第15話
ティーゲルはヘッツァー以下、家臣団の主力を先に砦へ向かわせると、ラトナやルインなど数人を連れて屋敷に戻った。
「あら、ラトナ。お帰りなさい」
真っ先に出迎えたのは野良着姿の母、ウラルであった。元々年齢不相応な外見をしているだけに、最早幼い奉公人と大差ない風態である。
「お母様。いま戻りました」
ラトナは憂いを隠し、朗らかな態度で母に挨拶をする。
「お帰りって抱きしめてあげたいのだけれど、ごめんなさい。いまは急いで糧食の準備をしているの。また後でね!」
そう言うと国守の妻は女中達と一緒に大荷物を抱えて、そそくさと立ち去ってしまう。
よそ者のルインとザナ、そしてアルプは呆然とした顔で互いに見合った。
「……ルイン殿。妻達の手伝いに回って貰えぬか?」
徐にティーゲルが頼んできた。
「あいよ」
国守の目つきに、何かを悟ったルインは、略帽を逆さに被って承諾してみせた。
「今なら俺たち以外にシュイクのお三方もいるし、人手なら幾らでも貸せるぜ」
ザナもアルプの背中を叩いて言う。
「貴様、無礼だぞ」「腹を切れ小僧」
すかさず双子が反駁する。
「是非やらせてくれ」
畳みかけるようにアルプが名乗りを挙げた。
「族長」「何を言うのです!?」
「元を正せばこの戦、シュイクの恥が産んだものだ。注ぐために出来ることは何でもするぞ、我は!」
若い娘は声高に宣言すると、首飾りや重い上着、頭巾まで脱ぎ捨てて身軽になった。
「行くぞ、ルインとやら」
切り揃えたおかっぱ頭を振って、アルプは言った。
「仰せのままに、族長サマ」
ルインはニヤリと笑い、皆を連れて外に出て行った。
「思ったより良い奴らじゃない」
マルダーは口笛を吹いた。
「皆の心に感謝を。では、行こう」
ティーゲルはラトナと魔女を伴い、館の最奥にある、綺麗に掃除された小部屋に入った。
「ここ、お祖母様のお部屋だわ」
ラトナは持ち主のいない部屋を不安げに見回した。この切迫している時に、何故ここに通されたのか、皆目検討が付かなかったのだ。
「お屋形。まさかアンタ……」
マルダーはため息をつく。
「そうか。ついにこの時が来たって事か」
隻眼の魔女は腰にてあて、ため息をつく。
「どういう事、マルダー?」
「こういう事だ」
ティーゲルは本棚に近づくと、最上段に眠る分厚い書籍を外した。
本棚が音を立てて横にズレていき、やがて暗い隙間が三人の前に表れた。
唖然とするラトナに、マルダーは薄く笑って声をかける。
「すまないね、ずっと黙っていて。先代様の遺言だったのさ。アンタには『その時』が来るまで話すなって」
「その時……?」
「ラトナが姫騎士として成長した暁に、この遺産を譲る。それが婆様の遺言であった」
ティーゲルは暗がりに手を伸ばし、フシくれだった縄を引いた。
ゴロゴロと滑車が動き、台上に座る『遺産』がラトナの前に姿を見せた。
「これ、お祖母様のヘビードレス……」
ラトナは幼い頃から知る祖母のドレスを、まじまじと見つめた。
洗練された猫科肉食獣を思わせる兜から、ダークオリーブの分厚い胴体、増加装甲付きの幅広いスカート、そして大木より重厚な脚部。どれをとっても現行機に劣らぬ、兵器としての無骨さを突き詰めていた。
「『雷28号改』さね。それとも、リガーリェ風に『ブリッツ』とでも呼んでやろうか」
隻眼の魔女はわざとらしくおどける。だが国守とその娘だけは、現れたヘビードレスに対して、深刻な面持ちになっていた。
「リガーリェに危機が迫る度、婆様はこのドレスに袖を通し、幾度も郷を守り抜いた。このドレスは、郷の守り神も同然」
「はい。もちろん私も知っております。だからこそ分かりません。どのように加味しても、私はこのドレスに見合うほどの力量は……」
娘の言葉を父親は「否っ」と否定する。
「其方はたった一人で友軍を守った。炙り狂うカウナも退けた。そして今は、郷の危機に立ち向かおうとしている」
ティーゲルは娘の不安げな目を、真正面から見返す。
「ラトナ、よく聞け。其方はこの五年でよく成長した。愚直に婆様の背中を追い続けた其方は、図らずとも、立派になったのだ。それはこの父が自信を持って言える。故にお前は婆様の遺言を満たす姫騎士に育ったと判断し、儂は今、これを託そうと思う」
「……私がお祖母様のドレスを?」
ラトナは恐る恐る、ドレスに近づいた。
此処には居ない筈の祖母の気配が、ドレスから流れてくる。
錯覚。そうとわかっているのに、ラトナの脳裏をよぎって痺れさせた。
「……う、動くのですか?」
「心配なさんな。アタシが毎日こっそり整備していたんだ。いつでも動かせるし、何なら全開までぶん回してやってくれ」
誇らしげにマルダーが言った。
「時間がない、ラトナ。いまこの瞬間、郷の命運は其方にかかっておる」
ティーゲルは真剣な面持ちで、娘の両肩に手を載せた。
「我が自慢の娘。いや、リガーリェの姫騎士よ。どうか我らと共に戦ってくれ!」
………
……リガーリェの先祖達は侵略者に備え、峡谷の北部に砦を設けた。
その名はカール砦。
建設から数度、この砦で戦が行われたが、一度も破られた事はなかった。
その砦を、今はシュイクの三の氏族が攻めている。彼らは魔術によって獣を御し、鉄壁の守りを崩さんと進軍を続けていた。
「弾が足りない。弾を持って来い!」
家臣団のヴェスペは、銃声に負けじと叫んだ。国守の使者として砦に来ていたのだが、運悪く、襲撃の場に居合わせてしまったのである。
戦闘開始から数時間、若き戦士は戦死した守備隊長になり代わり、指揮を執っていた。
辛うじて押し留めていた防衛線は、時間の経過と共にじわじわ綻び、予断を許さぬ状況となっていた。
「畜生。絶対に負けてなるもんか!」
ヴェスペは頭に巻いた黄色頭巾を締め直し、気持ちを奮い立たせた。
「早く弾を。こっちに寄越せ!」
好戦的な凶相をより険しくして叫ぶ。
「これが最後です、ヴェスペ殿」
駆けつけた守備兵が弾薬箱をもって来た。ヴェスペは素早く受け取り、腹心の機銃手に渡した。
「いいか。狙いは良いから弾幕を張り続けろ。絶対に切らすな」
そう言うと、自身は「跳び杖」と呼ばれる榴弾発射器を構えた。ヘビードレス用の槍を歩兵用に縮小させた代物だ。
「こなくそ!」
跳び杖のトリガーを押す。バネの力で、先端のてき弾が飛ばされた。
ヒュルリと弧を描いた擲弾が獣の前脚に命中。獣は砕けた脚で宙を掻き、頭から倒れた。乗り手の獣使い二名も反動で振り落とされてしまった。
だが戦果を喜ぶ間はなかった。即座に反撃の一斉射がヴェスペを襲ったのだ。
慌てて身を伏せると、積み上げた煉瓦が半分以上、削れて消えていた。
「化け物共め!」
敵は獣の背中に狙撃砲や機銃を載せ、自走砲のように扱っていた。
鎧を纏った個体も混ざっており、機銃で応戦しても弾かれてしまう。加えて、恐るべきはその物量だ。獣の数だけでも、砦の守備兵より勝っていた。
このままでは押し負ける。
どうやって打開する? ヴェスペがほぞを噛んでいると、郷の方角から旧式揚陸艇がやって来た。
守備隊が誘導する暇も惜しんだ揚陸艇は、砲弾の降り注ぐ砦内に強行着陸。
艦内扉が開け放たれると、家臣団の戦士達が一挙に飛び出した。
彼らは武器弾薬を担いで陣地まで来ると、惑うことなく、すぐに反撃を始めた。
「無事か、ヴェスペ」
ヘッツァーが隣に滑り込んできた。
「待ちくたびれたぜ、ヘッツァー。俺様一人で敵をみんな平らげる所だったぞ」
強がるヴェスペにヘッツァーは微笑を返す。
「それは頼もしい」
「それより何なんだ、アイツら。野盗の類には見えねえ」
「シュイクだ。獣使いの民」
ヘッツァーの答えに、ヴェスペは目をひん剥いた。
「シュイク? 曾祖父さんの御伽噺に、そんな連中がいたような……マジなのか?」
「マジだ。実在しているのだ。あの通り」
ヘッツァーは顎をしゃくる。振り向くと、外の獣使いと似た風貌の一団が、リガーリェ兵に混じって応戦しているではないか。おまけに彼らは杖の紋章が入った幟まで揚げて、自らの存在を誇示していた。
未知との出逢いにヴェスペは言葉を失い掛けたが、すぐに気を取り直した。
「……アイツらが味方なのは分かった。味方は多い方が良い。だが俺たちの指揮官は? お屋形様の姿が見えんぞ?」
「案ずるな。姫様達と必ずやって来る」
どうしてそこまで自信たっぷりなのか。尋ねようとしたヴェスペであったが、郷の方角から迫って来る二隻の船を見て、口を止めた。
………
「高度そのまま。砦まであと三十秒」
見張り台のザナが速度をもとに到達時間を割り出す。
「こちら機関室。全て異常無し。要求通りの出力まで上げてやったよ」
機関室からマルダーの声が届く。魔導機械に精通する魔女として、船の機関士役を買って出たのだ。
「……ヘヴィだ」
徐にルインはボヤきだす。
「何か問題でも?」
操舵室にはもう三人、アルプと付き人の双子姉妹がいた。
「大有り、大問題。田舎の姫騎士サマを拾いに行ったせいで、何度もヤバい目に遭った。それも、たった数日の間にだぞ」
声を大にしてボヤくルインの姿に、アルプは思わず吹き出してしまう。
「それなのに。嗚呼、それなのに、それなのに。これから俺はもっとヤバい目に遭う。そもそも俺は平穏無事な人生をこの世の誰よりも望んでいたんだ。なのにいつも向こうから、災難が、俺を見つけてやって来る!」
声が大きくなっていくルインに、とうとうアルプは堪えきれず、笑い出した。
腹を抱えて、心の底から感情の赴くままに笑う。双子姉妹はそんな族長に困惑し、つい驚愕顔を見合わせた。
「そうか。君は災難に好かれているのだな」
ひとしきり笑ったアルプは、涙を拭った目でルインを見上げた。
「その通り。モテすぎて参っている」
ルインは口の端を吊り上げて笑うと、見えてきた戦場を真っ直ぐ睨んだ。
サ・イラ号は砦上空で増速。緩やかに機首を下げつつ、敵集団を目指す。
砦から船の軌道を見守っていた家臣団の面々が、揃って悲鳴をあげた。
「落ちるぞ!」
「何を血迷うたか!?」
「姫様達が乗っていなければ良いが……」
そんな中、予め作戦を知らされているヘッツァーは、真剣な面持ちでサ・イラ号を見送っていた。
「よおし! やってやろうじゃねえか!」
サ・イラ号は加速装置を点火させ、尚も増速。船体を激しく揺らし、速度計の針を振り切らせながら、対空砲火の中を弾丸となって突き進む。弾が船体を掠り、飛び散る破片が窓を割っても、サ・イラ号は止まらない。
「ザナ。荷物を降ろすぞ、用意しろ!」
ルインは地表数十メートルの位置でようやく舵を引き、船体を起こした。
三の氏族の獣兵器達の間を割って進み、今度は徐々に上昇へ転じていく。
「くそったれ共に、特上のプレゼントだ!」
ルインが吠え散らかしている間に、ザナは船倉に移動していた。少年は逸る気持ちを抑え、搬入口の扉を開けた。
「ハッチ開放完了。いつでも出せる!」
ザナは吹き荒ぶ風と、むせ返える砲煙に負けじと、操舵室に報告。
そして出番を待つ「積荷」へ顔を向けた。
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