006

 不意に投げかけられた言葉にリャンリーが弦月に視線を向ける。

 リャンリーの婚約者の心変わりというか、不貞行為に関してはリャンリーですら最近判明したことであり、数年かけて調査して証拠を集めた事なのにもかかわらず、弦月はまるで初めから知っているかのように笑みを浮かべたままリャンリーの言葉を待っている。


「良好である必要がございますか? 他の血族に嫁がない以上、わたくしの婚約は名ばかりの物ですわ」

「ふむ、俺には妻が数人いるが仲は良好である方がよいと思っている」

「貴方の好色のせいでこの国には混血児が多いのだと自覚していただきたいですわね」


 リャンリーはそう言ってジト目で弦月を見る。

 その言葉に弦月は気にした様子もなく笑うとベッドに広がっているリャンリーの髪を一房救い上げるとそこに口づける。


「弦月様はわたくしの髪に口づけるのがお好きですわね」

「嫌か?」

「この国でも、わたくしの祖国でも、髪に口づけるのには意味があると思うのですが、それを踏まえての行動なのでしょうか?」

「どう思う?」

「知ったこっちゃないですわね」


 リャンリーはあっさりとそう言うと弦月に好きにさせ続ける。

 弦月はサラサラと指の間から流れていくリャンリーの髪を堪能した後、予備動作なくベッドから立ち上がる。


「おかえりですか」


 早く帰れ、と言わんばかりのリャンリーの声音に弦月は笑みを浮かべると、開きっぱなしだった窓に近づいていき、ベランダに出ると、手すりに足をかけて縁に立つ。


「また来る」

「その前に任務が終わる事を祈っておりますわ」


 つまり、それは蛍が吸血鬼として覚醒するか、その反動でハンターになるか、もしくは覚醒の予兆なしとして監視を付けられた生活を送られるかの三択だ。

 ハンターとなるのなら、その時点で殺す。

 後顧の憂いは立つべきなのだ。

 コン、という軽い音を立ててベランダから弦月が身を投げると同時に羽音がして月明かりに影が差した。

 視線を影の方向に向ければ、蝙蝠のような羽を生やした弦月が月に向かって飛んでいくのが見え、リャンリーは肩をすくめる。

 本当に、この国の吸血鬼の始祖がわざわざこんな所に出てくるなんて余ほど暇をしているのだろう。

 リャンリーの祖父もそうだが、二千年以上生きている吸血鬼というのは、色々とマイペースというか細かいことを気にしないというか、自分勝手というか、言うだけ無駄なところがあるのだ。

 吸血鬼の始祖は確認されているだけで三人。

 誰もが神の肉を食らったが故に吸血鬼の始祖となったと言われている。

 神の肉を食べた、それはあまりにも冒涜的でありながらも、それであれば人が超常なる力を得て人外になることも納得できる。

 月の光を遮る影が完全に無くなったのを確認してリャンリーは深く息を吐き出すと、しっかりと窓を閉じ鍵を閉めて遮光カーテンを隙間なく閉じると先ほどまで弦月と一緒に座っていたベッドに横になって目を閉じる。

 この任務の終わりはこの国で言う高校の卒業までとなっている。

 それ以降は監視を付けて生涯を見届けるという事になるし、なんだったら監視を伴侶として子供を作らせずに飼い殺しさせる方法もある。

 それも、何もなければという事である。

 今は蛍に覚醒の気配は全くない、けれども突然覚醒するという前例は腐るほどある為油断は出来ないのだ。


(けれども、匂いがするのですよね)


 気に入らない匂いだ、とリャンリーは考えている。

 ハンター独特の匂いとも違うのだが、なんというか気に入らない匂いがすると感じている。

 それは、リャンリーの婚約者を誑かしている雌猫と同じ匂いだと考えてリャンリーは思わず目を開けて天井を眺めるが、特に何が変わるという事もないので再度目を閉じる。

 色狂い、とまではいわないけれども弦月の血族は色欲が強い傾向がある。

 男女問わず、という所が頭が痛いところだ。

 そこまで考えて、そういえば婚約者を誑かしている雌猫も弦月の血族の血が混ざっているのだったかとまで考えて、まさか弦月にはシャングルの血族が魔族を従える能力に特化しているように、弦月の血族は血が薄まって混血児になろうとも色欲が強いのだろうか、人を誑かすことが得意なのだろうか? とまで考えてしまう。

 ちなみにもう一つの血族、パウリャの一族は血族に異常な程に肉親に執着し、同時に血族同士で殺し合うという吸血鬼の中でも多少変わった血族である。

 ラクルージュ=パヒュル=パウリャという始祖が率いるその血族は、ラクルージュが双子の弟に異常なまでに執着し溺愛しているというのは吸血鬼の間では有名な話で、始祖となってまずしたことが双子の弟を吸血鬼にすることだったというのは語り草だ。


(それにしても、長い時間を生きていますけれど、こんな退屈な任務は早く終わらせたいですわね)


 こんなことをしている間に婚約者と雌猫がどうにかなるとは思わないし、そうさせないための監視役につけたデュランとラハンだ。

 実際に婚約者の浮気が発覚して十五年、調査を入れて確証を得るまで数年かかったので、たった二年程度で何か大きく事が動く事は無いと信じたいところだ。

 リャンリーは目を閉じたまま息を吸い込んで吐き出した。

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