卑怯な策略

 アイツは、果たして何をしてるのか。


 ガオウは勢いよく迫り来るアオちゃんに対し、構えをとる訳でもなく、迎撃するわけでもなく、ただ罵声を浴びせた。


 勝負が始まる前なら挑発という効果があるだろうけど、既に戦いの火蓋は既に切って落とされた後。乱暴な言葉をぶつけられ、透明なアオちゃんは一瞬たじろいだように感じたもののそれで足を止める様子はない。


 それでも、ガオウはニタニタと笑っていて、満足気な表情をしている。まるで自分の策略が上手くいっているというように。


 ザッ、ザザッ。

 ヤツの笑う間にも、苔の絨毯を踏みしめる足音だけがガオウに迫る。やがて足音は止み、野蛮な男の傍にうっすら浮かび上がる透明の輪郭は跳び上がって蹴りの構えをとっていた。


 中空から振るわれる、相手には視認できないしなやかな脚撃。その不可視の蹴りがガオウにヒットし、山賊の頭領はよろめいて片膝を地面についた。


 実力差は明確で、一瞬見るだけでもアオちゃんとキバさんの方が遥かに格上に見えた。でも、ガオウはやられてるのに笑ってた。


「透明になるってことはどうせ姿も見せられないくらいブスなんだろうな!」


 さらりと吐かれる心無い言葉と状況にそぐわないガオウの態度を見せられ、アオちゃんは飛び退き距離を取る。

 しかし、彼女は即座に位置取りを変えて、先程の蹴りとはほぼ反対の位置からガオウへ鋭く拳を叩きつけた。


「ぐはっ……」


 パンチを喰らったガオウは最初こそ痛みに呻くも、


「出てこいよ、って言っても出てくるわけねぇか。だってコソコソ隠れてしか何もできない根暗クソ陰キャだもんな!」


 二言目にはまたしてもアオちゃんに対する悪口。それもさっきよりも大きな声で、この場にいる全員に聞かせるようにはっきりと言い放つ。


 アオちゃんは姿を消していることを最大限に利用し、ガオウの側へと回り込んで次々と蹴りやパンチを繰り出す。ガオウはことごとくそれらを受けて、その度にアオちゃんを罵り続けた。


 殴られては「ブス」だの、蹴られては「キモい」だの。アオちゃんに対する暴言は尽きる気配がなかった。


 分からない。


 さっき正々堂々とかぬかしたくせに、ガオウは敵から一方的にボコボコにされても反撃すらしようとせず相手に悪口をぶつけるだけ。まるで戦う意思が見られない。

 そのくせ、終始自分の思うように事が運んでいるといったような表情をする。


 ヤツがどうしてそんな態度でいられるのか、私には理解できなかった。

 それに、恩人の大切な人に対する悪口を聞かされ続ければ、それが自分に向けられたものでなくとも決していい気分ではいられない。


「おい。真面目に戦う気はあんの?」

「ああ、もちろん。俺は俺なりのやり方で真面目に戦ってるさ」

「そんな負け惜しみ、アオちゃんたちには効かないから」

「だと思うだろ? 意外とそうでもないんだな、これが」

「どういうこと?」

「アレ、見てみろよ」


 ガオウの指差す先にはキバさんがいた。だけれども、どうにも様子がおかしい。


 顔は青ざめ、額には脂汗。見開かれた目はどこか虚で、肩で息をしてる、そんな状態。私と話していたときはすごく堂々としていたのに、今ではとても弱々しく見えた。


「キバさん!!」


 そんな彼の様子を見かねて、アオちゃんは透明化を解除してキバさんのもとへと駆け寄った。実体化したアオちゃんはとても不安気で、今にも崩れてしまいそうなキバさんに肩を貸そうとする。


 しかし、キバさんはそれを制した。


「俺のことはいい……それよりも、アイツを倒すんだ」

「でも、でも……!」

「心配かぁ? そりゃ心配だよなぁ!」


 ガオウが茶化すように口を挟むも、アオちゃんはそれを無視する。しかし、そんなことはお構いなしにヤツは続けた。


「一ヶ月以上も会えなかった大事な人がそんな状態なんだ。健気に尽しちゃうお前からすれば心配するなって方が無理な話だ」

「あなたに何が分かるんですか?」

「分かる、分かるぜ。その男が一ヶ月以上この世界に来なかった理由を」

「キバさんにはキバさんの事情があっただけです。それ以上のことは──」

「だからな、その事情を教えてやるってんだよ」


 キバさんが長期にわたってログインしなかった理由。それについてアオちゃんは深入りを避けようとした。

 でも、ガオウはそんなアオちゃんを遮って冷たく言い放った。


「見捨てられてたんだよ、お前は」

「違います。キバさんはそんなことしません!」

「違わない。目を背けてたんだ。お前の存在から!」

「そんなわけありません!!」

「じゃあ聞いてみたらどうだ? そこにいるだーいすきな人に」


 アオちゃんはガオウを強く睨むが、ヤツの言葉には反応できずにいた。彼女の目つきは相変わらず鋭いものの、小さくて可愛い唇を微かに開閉させるだけ。


 余裕綽々のガオウと、辛そうなキバさんに固まってしまったアオちゃん。素人目に見ても分かるほど、形勢は完全に逆転していた。

 アオちゃん自身はノーダメだというのに。


「そ、そんなこと、ないですよね……?」


 アオちゃんは当惑しながら、キバさんに尋ねた。


「ああ、もちろんだよ」


 辛そうでありながらも、それを見せまいとキバさんは笑顔作って答えた。その言葉にガオウがくってかかった。


「その言葉、ソイツに誓えるのか? そこのブスに」

「やめろ」

「そのクソ根暗に」

「やめろっ……!」

「透明化なんて気持ちの悪い能力を備えた化物に!」

「やめろ!!!」


 キバさんの声が森に響き渡る。それはどこか悲鳴にも似た叫びだった。


「正直に話す。だから、もうやめて、くれ……」

「じゃあ聞かせてもらおうや、真実ってやつを!」


 品のない笑い声のガオウとは対照的にキバさんの声はなんとか喉から搾り出したかのようにか細く、しっかり聞かないと周囲の苔に染み入って消えてしまいそうなほど。

 そんな声で彼はポツリと語り出した。


「怖かったんだ……。現実での誹謗中傷は一切に触れないことでやり過ごす事ができた。だけど、この世界にきてアオに会ったら、彼女や僕に向けられたものがフラッシュバックするんじゃないかと思って。そうしたらギアにも触ることができなくなってしまった」

「キバさん……」

「アオはなんにも悪くない。悪くないんだよ。悪いのは俺自身なんだ……」


 キバさんは地面に蹲って、ただ自分が悪い、自分が悪いと、自分を心配して寄り添うアオちゃんに目もくれず呪詛のように呟いていた。


「俺がもっと普通な性癖をしていたら、君は普通の可愛い女の子としてもっとみんなに好かれて、きっと誰からもこんな嫌なことを言われなくてすんだ。だから俺が悪いんだ……」


 そんなことない。絶対にそんなことはない。

 キバさんがどんな性癖をしていようと周囲には全く関係ないはずで、悪いのは悪口をぶつける人間に決まってる。


 側からみればそれが当然の結論だ。しかし、今のキバさんはそんな当たり前も受け入れられず、ひたすら自分を責めている。

 そんな状態になってしまうほど、キバさんは傷つき、追い詰められてしまったのだ。


 彼が今までにどれだけ辛い経験してきたのは想像してもしきれない。それでも、苦しみや絶望、そういったキバさんの痛みを思うと、心が苦しくなる。


「ほんとその通りだぜ。透明になることのどこがいいんだか。そんな女気色悪いだけでさっぱり理解できねぇな」

「頼む……これ以上はもう、彼女を傷つけないでくれ」

「いいぜ。ただし一つ条件がある」

「条件……」

「お前がこの勝負の負けを認めれば、考えてやる」


 どうしてここで話がこの勝負に戻ってくるのか不思議だったが、すぐに分かった。


 ガオウはキバさんたちと直接戦っても倒せないと悟っていて、だからこそアオちゃんではなくキバさんを傷つけ降参させる策に出たのだ。それならば不可解だったヤツの行動にも辻褄が合う。


 キバさんが有名なβプレイヤーで、大変な騒動で心を痛めてたことも知る人には有名な話。だからこそガオウはそれを利用した。


 確かに相手の嫌がることをするのが勝負の常道ではある。しかし、それは試合や勝負、ゲームという範囲の中でという話。


 ヤツのしたことはその範囲を超えている。キバさんがされて一番嫌なことを、一番残酷な方法で利用した。


 そんなガオウを、私は許せない。


 ガオウの言葉に表を上げたキバさんの顔には少しだけ色が戻っていて、明らかに彼の心は揺らいでいた。

 きっと今のキバさんには、ガオウの言葉がお釈迦様が垂れた蜘蛛の糸のように見えてしまっている。掴んだら最期の卑劣な罠であるにも関わらず。


 それを敏感に感じ取ったアオちゃんは、キバさんの目を見て訴える。


「キバさん! 私はあんなの気にしません。だからもう一度、立ってください!!」


 しかし、キバさんの言葉は変わらない。


「全部、俺が悪いんだ……!」


 キバさんは何も悪くないのに。悪いのは悪意をもってアオちゃんやキバさんを傷付けるガオウなのに。

 このままキバさんがヤツの言葉を認めてしまえば、キバさんが悪になってしまう。


 そんなの絶対にダメだ!


「でも、俺が君を怪物にしてしまった。全部、俺のせいだ……。だから、俺の、俺のま──」

「違う!」


 叫んでいた。力の限り、キバさんの言ったことをかき消そうと全力で叫んでた。

 それは間違いだって、なんとしても伝えなければいけない。そう思ったから。


「人質は黙ってな!」

「まずてめぇが黙ってろ」


 ガオウが騒ぐから、私は釘を刺してやった。そして邪魔な脅しを払うため、首元に突きつけられた包丁の刃を握りしめた。


 手のひらが切れ、傷口から血が流れ出す。でも、彼が味合わされてる心の痛みに比べればこんなもの屁でもない。


 力ずくで得物を奪って山賊を振り解き、私はキバさんへと駆け寄った。


「キバさん! それは違います。確かにアオちゃんは普通の人には理解されない姿なのかもしれません。でも、彼女はキバさんのために、キバさんの一番好きな姿で産まれてきてくれたんです。だから、自分の好きな子性癖のことを怪物だなんて言わないであげてくださいよ」

「だけど、これ以上彼女が傷つけられるのは、耐えられない……。これ以上、アオが傷つけられ続けたら、そのまま彼女の存在が消えていってしまいそうで怖いんだ」

「だったら、そんなことを言う奴とは私が戦います。任せてください、連中に彼女の良さを分からせてやりますから」


 キバさんは驚いていた。


「どうして……? 君は俺が巻き込んでしまっただけ、そんな理由はないのに」

「理由ならありますよ」

「えっ?」

「キバさんも私も、数奇な性癖を好きになってしまった同朋ですから」


 大切な仲間の大切なものが傷つけられた。

 それだけあれば十分だ。


 大丈夫、そう伝えるためにキバさんの肩に手を置き、敵を見た。


「ガオウ。お前はキバさんの性癖を否定し、彼を傷つけた。そんなアンタを許さない」

「俺はな、ただその女に思った率直な感想を言っただけだ。それで怒りをぶつけられてもお門違いってもんだ」

「別にお前がアオちゃんのことを気持ち悪く思うのはそれでいい。だけど、だからといってそれが相手を傷つけていい免罪符にはならないんだよ!!」


 私はガオウを強く睨む。しかし、ガオウは気怠げに首を鳴らすだけ。


「で、お前はどうすんの?」

「謝ってもらう。キバさんに、ここにいる全員が」

「やってみせろよ。できるものならなぁ!」


 その声を皮切りに、ガオウの子分たちが一斉に迫ってきた。

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