【物語】

第16話 何気ない日常

………

………



 はじめての外地演習から1週間。

 優はようやく、第三校に通うことが出来るようになっていた。

 マイクたちを内地に運び、〈身体強化〉の魔法を解除した優の全身をとんでもないだるさが襲った。春樹を背負った進藤とともに敷地内にある保健センターで診てもらうと、全身打撲と小さなケガを数え切れないほどしていたのだった。


 そうして告げられたのが1週間の自宅療養。やることもないため、お見舞いに来てくれた春樹や天に頼んで図書館の本を借りて来てもらい、寮で魔獣や魔法の勉強に打ち込むことになった。

 春樹の方は2針縫うかガーゼで止血するか選択を迫られ、後者を選択していた。頭に包帯を巻くことになったが、命に別条はないようで、優としては安心しきりだった。


 『雨に打たれたまま、血が固まっていなかったら危なかったわね』


 そう評価していた保健センターに努める医師、佐藤。小屋に春樹をとどまらせたことが、偶然にも功を奏したようだった。

 一方で悪い知らせもあった。ジョンや幸助の実家があった第三校近くの家々が、先日現れた魔獣たちの襲撃を受けていたことが判明した。犠牲者は6名。その中にはジョンの両親、幸助の母親も含まれていたという。マイクたちが秘密基地に来ていなければ、彼らも犠牲になっていただろうとのこと。

 優とシアが交戦した魔獣は魔法を使った。恐らく、彼らを捕食していたものと思われた。


 結局、あの後、教師たちが討伐できた魔獣は1体。天、ザスタ、優とシア、進藤がそれぞれ1体を討伐しているため、残りの1体には逃げられてしまった形になる。

 これらが9期生初めての外地演習の顛末。初回の外地演習で1年生が魔獣と接敵・交戦したのも、学生に犠牲者を出さず、彼らを討伐したのも。第三校が創立されて以来、初めてのことだった。


 朝。寮を出て、1週間ぶりに学校へ向かう優。怪我は治っているにもかからず、その足取りはどこか重い。

 1クラスの人数は25人と少なく、第三校は団体行動が基本の特派員を目指す課程なだけあって、授業中もグループワークが多い。入学から1か月以上経ち、最低一言以上はクラスメイト全員と話すことはできているだろうと優は思っている。少なくとも男子学生を中心に、今のクラスにある種の一体感や居心地の良さを感じていた優だった。


 だからこそ、久しぶりに彼らが集まる教室に行く彼の中には、例えづらい緊張感があった。

 寮から、体育館の裏を通って第2駐車場を抜け、階段と坂をいくつも上る。途中、来た道を振り返った先に見える駐車場には上級生たちが集まっていた。

 彼らであれば、療養が必要なケガをすることもなく、もっとうまく対処できたのだろうか。

 そんな益体も無いことを考えつつ、優は食堂前の広場を通ってさらに階段を上る。紅葉坂を少し行くと、ようやく見えてきたのは1時間目『魔法基礎』の授業があるC棟だ。


 秋になると紅葉が美しいと聞くその坂を横に外れ、地続きになっている自動ドアをくぐるとそこはC棟2階。高低差のある第三校ならではの教室配置だ。

 勉強漬けのせいで筋力が衰えているのかもしれない。そう思うことにして、以前よりも重たく感じる鉄のドアを引き、教室内に入る優。

 すると、先に来ていたクラスメイトたちと目が合った。手を振って挨拶してくれる彼らを見てようやく安心感を得ることが出来たのだった。


 密かな感謝も込めて同じように挨拶を返し、奥の方で優の分も席を取ってくれていた春樹と合流する。


 「なんか緊張したし、どっと疲れたんだが。いろんな人に見られてた気もする」

 「そりゃ、久しぶりの登山だしな。それに、みんなこないだの演習の魔獣討伐、最後の立役者に興味あるんだよ。魔力低いのにどうやって、ってな」


 春樹の頭からはもう、包帯が外れている。額と髪の毛の境目辺りにガーゼが貼られているだけだ。

 春樹の言った『登山』とは、山の上にあって高低差の激しいこの学校への登校を指している。学生たちが、皮肉を込めてつけた愛称のようなものだった。


 「休んでた間のレジュメ、見舞いの時に渡したけど、読んだか? 魔法とか、もう知ってるお前には必要ないもんもあるだろうが……数学と国語からはレポート、外語からはテキストの予習の宿題も出てたぞ」

 「一応、目は通した。でも、結構ぎりぎりになるかもな」

 「まだ病み上がりだ。もし危ないようなら手伝うぞ」

 「……そうだな。その時は頼む」


 授業に関するプリントがあるとはいえ、講義が聞けなかった代償は大きい。今回ばかりは、春樹に手伝ってもらうのもあり。そんな風に思いながら優は溜まった宿題などを整理する。

 改編の日以前にもあった五教科に加え、外国語の代わりに魔法の授業が教育課程に組み込まれている。もちろんグローバル化している社会で外国語が必要であることに変わりはない。ただ、魔獣と魔法あふれる世になったためにまずは護身術として魔法を知っておく方を国が優先しただけ。

 独学で外国語を勉強したり、義務教育以降は学校によって、選択的に外国語を学んだりすることもできた。


 「数学と国語は分かるが、正直、外語は本当にいるのかって思う。現状、ほとんど海外になんて行けないだろ」


 魔獣のせいで飛行機がほとんど飛ばなくなった。空飛ぶ無抵抗な鉄塊にエサがたくさん積んである。空を飛べる魔獣からすれば、格好の的。自然、民間機は飛ばなくなり、海外渡航のすべが現状、ほとんどない。

 そうなると、優としてはどうしても不要なものに思えて仕方ない。言ってしまえば時間の無駄。


 優の指摘に「確かにな」、とうなずいた春樹だが、


 「でも俺たち特派員になったら任務で海外に行くこともあるだろ。それに単語がどの範囲を示すか、とか文化の違いも知れるぞ。それはそのまま、そこで生まれた天人たちの啓示を理解することにもつながるしな」

 「そういうもんか?」

 「そういうもんだ」


 答えのない問答。とりとめのない会話。携帯で辞書を引きながら、今のうちに外国語――英語の宿題を済ませる。わからない、もしくは面倒な場所は春樹に助けてもらいながら、授業開始を待つ。

 優の目に留まった“daily”という単語。「日常」をあらわす単語だったはずだ。ほんの1週間前。下手をすると、この日常を失っていたのかもしれない。この先、何かの拍子で失うかもしれない。

 療養中、何をしていても地に足がついていないような感覚があった。外地演習で魔獣と戦ったことなど、ともすれば夢だったのではないか。そう、どこか他人事のように感じていた。


 しかしなぜか今、現実味を帯びた実感が優に湧き上がる。この日々を守ったのだと。あの時魔獣に立ち向かったことは決して無駄ではなかったと。

 同時に今になってようやく、魔獣を、死を前にしていたのだという恐怖が震えとなって優を襲う。


 「どうした、優? 寒いのか?」

 「……なんでもない。あの時の俺、どうかしてたんだな」


 どうしてあれほど落ち着いていられたのか。自分でも不思議だ。これからもあの恐怖と向き合わなければならない。優の心には、ぬぐい切れない不安が残った。


………

●次回予告(あらすじ)

 授業終わり。食堂前の廊下を歩いていた優と春樹に、天とシアが声をかけてきた。天に背を押される形で優にお詫びと感謝を告げるシア。勢いのまま天は、今度は優にとある提案を持ち掛ける。

(読了目安/8分30秒)

………

※戦闘時と非戦闘時。優の心を切り替えているものは何か。お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、きちんと後述します。

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