第26話 〈物語〉――”私”の想い

………

………


 仰向けに倒れたまま動かない優。すぐに彼の上から退いたシアは、そのすぐ横に膝をつく。

 全身を打ちつけた彼の身体から聞こえた致命的な音を、抱きしめられていたシアの耳も捉えていた。頭も打っている。むやみに動かすこともできない。

 シアの権能で周囲の魔獣は一掃された。戦闘が終わり、日常の音が鮮明になる。


 「優さん……」


 どうしていいのかわからず、呼びかけるしかないシアの声も優に届いているはず。

しかし、彼から返ってくるのはヒューヒューと異音を含んだ呼吸音。それも、雨が地面を打ちつける音で、今にも聞こえなくなってしまいそうなほど弱々しい。


 「……ひとまず、〈探査〉するね」


 今いる場所は外地。まだ魔獣がいるかもしれない以上、優先順位というものがある。優から役目を引き継いだ木野は使命感を持って、周囲に若草色のマナを広げる。そして、先ほどまでいた魔獣の反応が1つもなくなっていることに驚くことになった。


 「うそ……?! 魔獣が1体もいない」

 「これが天人の力、ですか……」


 三船も明らかに静寂を取り戻した森から魔獣がいなくなったことを察する。

魔力は同じようなものでも、魔力持ちは人間。彼ら彼女らには無い天人の神秘的かつ圧倒的な力を前に、三船も木野も畏敬の念を抱かされることになった。

 雨に打たれ、ぬかるんだ地面にへたり込んだまま1人の少年を見つめているシア。その姿ですら名画のように神々しく感じられ、ただの人間でしかない自分たちが軽々しく踏み込んではいけないような気分になる。


 そうして彼女たちが見つめる先でシアは


 「優さん! 目を開けてください! 諦めないで……っ」


 最後の言葉はあるいは、自分に向けた言葉かもしれない。懇願するように言って、力なく垂れた優の手を握る。

 思い出すのは先週、魔獣を前に死を受け入れようとしていた自分の手を取ってくれた優の姿。あの時のように、彼の暖かな手を取ることで、運命が変わる気がした。

しかし、握った途端、その手の冷たさにシアは驚く。雨と失血が今も、少年から温もりを奪っていく。

 死にゆく彼を前に、頭が真っ白になる。それでいて、心は重く、暗い。


 「また、私のせいで……」


 言葉だけで自分自身すら押しつぶしてしまいそうな、重みのある呟きが、涙と一緒にあふれ出る。

 天人である自分はどんな影響を周囲に与えるのかわからない。だからこれまでも、何かを強く願ったことなどなかった。全ては啓示のせい。そう言い訳をして、両親の死ですらも受け入れ、あるいは仕方がないと妥協して生きてきた。

 人間が当然のように抱く想いや願いというものをなるべく、見ないように生きてきた。自分は天人なのだから、と。


 しかし、今。


 「死なないで……っ!」


 そんな言葉がシアの口から思わず出ていた。それは優とセルを組むことになった時と同じで、自然に出てしまったもの。

 シアはようやく己の想いや願いを自覚することになる。

 例えば自分は、誰かと心の底から信頼し合える関係を結びたかったのだ。啓示が及ぼす影響を、ともに乗り越えていきたかった。運命的な出会いをたくさんして、そうして手にした日常で、彼らと一緒に甘いスイーツが食べたかった。ショッピングだってしたい。恋愛だってしてみたい。友人が、仲間が、ずっとずっと欲しかったのだ。


 でも、あまりに遅い。

 不覚をさらした自分をかばって死ぬことになる優。彼を失った世界で、どうしてその願いを叶えられるのか。誰が祝福してくれるというのか。誰よりシア自身が、自分を許さない。いっそこのまま……。

 真っ暗な思考の淵に立ち、今にも身を投げそうなシア。

 ――その時、ふと。


 『詩愛ちゃんはもう少し、我がままになっていいのよ?』

 『そうだ。詩愛は詩愛なんだからな。天人だなんて、関係ない』


 もう2度と会えない両親の声が聴こえた気がした。


 それは2人が何度もシアに言い聞かせていた言葉だった。これまでは、両親として、シアに甘えて欲しいのだろうと思っていた。しかし今思えば、彼らが伝えたかったことは立場など関係なく、自分というものを持ってほしいということではなかったのだろうか。

 そう思うと、


 『優さんは優さんですよ』


 シア自身が優に言ったことだ。あなたは、あなた。両親の言葉は時間をかけてゆっくりとシアの中に浸透していたということに気付かされる。

 でも、だったら今、自分はどうすればいいのか。どうすべきなのか。シアにはわからない。両親も、優も、誰も教えてくれない。


 『シアさんは、どうしたいですか?』


 シアに問いかけた優の姿、その声が脳内で反響する。“どうしたらいい”“どうすべき”。そんな誰かが決めたものではなく、自分が何をしたいのかという問いかけ。


 「私、は……」


 自分がどうしたいのか、どうなりたいのか。

 考えて、考えて、考える。

 そして、かつて読んだ本に出てきたある女神を思いだす。シアは彼女に憧れていたのだ。神様として、人々を時に厳しく、時に優しくハッピーエンドへ導いて見せる彼女の姿に。

 自分も彼女のように。みんなが笑っていられる運命を振りまけるような、そんな人になりたい。

 ようやく1つ。なりたいものを思い浮かべることが出来たシア。

 彼女はさらにもう1つ。

 自分のせいで誰かが死んでしまうなんて、認めたくない。

 そんな身勝手な思いにも気づくことになる。


 シアは優に生きていて欲しかったのだ。


 そうして、ただ出来事を受け入れるだけだった少女が、その運命を変えようと歩き出す。

 自分の願いを、想いを知ってしまった。もう、自分と誰かの人生を傍観するだけではいられない。それだけでは運命など変えられない。

 天人、運命、啓示。そんなものは一度すべて置いておく。

 すると、


 『シアさんがこうしたいと強く願えば、啓示もその方向に傾くかもしれないですよ?』


 聴かないようにしていた言葉が、意味を持って聴こえてくる。優はシアに道を示してくれていた。イノシシの魔獣と今回と。2度もシアを助けてくれた。だから――。

 決意を胸にシアは言葉を紡ぐ。自身の願いを声にして確認する。


 「優さん。私は恩人であるあなたに、生きていて欲しい!」


 魔法は想いを実現するための手段。その想いが強い程、魔法は強力かつ具体的になる。イメージするのだ。みんなが笑っていられるハッピーエンドを。彼と自分が無事に内地へ引き返すことを。その先に待っている、暖かな日常を。

 自分が招いた危機を自分で解決する。そんなマッチポンプになろうとも。シア自身が望んだ結果を、自分の手でつかみ取って見せた。そう自分で思えることこそが、シアが大切にしたい“想い”というものだ。


 もともと思い込みがちなシア。自分が優を救うしかない。救えるのだと、確信していた。

 同時にシアのその性格は、恩人だということ以上に彼を助けたいと思う原動力になっている感情に、まだ気づかせないでいた。


 霞がかかっていた啓示の内容が、鮮明になる。シアが選んだたった1人の人物の人生を、【物語】の主人公足らしめんとする力。

 真っ白な“雪”が2人の周囲に舞い上がる。暖かな光を放つ雪はやがて熱を帯び、優とシアを包み込む。それは新雪降り積もる雪原の様に。


 「私の願いを今、ここに――」


 高なる想いを熱にして。たった2つの啓示しか持たないシアの強力な権能が、主人から世界を変えろと命じられるその時を待つ。

そして、その時はすぐにやってきて、


 「――〈物語〉!」


 両手を合わせ、祈るような体勢で行なわれた詠唱。同時にシアを中心とした熱を帯びた雪原が広がって行く。山を、境界線を、第三校を。さらにずっとその先へ大地を白く染め上げ、雪を舞い上がらせた。

 雨はいつしかその足を止め、割れた雲間が市街を照らす。空へと光の尾を引く雪を降らせた雪原はやがて、なにごとも無かったように消え去った。


 優とシア。2人の【物語】の口火が切られたのだった。


………

●次回予告(あらすじ)

 シアの権能で目を覚ました優は魔獣のいなくなった森を抜け、ようやく学校に到着することが出来た。再会を喜ぶ学生たち。もちろん優の妹、天も兄の無事を喜ぶ。しかし彼女には1つ、”再会を喜べない学生たち”のために、やることがあった。

(読了目安/11分)

………

※前回は暗い小屋の中、立ち止まっていたところを優や春樹の手を借りてようやく、動くことが出来たシア。そんな彼女が今度は1人で立ち上がり、歩き出す。そんな心の成長を感じて頂ければ幸いです。

………

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