第5話 憂鬱な時間
バイオレットは窓の外を流れる景色を、憂鬱な面持ちでぼんやりと眺めた。
初対面の運転手との会話、バイオレットにとってはこれが大きなストレスだった。家から職場までは1時間程、大晦日のこの1時間だけの我慢だと心の中で何度も呟いた。そして、こんなことに苦痛を感じる自分自身にもげんなりとした。
「電管をされる方ってどんな方なんだろうと思っていましたが、驚きました。なんていうか、イメージしていたのと違いました」
「ふふ……そうなんですか……?」
なんと答えたら良いのか分からず、バイオレットはとりあえず笑顔をつくり相槌をうつ。
「しかも、あのスメラギ家の方……なんですよね」
「ええ、まぁ……そうなりますね」
「へぇ。すごいお嬢様にして電管。順風満帆エリート人生、勝ち組ってやつですね」
バックミラー越しに好奇の視線を感じ、わずかに呼吸がしにくくなる。
スメラギグループ初代、ジェイド・スメラギは、脳と身体を分離させながらも生命を保つことができるWi-Fi技術を開発し、一躍有名人となった人物だ。さらにジェイドはそれを世に普及するため起業し、大企業へと育て上げ、世の中に革命を起こした。そして、そんなジェイドを曾祖父に持つバイオレットは、ジェイドを尊敬こそしていたが、普通の家庭に生まれたかったと何度も嘆いた。
そう悩むのに充分なくらい、社会から注目される存在だった。
バイオレットは物心ついた頃から他人の目に触れることを嫌い、10歳を過ぎた頃からはスメラギ家の財力・権力を駆使して様々な身体をとっかえひっかえすることで、いたずらに私生活を暴露するマスコミの目をくらまし続けることに奔走した。
しかし、一族や屋敷の人間以外と本当の姿で接することもなければ、偽の姿ですら他人と親しい関係を築くということをしてこなかったため、他人との会話がてんで駄目だ。自覚があるからますます話すことが怖くなる、悪循環に陥っていた。そんなバイオレットにとって、この初対面の運転手との時間は耐え難い苦痛だった。
そもそも、お金に困らず働くのが好きなわけでもないバイオレットが電管になったのには理由がある。その理由とは、バイオレットの唯一の『友達』の声を再現した笛だ。
* * *
その友達は、ある日突然姿を現した。目覚めると、枕にちょこんと乗っかっていたのだ。最初は驚いたバイオレットだったが、白く美しい羽を持ち、美しい声で鳴き、そして何より自分に対して変な偏見を持つこともないであろう、その鳥のような生き物に癒された。
「ねぇ、この子はどこから来たのかしら。どなたかからの贈り物かしら?」
屋敷の人間に聞いてみたこともあったが、
「ええと、セキュリティを通過されたはずなので贈り物かとは思いますが、どなたからだったか……。お調べいたしましょうか」
「あ、いえ、いいの。そこまでのことではないから」
忙しい人間ばかりのこのお屋敷で、人の時間を使うことは躊躇われた。
それに、分かったところで連絡はとらないだろう。この子が変にマスコミから注目でもされたりしたら最悪だ。少し申し訳なくも思ったが、顔も分からぬ贈り主に心から感謝した。
そして、いつでもその美しい声を聴けるように、その声を模した笛を作ることを考えた。これは出会ったときの鳴き方、これは初めて餌を食べてくれたときの鳴き方、これは友達になってとお願いしてみたときの鳴き方……特に強く思い出に残っているその三つの美しい鳴き声をなんとかして再現したいと昼夜問わず研究し続けた。
そして、記憶力に優れ、機械いじりも得意だったバイオレットは、ボタンを押しながら吹けば、三種類の声をそっくりそのまま再現できる笛を作ることに成功したのだ。
ささやかな達成感と喜びを噛み締めた。しかし、それもつかの間だった。その美しい音色に興味をもった屋敷の人間から一族に伝わり、ジェイドにも伝わり、あれよあれよと言う間に複製されたそれは電管専用の笛となってしまったのだ。
自分だけの静かな楽しみで良かったのにと戸惑うバイオレットに更なるショックが襲う。それは、『製作者であっても電管以外の人間はその笛を持っていてはいけない』という国からのお達しであった。すぐにピンときた。ジェイドが手を回したのだ。愕然としたが、ジェイドの曾祖父としての気持ちも分かった。引きこもりのバイオレットを、なんとかして社会と繋げたいと思っているのだ。
バイオレットは、笛を取り戻し、尚且つ曾祖父の期待にも応えたいという想いと、重要な仕事や外へ出ることへの恐怖感、そして自分のような人間が試験に受かるわけもないという変な安堵感を持ちながら、複雑な気持ちで受験した。
そして、幸か不幸か受かったのだ
* * *
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