第18話


 ルインはサ・イラ号を全速力で走らせていた。姫騎士を投下した後は、アルプの指示に従って戦線を離脱。リガーリェ西部の原生林まで飛び、そして再び戻ってきたのである。


(言われた通りにやってはみたがよ)

 原生林では、獣使いのアルプと魔女のマルダーが、後部甲板で儀式めいた事をしていたらしい。一部始終を見ていたザナがこっこり伝えにきたが、操船にかかりきりのルインは、深く追及しなかった。


(俺は俺の仕事をするだけ)

 不安と興味が燻りはしたが、そんな雑念を払うように、彼は急ぎ船を飛ばし続けたのである。

「くそったれ。遅れちまったか!?」

 サ・イラ号はいよいよ集合地点に到着した。前方の平原では、武装船が黒煙を上げて停止している。舵を損傷して航行不能になっているようだ。


 そして、稜線の先から号砲が撃ち上っている。ラトナが放った、作戦成功の合図だ。

 号砲を認めたルインは不敵に笑う。

「いや、逆に丁度良いらしい。見張り台聞こえるか。ザナ、客は見えるか?」


「待って……いた、九時方向に十人。距離六〇〇。みんなで走ってる」

「よし、まずは連中を拾いに行くぞ。ザナは船倉に移れ。ハッチを開けて迎えてやるんだ」

 サ・イラ号転舵。撤退中のフンメル達を目指して、着陸態勢に入る。

「機関室、お仲間を拾うぞ。そっちの調子はどうだ?」

 伝声管で呼びかけるも、返事がない。


「やい。魔女の婆さん?」

「……聞いてるよ。誰がババアだって!?」

 マルダーの怒る声が返ってきた。ルインは反対側の耳を抑えてのけぞる。


「こっちも忙しかったんだよ。族長さんの手伝いでね」

「手伝いだって? あの娘に言われた通り、山奥まで飛んで戻ってきたがよお。アイツ一体、何を企んでやがる?」

 とうとう耐えかねて質問する。ややあって、魔女は聞き取れるよう、ゆっくり言い返した。

「魔法だよ。それも、とびっきりヤバい魔法」


 交信を終えると、マルダーは機関室から駆け足で、後部甲板に出た。そして、入り口横に控える双子姉妹に話しかけた。

「どこまで進んだ?」

「三行目に入った」

 片割れが無感情に答える。

「残り三行半」

 甲板には石灰で方陣が描かれ、獣使いのアルプ族長が目を瞑り、外周を歩いていた。

 船の振動や傾きをものとせず、目を瞑り、一定の速度で進んでいる。加えて、両手で印字を結びながら、微かに口を動かし、謎めいた呪を紡いでいるのだ。


 ふと、マルダーは気づいた。アルプの白い頬を伝う一筋の血涙に。瞑った目の端から、滲み流れて来ているのだ。

 よほどの負担が掛かっているのだと、魔女はすぐに理解し、表情を暗くする。


(とびっきりだって? まったく我ながら、生やさしい表現じゃないか。あの子がやろうとしているのは……)

 不意に双子達の視線に気付き、無理やり半笑いを作った。

「一周回る毎に呪文を一行。のんびりしたやり方だが、唱えてる最中に倒れやしないかね」

 などと、挑発めいた物言いをする。


「愚問だ、魔女」

「族長はそのような失態を犯さぬ」

 双子姉妹は細めた目でマルダーを睨み返した。


「……悪かった。バカな事を言ったね」

 言い過ぎた。胸の内でマルダーは悔やんだ。心の余裕が無くなって来ている証左だ。

 焦る気持ちを抑え、彼女はこれから起こるであろう未来に考えを巡らせた。


 船はまもなく着陸する。まずはフンメル達を拾い、その後すぐにラトナも回収する。

 あまり時間はかけられない。何しろ、今にもアルプの魔術が発動しようとしているのだから。


「着陸するぞ、何かに掴まっていろ」

 ルインの声でマルダーは現実に引き戻された。

 次の瞬間にはサ・イラ号が着陸。船倉のハッチを開かれ、フンメル達を招き入れる。


「みんな急いで乗っておくれ。これから、ラトナも拾わなきゃならないんだ!」

 マルダーは後部甲板から叫んだ。リガーリェ戦士達は言われた通り、急いで船に乗り込む。そして収容が完了すると、サ・イラ号はハッチを開けたまま、離陸を始めた。


「このまま地面スレスレを飛ぼうってのかい。まったく無茶をやる」

 揺れに耐えながらマルダーはボヤく。そしてチラリとアルプを見た。


 相変わらず自分の世界に入って、方陣の周りをなぞるように歩き、呪文を唱えていた。

 やがて魔女は方陣の中から、細く白い糸が伸び始めている事に気づいた。糸はアルプの呪文に反応して捩れたり、震えたりしながら、遠くに向かって伸びていた。


 隻眼を凝らして正体を見定めようするが、駆けつけて来たザナの足音で中断された。


「マルダー、機関室に戻ってくれ。姫さんを拾ったら大急ぎで離脱するんだろう?」

 マルダーは甲板上のアルプに、チラリと視線を向けた。

「……わかった。坊やは見張り台に。アンタがラトナを見つけておくれ」

 マルダーは踵を返すと、大急ぎで機関室に向かった。


 ………


「どうしましょう」

 ラトナは停止した武装船を睨みながら、ふと独り言を呟いた。

 囮の務めは果たした。お陰で隠れていたフンメル達が奇襲に成功し、船は止まった。

 武装船は今や、地上数メートルの位置にまで落ち、辛うじて浮いているという有様だ。

 こちらの仕事は終わった。後は味方に出番を譲るだけ……なのだが、切り替わるまでの、ほんの僅かな時間が、どうにも長く感じてしまう。


「もどかしいわね」

 姫騎士は焦燥を押し殺して、冷静に表示盤に目を向けた。


 残り一発。通常弾の魔導式光弾が、たったの一発だけ、機械槍の薬室に収まっている。

 何度も覗いた所で、ここから弾数が増える事などあり得ない。残弾は永遠に1のまま。

 持ってきた徹甲弾は全て撃ち尽くし、予備の弾薬も使い果たした。


 この状態で出来る悪足掻きは無い。素直にアルプの秘策を待つ他無いらしい。

 決心したラトナが、ドレスを後退させようとした、次の瞬間……。


 地揺れが起きた。奇妙な揺れだった。

 微かな揺れが遠くから伝わってくるのだ。それも、物音を立てて……。


「何か来る?」

 ラトナは段々と大きくなる、奇妙な地揺れに危機感を覚えた。


 後退。ラトナは稜線の裏に戻ろうとする。だがそれよりも早く、地揺れが彼女の足元まで到達。

 壁のように分厚い砂嵐を巻き上げて、とうとう揺れの原因が姿を現した。


 貝だ。それも濃緑の植物を繁茂させた、山のように大きな巻貝。

 それが高原の大地を突き破り、生えてきたのである。

 巻貝は尚も上昇を続ける。その先にいるのは停止中の武装船……。


 ぐしゃり。


 そのまま、真下から現れた巻貝を避けられずに衝突。貝の隙間に挟まり、座礁してしまう。

「なんて事……」

 ラトナは巻貝の主人をよく知っていた。故に彼女は慄いた。

「カウナだわ」


 巻貝の主人が鉄壁の巨大鋏を振り上げ、とうとう地上に姿を晒そうとしている。

 地上最大の魔導獣、カウナだ。


 予期せぬ登場により、高原では局地的な大地震が巻き起こり、地面は大波めいた隆起を起こす。同時に頭上からは大量の土が、文字通り「土砂降り」となって降り注いできた。

 ラトナは後退を止め、機械槍を地面に突き刺した。揺れが酷すぎてもはや移動すらできない。おまけに降って来る大量の土に足が取られてしまっている。

 もはや槍を支えに耐えることが精一杯だ。


「まさかアルプの秘策って、カウナを呼ぶことだったの!?」

 ラトナはそのように叫びながら、目と鼻の先で地面を抉る大鋏を凝視する。

 大きい。鋏だけでも、小高い丘に匹敵しそうだ。

 そんな巨大生物が這い出て来たら、高原に大穴が開いてしまうだろう。


 カウナは存在そのものが「災害」なのだ。

 急いで逃げなければ、いずれは地面の隆起に飲み込まれるか、穴の中に落ちてしまう。

 しかし、ドレスで逃げられる場所は残されていない。


(嗚呼、お祖母様。私を守って!)

 そんな時だった。上空から一筋の雲が近づいてきたのだ。


 目を凝らすまでも無い。

 すっかり見慣れたオンボロな船体。ルインのサ・イラ号である。


 ラトナは近づいてくるサ・イラ号に向き直った。よく見ると、鈎縄のようなものが船から垂れている。


「うわあ」

 一瞬で理解できた。あれに掴まらなければ、命はない。たちまち背筋が冷たくなった。

「やるしか無いのね!?」

 機械槍と盾は両肩の鈎に引っ掛けて、両手を自由にする。

 しっかり両脚で踏ん張り、迫る鈎縄に集中。

 そしてサ・イラ号が真正面から頭上を通り過ぎ、鈎がドレスの胴体に引っかかった。


(今!)

 ラトナは縄を両手でしっかり掴んだ。

 両足が地面から離れた。上半身から先が引っ張られていく違和感に抗いながら、ラトナは縄を離さないよう、マニュピレータの力を強める。


 後ろ向きに空へ浮くラトナ。彼女の周囲を、無数の土砂や岩石が通り過ぎて、地上へ落ちていく。

「やった」

 ふわりと安堵で心が浮く。だが、それが不味かった。致命的な油断が警戒を緩め、落石への反応を鈍らせてしまった。


 左肩への衝撃で我に返るラトナ。顔を傾けると、大楯が消えて無くなっていた。石に当たって外れたのだ。

 途端に態勢が崩れ、とてつもない揺れが襲いかかる。片側の槍が重すぎて、重心が片方に傾いでしまう。


「姫様あ!」

 頭上から複数人の声が聞こえてきた。

「どうか気をしっかり」

「すぐに引き上げますからね!」

「しばしのご辛抱を」

 ハッチの開放された船倉から、既に収容された家臣達が必死に呼びかけているのだ。


「小僧、何をしておる。早う姫様を引っ張らんか!」

 フンメルは蒼白な顔を後ろに向ける。

「ダメだ。ドレスが重過ぎて、上手く引き揚げられない」

 巻き上げ機を操作するザナは、半ベソをかきながら叫び返す。

「姫さま。槍をお捨てくだされ。少しでも軽くなるのじゃ!」

「そうは言っても……」

 ラトナは片腕を伸ばして、槍を外そうと試みる。

「お願い、届いて」

 何度も手が空を切り、幾度も失敗を繰り返して、ようやく槍に手が届く。

 そして接続具ごと、無理やり槍を引っ張った。接続具が砕けて、肩の部品諸共風に舞う。


 姫騎士は槍を地面に向けて構えた。


 発射。


 最後の一発を狙いも付けずに放つ。

 光弾が砂嵐の中へ吸い込まれる一方、ヘビードレスは砲撃の反動でさらに飛翔。

 同時にサ・イラ号が急ブレーキを掛けた。


 ヘビードレスは一気に船との距離を詰め、弾丸のように船倉に飛び込む。


 ベリベリと床板を砕き割って転がり、巻き上げ機に頭から激突する。


 左右に逃れた仲間たちが絶句する中、ザナはハッチを閉めつつ、怒鳴った。

「今だ、アニキ!」

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