第3-2話 ”憧れ”から”目標”へ
兄として。天のヒーローでなければならない。ひどく幼稚で、子供っぽい理屈。しかし、優が行動を起こすにはその情熱だけで十分だった。
使命感とともに、牙をむく犬と対峙する。
「こ、来い!」
震える声で精一杯言って、彼は懸命に魔獣を睨みつけた。
しかし、今の優は温かな家庭で生きてきた、ただの小学2年生。
脳が本能的に恐怖を覚え、全身を震わせる。奥歯がかみ合わず、カチカチとなる。気を抜けば、背後にいる天のように腰を抜かしてしまう。
こわい、こわい、こわい。
――でも、天をかっこうよく、守らなきゃ!
その想いだけで、どうにか優は立つことだけはできている。
学校で習った魔法も、幼稚園の頃から“特訓”しているヒーローたちの剣術も体術も。何1つ、できない。
怖くて体が満足に動かないのだから。
と、そうしている間にも犬が駆けてきた。
「くそっ!」
優にできたのは、飛びかかってくる犬と自分の間に、ランドセルをどうにか挟むことだけ。
そのまま天を背後にかばいながら、尻もちをつく形で押し倒される。さらに犬は優を組み伏せて天に迫ろうと、ランドセルごと優の上体をグイグイ押してきた。
優は左手でランドセルを固定し、右手を地面について、体を支える。ランドセルを挟んで、顔の前で開閉する犬の口。
上顎が2つに割れていること、そもそも人の頭を丸飲みできそうなほどに口が開いていること。
そんな異形を、一杯一杯の優には疑問に思う余裕もない。
このままでは、天の所に犬が行ってしまう。なんとなく、それだけはダメなことのような気がする。
しかし、
「うわっ!」
簡単に押し倒された。それでも――
あきらめない!
いつだって優の憧れるヒーローは諦めなかった。
だから、あきらめるな!
そこからの優はもう死に物狂いだ。
優という障害を排除し、天へと歩み寄ろうとする犬。
すぐに優はランドセルを投げ捨て、仰向けからうつぶせへ。そのまま犬の後ろ足を小さな手で掴んで、足止めする。
ケラチン質の足はよく滑る。何度か汗で滑って抜けられながら、それでも懸命に腕を伸ばし、犬の歩みを遅らせる。
「にげろ、天!」
「で、でも。足が……」
腰を抜かし、満足に動けない天。優という重しを引きずりながら、犬は天を目指して歩く。
どうすれば、どうすれば、どうすれば、どうすれば……。
フラッシュバックする、改編の日の出来事。あの日。神様が地上に降りてきたのだ。つまりこの世界には、神様がいる。彼らなら……。
「だ、だれか助けて! お母さん! お父さん! かみさまぁぁぁ!」
引きずられ、膝や腕をすりむいて。優は叫ぶ。いろんなものがないまぜになって、涙があふれる。それでも、優は諦めない。
格好良く助けられないなら、格好悪く、あがけ!
どんな方法を使っても、天を助けるんだ!
自分だけで無理なら、誰かを頼れ!
そう、それこそ――
ヒーローを、呼ぶんだ!
「だれか、助けてぇぇぇ!」
優の必死の叫びが、住宅街に響いた。
「こっちよ! 声がしたわ!」
「うお、本当だ!」
遠く聞こえたのは、若い男女2人の声。
そして、すぐに強い風が優の髪を揺らし、直後、彼は間近で地面を強く踏む音を聞いた。
その声の主は1秒にも満たない時間で駆けつけて来たようで、次の言葉は優のすぐにそばで発されていた。
「お待たせ! よく頑張ったな、少年!」
優しい声だった。
涙でうるんだ視界のせいで、優には何が起きたのかはわからない。
それでも、助けが来たことだけはよくわかった。
「俺たちが来たからもう大丈夫。悪いワンちゃんは、俺たちが懲らしめておくからな!」
そう言った青年に、頭をがさつに撫でられた。父とはまた違った、安心感のある大きな手。もう片方の手には金色に輝く剣のようなものが握られていた。
窮地に現れ、颯爽と優と天を救ったその人物たちはまさしく優の求めていた――ヒーローそのものだった。
優が涙をぬぐっていたその間に。気付けば、怖い犬はいなくなっていた。代わりにそこには、黒い砂のようなものが置いてある。
その砂も、風に吹かれて少しずつ消えかかっていた。
「香織。少年のけがの手当てしてやってくれ。嬢ちゃんは立てるか?」
金髪の青年の手を借りて、天が立ち上がる。その横で、指示を受けた髪の長い女性が絆創膏やガーゼを使って、手際よく優の傷の手当てをしていく。
しかし、優にとって、痛みも恐怖も何もかも、今は吹き飛んでしまっていた。
今、彼の中にあるもの。それは助けてくれたヒーローに対する、どこまでも純粋な憧憬だった。
「か、かっこいい……! お兄さんたち、名前は?!」
「動かないの!」
「あいたっ」
女性にぺちりと優しくたしなめられ、それでも、優はキラキラした目を青年に向ける。そんな優の問いに、にかっと笑った青年は、あえて格好つけて言い放つ。
「名乗るほどのものでもない! 俺たちは当然のことをしただけだ! なんせ俺たちは困っている人たちを助ける、ヒーローなんだからな!」
「うおぉぉぉ!」
「はぁ……。馬鹿言ってないで、次、行くよ」
「おう! さらばだ、少年、少女!」
そう言って、2人は颯爽と走り去っていく。
遠ざかっていく憧れの背中に、
「ありがとう! お兄さん、お姉さん!」
優が大きく手を振る。
天もその横で、安堵の涙が流れないよう、口をへの字にしながら一生懸命手を振った。
「……かえろうか、天」
「うん」
手を差し出し、天もその手を握り返す。夕焼けに照らされて、温かな家へと、2人はまた歩き出す。
「ランドセル、母さんにおこられるー。犬にやられたって、母さん、信じてくれるかな?」
ボロボロになってしまったランドセルを背負い直して、優は落ち込む。服も汚れてしまった。
「私も兄さんといっしょに、あやまる。それにたぶん、あれって――」
「まあ、でもさ」
天が何か言いかけたが、ヒーローに会えた興奮がまだ残っている優は格好つけたくなった。
「天がぶじで、良かった」
隣でそう笑った兄が何だか格好良くて、思わず握った手に力が入ってしまう天。
手のかかる兄だとばかり思っていたのに、それが何だか悔しくて、ちょっとした意地悪も込めて、
「本当は、兄さんに守ってほしかったな」
言ってみる。
それでも、そんな天の胸の内などお構いなしに、
「うん、任せろ! いつかぜったい、天も、みんなも守れるような、 かっこいいやつになってみせるから」
そう言って屈託なく笑う優。今の兄には何を言っても敵わないなと、天は困ったように笑った。
そして、優はのちに知る。そのヒーローたちが特派員という、魔獣を倒す人々であることを。もともとヒーローに憧れていた優が特派員を目指したのは、ある意味で宿命だったのかもしれない。
ヒーローという曖昧な理想が、特派員という具体的な目標になる。
そして、同時に彼は、己のマナが特派員を目指すうえで最大の足枷になると知ることになった。
………
●次回予告(あらすじ)
16歳になった優。彼は魔獣を倒す特派員になるための学校に通うことになった。入学から1ヶ月が経った頃。彼は授業の一環で、幼馴染の
(読了目安/7分)
…………
※この時青年が魔獣を「ワンちゃん」と表現したことも、しばらく優がこの時の魔獣を犬だと認識する原因になっています。
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