしろ僕や兄のほうがお金がかかっているかもしれない」

「でもお呼ばれされたら出ていかないわけにはいかないんじゃないの?」

「昔はそうだったけど、今は兄や僕が出ていくから母はほとんど家にいるよ。祖父はドリンに隠居してるし、父は魔術省の仕事で忙しい。だから僕や兄が代理としてパーティに出ることがほとんどだね」

「ふぅん。だからルーファスはパーティでも手慣れてたんだ」

「そうだね。昔は母に連れられてパーティに出たこともよくあったからね。挨拶回りくらい大したことじゃない」

「あんな大変なことが大したことじゃないって……。やっぱりルーファスも貴族なんだなぁ」

「慣れれば大したことじゃなくなるよ」

「そんなことに慣れたくない……」

「でもこれからもパーティに行きたいんだったら慣れていたほうがいいよ。名のある宮廷魔術師だったら王族主催のパーティに呼ばれることだってあるからね。ジャネット・ウェイン女史は知っているだろう?」

「うん。グラハムくんのお母さんだよね?」

「彼女も有名な宮廷魔術師だからパーティに呼ばれることもある。そうしたときに挨拶回りもできないんじゃ見下されるだけだからね。ジャネット女史も宮廷魔術師になった後に、マナー教師に学んでそうしたことを身に付けたと聞いている」

「私はルーファスについていくだけでいい」

「ははは、それじゃ今後ひとりでパーティに呼ばれたときに困るよ? 君だって宮廷魔術師として名を上げれば呼ばれないとも限らないんだから」

「いやー! 私はただ研究がしたいだけなのにー!!」

「ならシェルザールに残ったほうがよかったんじゃないかな? あそこなら面倒な貴族社会と関わらなくてすむ」

「教師ってのがイヤだったの」

「それなら諦めて慣れるしかないね。マナー教師の当てがないなら僕が紹介してあげるよ」

「そうならないことをずっと祈ってる」

「エルは研究には熱心なのに、他のことには大概面倒くさがりだよね」

「私は趣味に生きたい人間なの。今は研究が趣味。だから貴族社会なんて面倒なことには極力関わりたくない」

「でもそうなると君の大好きな音楽が聴けなくなるよ?」

「そうだった……。うー、ジレンマだー!」

 ルーファスの教えを受けながら頭を抱えるエルを見て、ルーファスはくすくす笑う。

 おそらくはやはり中身は平民だからと思っているのだろうが、元々貴族のルーファスとは違うのだ。明らかに面倒ごとにしかならない貴族社会なんてものに染まるより、平穏無事に研究だけして生きていたい。

 だが、ウルスラというとんでもない相手と友誼を結んでしまった。

 今更なしにしてとも言えないし、エルと話していてとても楽しそうにしているウルスラを見るととてもではないが友達を辞めますとは言えない。ウルスラの悲しむ顔が目に浮かぶから余計に。

 ただ音楽が聴きたいだけだったのに、いつの間にか貴族社会なんて面倒なものに巻き込まれてしまっている。しかも研究で名を上げればエル個人としてパーティに呼ばれることもあるという。

 こうなったら諦めてウルスラにでも頼み込んで最低限のマナーくらい学んでおいたほうがいいのかもしれないと諦めすら感じる。

「はぁ……、宮廷魔術師ってのも大変なんだね……」

「国でも一番名誉のある魔術師だからね。それに見合った代償というものがあるものだよ」

「去年は実戦部隊にいて辞めたいと思ってたけど、今はそういう面倒なことに巻き込まれそうだから辞めたいって気になってくるよ」

「でも教師がイヤなら研究するには宮廷魔術師が一番だよ? 研究資金は豊富だし、名誉だって手に入る。もしも多大な功績があるなら爵位だって望める。それくらいだから宮廷魔術師になりたいって魔術師は多いんだ」

「そうなの? 私はなんとなくシェルザールの同級生で一番多かったのが宮廷魔術師だったから宮廷魔術師を選んだだけなんだけど」

「シェルザールに入れるほどの魔力があれば試験で合格しやすいからね。それに今言ったように国で一番名誉のある魔術師の組織だ。魔術師を志す者ならば一度は夢見る職場だからシェルザールでも就職先に選ぶ学生が多かったんだろうね」

「そっかぁ。私は進路をいつまでもうじうじ悩んでたからなぁ」

「それは初耳だね。エルほど優秀な学生ならよりどりみどりだっただろうに」

「どれを選んでも面倒ごとに巻き込まれそうだったから選べなかったの! それで最終的にはみんなが選んだ宮廷魔術師にしたんだけど」

「なるほどね。でも研究を続けたいならシェルザールに残るか、宮廷魔術師になるかしかないね」

「そうなんだよねぇ。でも教師って柄じゃないし、こんなちっこいナリの教師なんて学生に舐められるに決まってるもん。今でも舐められることはあるけど、宮廷魔術師のローブ着てればたいていのことはスルーしてもらえるし」

「なら結果的には宮廷魔術師になってよかったんじゃないかな? 去年はどうあれ、今は研究職なんだし」

「そうなんだよねぇ。王都に来たから大好きな音楽の生演奏も聴けるようになったわけだし、面倒ごとばっかりかと言われるとそうでもないんだよなぁ」

「じゃぁ少しは我慢することを覚えたほうがいいね。マナー教師が必要ならいつでも言ってくれていいよ。紹介するから」

「うん。もしかしたら頼むかもしれない。まぁ一応アテがないわけじゃないから今のところはいいけど」

「アテがあるってマナー教師を雇うつもりだったのかい?」

「ううん、ウルスラがいるから……」

 「たぶん大丈夫」と言おうとして、「しまった! 失言だった!」と後悔する。

「ウルスラ? ウルスラ……ウルスラ……まさかウィルソン公爵のウルスラ嬢じゃないだろうね?」

 やっぱりバレたー!

「もしかして貴族社会のことを聞きたいなんて言い出したのも、もしかしてウルスラ嬢のことがあったからじゃないのかい?」

 こういうとき、ルーファスの頭のよさは厄介だ。

 だが、友達でもあるし、ルーファスなら口止めしておけば他言するようなことはしないだろうと思い直す。

「うん、そう。ウルスラとは1ヶ月くらい前に、気晴らしに街に散歩に出たときに出会って、それから仲良くなって友達になったの。

 でも私がウルスラと仲がいいってことは内緒にしておいて! ウルスラは気にしないかもしれないけど、もし私みたいな宮廷魔術師と友達だなんて社交界に知られたらウルスラの立場が悪くなるかもしれないから!」

「それは別に構わないけど、いったいいつの間に……」

「最初に言ったでしょ。社交界で私のことが噂になってるって」

「あぁ、その噂をウルスラ嬢も知っていたから」

「そういうこと。で、街で見かけて誘ってみたら意気投合して友達になりましょう、って感じ」

「なるほどね。もちろん僕も言わないけど、エルもあんまり言わないほうがいいと思うよ」

「元々そんなつもりはないけど、どうして?」

「公爵令嬢と友達だなんて知られた日には君の宮廷魔術師としての立場が大きく変わる。ガザートの所長でさえ君に敬語を使って話すことになりかねない」

「うげ……、そんなことにまでなるの?」

「曲がりなりにも宰相の娘だよ? 宰相は国王を除けば誰もが平伏する立場の貴族だ。そんな公爵令嬢と友達だなんて知られたらパーティに行った先で君は挨拶回りをする側じゃなくて、挨拶をされる側になる」

「そんなめんどくさいことはイヤだー!」

「イヤなら隠し通すしかない。まさか僕の他に誰かに言ったりしてないだろうね?」

「お昼ご飯に誘われたりしたときに、研究事務の職員には出掛けてくるとは言ったけど、誰に誘われたかなんてのは言ってないよ」

「ならいい。--それにしてもとんでもない大物を釣り上げたね」

「だってウルスラが可哀想だったんだもん。いい噂のない第二王子と婚約だの、学校生活に憧れてただの、友達がいないからなってほしいだの言われて断れると思う? 公爵令嬢じゃなくたってあんな素直で可愛い子に友達になってほしいって頼まれたら断れないわよ」

 ルーファスはそこまで聞いて溜息をついた。

「君は本当に面倒くさがりなのか、面倒見がいいのかよくわからない人だね。シェリーだって君とは正反対の性格だったのにとても仲がよかった。むしろシェリーのようなタイプは面倒くさがって敬遠するタイプだろうに」

「うーん、そこはそうだなぁ……。弟がいたから、かも。年上気質って言うの? 素直で可愛い子に甘えられると悪い気はしないなぁ、とか?」

「なんでそこで疑問形なんだ」

「しょうがないじゃない。シェリーとかウルスラとか、年下っぽいのとか、年下に慕われるんだから。素直に慕ってくる相手を邪険にするとか、私にはできないわ」

「それでウルスラ嬢と友達、ね。もう君が何を言ってきても驚かなくなりそうだよ」

「そんなに!?」

「それくらいの大物だってことだよ。しかも呼び捨てだなんて。こんなことが公になったら、僕だって君に敬語で話さないといけなくなるよ」

「そんなのイヤー! ルーファスでさえそうならカミーユは? ハンソンは? ルネールは?」

「悪くすればみんな君のことを様をつけて呼ぶことになるだろうね」

「最悪……。

 今度ウルスラに会ったら釘を刺しておかないと。友達なのは友達だけど、秘密の間柄にしようって言えばきっと楽しがっていいよって言ってくれるわ!」

「そうなるといいけどね。でも来年ウルスラ嬢が社交界にデビューしたら、君のことは一気に広まるだろうことは想像に難くないよ」

「そんなぁ……」

 可愛くて素直に慕ってくれる相手なだけなのに……。

 そもそもいったいどこでどう何を間違ったのか。

 ウルスラと友達になったことを後悔はしないだろう。妹みたいで可愛いし、素直に慕ってくれるいい子だから今後もお付き合いは続けたい。

 だが、そのことが知られると今後の人生が大きく変わるかもしれない。

 面倒くさがりの部分と、年下に頼られると断れない姉気質が鬩ぎ合って身動きが取れない。

「とにかく、僕は他言しない。約束しよう。関係もこれまでどおり、同じシェルザールの同級生で卒業生。そして同じ宮廷魔術師」

「うん、それでお願い……」

 ルーファスは約束すると言ったら他言はしないと信用できる。

 だが、来年ウルスラが社交界にデビューした後のことを考えると頭を抱えたくなる。

 だが、知られたところで何も変わらない可能性だってあるのだ。ただウルスラが個人的に懇意にしている宮廷魔術師がいる。ただそれだけで終わる可能性が全くないわけではない。

 いや、そうであってほしい。

 今はそう祈るしか他なかった。

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